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お堂祭り

定福寺には33ヶ所の飛び地境内があります。豊永地区の各地区にお堂があります。この飛び地境内は夏場にお堂祭りとして各場所で法要があります。これらのお堂を紹介いたします。

八畝観音堂

ここは観音堂ということもあり、木造聖観音像がありその脇仏として木造不動明王立像、木造毘沙門天立像が安置されています。聖観音像は、延徳2年、1490年作とされており、脇仏の仏様達は江戸時代の作だと言われています。お堂の開基は不詳ということです。
 この地域は、水田が大変綺麗でよく全国放送にも出てくる所です。
  またこのお堂のよこにあるイチョウの木は大変大きく樹齢500年です。

南大王地蔵堂

南大王の本尊は木造地蔵菩薩です。脇仏は毘沙門天・不動明王です。この脇仏の形は、定福寺の並びと同様です。南大王は、福寿草の里としても有名で福寿草の時期には、大勢の方たちが来られます。
 道も広くなりバスで来れますし、地元の山の幸、川の幸も食する事ができます。

三津子野地蔵堂

ここの本尊さんは、地蔵菩薩です。mi 脇仏には毘沙門天・不動明王が安置されております。定福寺から少し離れた山間にありますので、景色も綺麗です。

川井観音堂

延享二年に川井村(現 川井地区)の観音堂は完成いたしました。以前は千手観音堂だったようですが、焼失のため、現在は桧、一木造りの観音像が安置されています。作者は水戸岡伯翠先生です。

中内観音堂

中内の観音堂も延享二年に完成しております。中内のお堂は山の中にあり、近くには小川もあり大変いい場所にあります。

大平薬師堂

ここはお薬師さんをお祀りしていますが、昔、薬師と言えば四国霊場の23番薬王寺がこの辺でも有名だったようです。しかしそこまで行く事ができない人のために、大平地区に薬師堂を建立し前霊場としたようです。1876年の棟札に残っています。

東土居地蔵堂

一番古い記録では1696年の棟札が残っております。その後1800年に土州大守藤原朝富臣が地蔵堂を新建立という棟札が残っております。

大滝地蔵堂

大滝地蔵堂は、土佐州郡志、南路志等にも記載されている。一番古い棟札は1647年の物が残っております。またその他にも多くの棟札が現存しております。

西川阿弥陀

西川の阿弥陀堂は以前水害に遭い、一時期阿弥陀様は定福寺に安置されておりましたが、享保7年に再建され元の西川のお堂に返されました。1722年の定福寺の祐鏡僧正の棟札が残されております。

柚木地蔵堂

柚木という地名の通りここは、柚子の木が多くあり、大豊町でも高地にあり、以前は柚木にはスキー場があったぐらいのところです。大豊町は未だに屋号で呼ばれており、柚木の一番高いところにある家の屋号は”空”です。この地蔵堂は、柚木でも下の方に位置し、一番古い棟札は1728年のものがあります。

粟生(定福寺本堂)

”定福寺本堂”をご覧下さい。

怒田観音堂・地蔵堂

怒田の観音堂は十一面観音を本尊とし、1630年に大工・石見守、鍛冶・彦四郎、本願主・彦三郎五是により建立されました。現在、怒田と八畝の谷間には護岸工事がされ、公園もできております。

立野観音堂・地蔵堂

立野の観音堂、地蔵堂は立野地区の一番高いところに位置し現在ではお堂の周辺も民家少なくなってまいりました。しかしお堂は地元の立野地区の住民により立派に保存、参拝されております。

佐賀山観音堂

佐賀山のお堂では一番古い棟札は、1691年の物です。ここの観音堂も十一面観音がご本尊さんです。

高原阿弥陀堂

高原で一番古い棟札は1767年の物ですが、建立はそれ以前のようです。現在は、人家も少なく、阿弥陀堂ということもあり定福寺本堂で、年一回お祀りをしております。

柳瀬大師堂

柳瀬地区のお堂はお堂の中では新しいほうで1831年に建立されたお堂です。場所は大変良い環境の所にあり、昔は盆踊りなどのお祭りもされていたようです。

野々屋阿弥陀堂

野々屋は東豊永地区で、中内地区と並び人家の少ない所になってしまいました。しかし、お堂は大変綺麗で、高いところにあることもあり景色も格別です。

西土居普賢堂

西土居の普賢堂は気をつけてみると、国道32号線より見える位置にありお堂の境内からは吉野川が綺麗に見えます。1890年に再建された事が記録に残っております。

三谷地蔵堂

このお堂は1596年に建立されております。吉野川沿いの高いところに位置し、冬場は大変雪の多い所としても有名です。三谷地域に行く途中には霧石渓谷等があり、現在も自然が残る良い場所です。三谷地域から山を越え南に行くと沖地域に抜ける事ができます。

沖薬師堂

沖地域は東豊永地区で一番高いところに位置し、京柱峠の下の地域です。この京柱を越えると徳島県になります。このお堂は1688年に建立されております。

大畑井阿弥陀堂

大畑井阿弥陀堂は南向きに建てられおり、小川沿の谷が綺麗に見え、遠く梶ヶ森も見ることができます。このお堂は1783年に建立されております。

土居番阿弥陀堂

土居番の阿弥陀堂は1678年に建立されており、お祀りも盛大に行われ、現在でも毎年賑わっております。この地域は沖地域の下に位置し、冬場は雪が多い事で有名です。

八川地蔵堂・大師堂

八川のお堂は1688年に再建されており、当時の庄屋・次助が大施主となり再建されております。八川地域は以前は定福寺より向かうと”太郎尾根”という尾根を越えていく事になります。何十年構えまでは八川の小学生達はこの尾根を越えて小学校まで通っておりました。今でも昔の往還道があります。

上東観音堂

上東は定福寺の管轄する地区のお堂では最も東に位置します。お堂の建立は1766年です。

桃原観音堂

桃原の観音堂は現在でも地域のお祭りが行われ毎年多くの人々が盆踊り等を楽しんでおります。桃原には名所の牡丹杉があります。名前の通り牡丹のような杉で大杉地区の杉と同様に大変貴重な杉です。 ここのお堂は1574年に建立されております。今の定福寺の本堂が再建されて280年ですのでそれ以前のお堂ということになります。

連火薬師堂・地蔵堂

連火にはお堂が二つあります。1737年に建立されております。お堂の周りはどこのお堂でもそうですが、毎年地域の方々により草刈などをして頂き、綺麗に整備されております。

永渕地蔵堂

永渕のお堂は、永渕地区の中間地点にあり、大きなお堂の一つです。1694年に最建立されております。当時の庄屋・北村十太田が大施主となり再建されたました。

大砂子薬師堂

大砂子の薬師堂は1652年に建立されております。お薬師さんをはじめその脇物の不動明王・毘沙門天は江戸時代の木造の仏様です。

大久保薬師堂

連火にはお堂が二つあります。1737年に建立されております。お堂の周りはどこのお堂でもそうですが、毎年地域の方々により草刈などをして頂き、綺麗に整備されております。

筏木地蔵堂

筏木のお堂は細い道を抜けると広い境内とお堂が現れます。このお堂は火災で焼失してしまい先代・義光僧正の代に再建されました。ご本尊さんのお地蔵さんは水戸岡伯翠先生により作られた物です。

安野々地蔵堂

安野々お堂は安野々地区の一番高いところに位置し眺めの良い場所にあります。一昨年台風により、お堂の一部が損壊いたしましたが地元の方達により修復されました。このお堂は1776年に建立されております。今もお祀りの前日には、地元の方達だけでお祀りされております。

このように地元の方々の多大なる協力とご尽力により今までお堂が現在までお祀りされ、守られております。人の命は短いものです。しかしその命の繋がりにより伝統が受け継がれ、お堂が守られております。一つの物を守っていくには、技術の伝承と精神の伝承が必要です。今をもっても定福寺周辺の地域の伝統は受け継がれております。そのことは定福寺と致しましても大変ありがたいことですし今の日本でも必要な事であり、必要な気持ちだと思います。これらのお堂を守ってくださっている方達並びに信仰されている方達に心から敬意を表します。