資料館の歴史

昭和30年頃(1955年頃)

豊永郷の古鉄を買い集めていた古鉄商人が道端で売っていた茶釜を見つけ、先代義光僧正が100円で買い求めたことがきっかけで民具に興味を持つ。「今、これらの道具を残さなければ大変なことになる」と考える。

昭和38年12月(1963年)

定福寺仏像9躰が県指定有形文化財の指定を受け『郷土古文化財展』を定福寺で開催。この頃から茶釜を主として民具の収集がはじまる。

昭和42年3月(1967年)

ユースホステル新築完成を記念し、一階に民俗資料を展示当時、徐々に始まった過疎から民具を守るために広く檀信徒の皆様のご理解とご協力をいただき、ユースホステルに訪ねてくる若者の賛同協力も得て2,000点の民具が収集される。

昭和45年(1970年)

民俗学者宮本常一博士の門下生、香月洋一郎教授、谷沢明教授ほか15名ほどの学生により豊永郷の昔の生活の聞き書き、民具の収集・調査・展示・整理がおこなわれる。
この年、大豊町より保存のため民具の譲渡の提案がある。後世までこれらの民具が保存されることが重要と考え、民具の寄贈・土地の無償提供に合意する。

昭和48年8月(1973年)

民俗資料館オープン。宮本常一博士も度々来館。

昭和52年(1977年)

民具が3,000点収集される。一万点の民具収集を目指し青年団・区長等全町民に呼びかけ収集がはじまる。

昭和53年(1978年)

民具の指定に向け活動が始まる。

昭和57年(1982年)

収集民具の内2,595点が「土佐豊永郷及びその周辺における農村生産用具」として国の重要有形文化財の指定を受ける。山村民具では、四国で唯一の指定。特にのこぎりにおいて収集量は世界一と言われ、中でも日本に6点しか現存しない室町時代から使われている型が2点もこの地に残されていた。

平成8年(1996年)

『大豊町立民俗資料館』は空調設備もなく、民具が日射にさらされるという悪環境にあり、設備の充実、再建を願うが計画はついに白紙状態となる。
民具が朽ちていく様子を目の当たりにすることとなり、傷みは年を追って激しくなっていく。国指定の民具をはじめ多くの民具はこのままの状態では保存は難しく、当初の定福寺の願いとは正反対の方向に動いていることとなり、大変つらい思いをした。

平成12年(2000年)

「町に寄贈した文化財を返還していただくことが可能」ということがわかり『再建要求』ではなく『返還要求』へと働きかけの変更案がでる。そうすることで募金活動も自由におこなえ、私たちが責任を持って保存することができるようになると考えた。

平成16年(2004年)

大豊町に民俗資料返却に関する要望書を提出。

平成19年(2007年)

7月2日に民俗資料についての覚書をかわす。完全な返還はかなわず、定福寺としても苦渋の選択として、覚書を交わすこととなる。
覚書の内容は「民俗資料そのものは町の財産とする。ただしすべては定福寺に任せ、定福寺の許可なくこの地より移動することはない」というもの。

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