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お盆・施餓鬼供養について

 豊永郷では、初盆や二年盆を迎えるご家庭では、家からお墓まで提灯がつるされ、道を照らす様子が見られます。この時期に定福寺を訪れた僧侶が、「綺麗ですが、近くにお葬儀のあったお宅なのですね」とおっしゃられたことを思い出します。
 豊永郷でのお盆は、家の前に施餓鬼棚・水棚・火棚などの呼び方をする棚を準備します。家の中には、提灯やお霊供膳を用意し親族や近隣の方々が集まり、ご供養をいたします。地理的な事情で、定福寺ではすべてのお家にお伺いすることができませんでした。そこで昔から、八月十三日の朝皆様にお集まりいただき九時からお盆の法要を行った後、お札を持って各家にお帰り頂き、その後、親族や近隣の方は各家にお参りに行かれます。
 お盆の言葉については諸説ありますが、「食物を盛る盆器」という言葉が関係しているようです。世界中の多くの地域に死者が帰ってくる日の祭りがあります。近隣では中国に中元(七月)があり、地を祀る日とされています。生者には贈り物をし、死者にはお供えをする日とされています。
 お盆のことを施餓鬼供養ということもあります。施餓鬼は平安時代に空海などの唐に渡った僧侶によってもたらされました。鎌倉時代になると諸宗派に取り入れられ、室町時代には施餓鬼会が盛んにおこなわれるようになりました。真言宗には「斎食の上分を取り、銅器に入れて人の往来せざるところで、夜分静まりたる頃、東方に向かって施食する」とあり、真言僧侶は毎日この施餓鬼をしなくてはならないとあります。
 お盆では縁者だけではなく、餓鬼にも施しを与える日として、この日に行われています。中国では大地や川などにお供えを散じて祭る儀式もあります。豊永郷ではお盆の最後の日、八月十六日、東土居の河原で川施餓鬼がおこなわれます。僧侶が河原で供養をし、亡くなった方を送り出すと同時に、川に供物を流し施餓鬼供養も行われます。川施餓鬼に御参拝頂いた皆様には、紙の千体地蔵をお渡しいたしております。亡くなった方が、地蔵菩薩に見守られながら帰えられるように願い、送り出していただいています。 
 お越しになれない方は、私どもが代わりに流させて頂きます。お申し付けください。