万葉集での花の呼び名 | さふじゅ(双樹) |
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日本名 | ナツツバキ(シャラノキ)(沙羅双樹と勘違い) |
題詞 | 悲歎俗道、假合即離、易去難留詩一首并序 |
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訓読 | 竊(ひそか)に以(おもはか)るに、釋・慈の示教(しきょう)は(釋氏と慈氏を謂ふ)、 先に三歸(佛法僧に歸依するを謂ふ) 、五戒を開きて、法界を化(やは)し(一に殺生せず、二に愉盗(とうとう)せず、三に邪婬せず、四に妄語せず、五に飲酒せぬことを謂ふ)、 周・孔の垂訓(すいくん)は、前(さき)に三綱(君臣・父子・夫婦を謂ふ) 五教を張りて、以ちて邦國(くに)を濟(すく)ふ(父は義にあり、母は慈にあり、兄は友にあり、弟は順にあり、子は孝なるを謂ふ)。
故知る、引導は雖二つなれども、悟(さとり)を得るは惟(これ)一つなるを。但、以(おもはか)るに世に恒(つね)の質無し。所以(かれ)、陵(みね)と谷と更に變り、人に定まれる期(ご)無し。所以(かれ)、壽(じゆ)と夭(よう)と同(とも)にせず。目を撃つの間に、百齡(ももよ)已に盡き、臂を申(の)ぶる頃に、千代も亦空し。旦(あした)には席上の主と作れども、夕(ゆふべ)には泉下の客と為る。
白馬走り來り、黄泉には何にか及(し)かむ、隴上(ろうじょう)の青き松は、空しく信劍を懸け、野中の白き楊は、但、悲風に吹かる。是に知る。世俗に本より隱遁の室(いへ)無く、原野には唯長夜の臺(うてな)有るのみなるを。先聖已に去り、後賢も留らず。如(も)し贖ひて免るべき有らば、古人誰か價(あたい)の金(くがね)無けむ。未だ獨り存へて、遂に世の終(をはり)を見る者あるを聞かず。
所以、維摩大士も玉體を方丈に疾(や)ましめ、釋迦能仁も金容(こんよう)を雙樹に掩(おほ)ひたまへり。内教に曰はく、黑闇の後に來るを欲(ねが)はずは、德天の先に至るに入ること莫(な)かれ。といへり(德天とは生なり、黑闇とは死なり)。故(かれ)知りぬ、生るれば必す死あるを。死をもし欲(ねが)はずは生れぬに如かず。況むや縱(よ)し始終の恒數(こうすう)を覺るとも、何そ存亡の大期(たいご)を慮(おもひはか)らむ。
山上憶良 5巻897歌の前の詩 「悲嘆俗道仮合即離易去難留詩の序の一部」 *注意 この作品には歌番号が与えられていません。 |
標訓 | 俗(よ)の道の、仮(かり)に合ひ即ち離れ、去り易く留まり難(かた)きを悲しび歎ける詩一首并せて序 |
原文 | 竊以、釋慈之示教、(謂釋氏慈氏) 先開三歸、(謂歸依佛法僧) 五戒而化法界、(謂一不殺生、二不愉盗、三不邪婬、四不妄語、五不飲酒也) 周孔之垂訓、前張三綱、(謂君臣父子夫婦) 五教、以濟邦國。(謂父義、母慈、兄友、弟順、子孝) 故知、引導雖二、得悟惟一也。但、以世無恒質、所以、陵谷更變、人無定期。所以、壽夭不同。撃目之間、百齡已盡、申臂之頃、千代亦空。旦作席上之主、夕為泉下之客。白馬走來、黄泉何及、隴上青松、空懸信劍、野中白楊、但吹悲風。 是知。世俗本無隱遁之室、原野唯有長夜之臺。先聖已去、後賢不留。如有贖而可免者、古人誰無價金乎。 未聞獨存、遂見世終者。所以、維摩大士疾玉體乎方丈、釋迦能仁掩金容于雙樹。内教曰、不欲黑闇之後來、莫入德天之先至。(德天者生也、黑闇者死也) 故知、生必有死。々若不欲不如不生。況乎縱覺始終之恒數、何慮存亡之大期者也。 |
左注 | (天平五年六月丙申朔三日戊戌作) |
校異 | 等 -> 壽 [紀][細] / 醎 -> 鹹 [矢][京] / <> -> 可 [西(右書)][紀][細][温] |
事項 | 作者:山上憶良 仏教 儒教 老 嘆翮 子供 天平5年6月3日 年紀 |
歌意味 | ひとり考えて見ると、釈迦・慈悲の弥勒の下された教え(釈迦と慈悲の弥勒をさす)は、最初に三帰(三帰とは、仏・法・僧に帰依することをさす)と五戒を示して仏法の世界の顕わし(五戒とは、最初に殺生をせず、二に盗みを行わず、三に淫乱を行わず、四に妄言を語らず、五に飲酒をしないことをしめす)、周公と孔子の垂れた教えは、最初に三綱(三綱とは、君臣の付き合い、父子の付き合い、夫婦の付き合いの決まりをしめす)と五教の主張を展開し、その教えを用いて国家を救済している(五教とは、父は義理を持ち、母は慈悲を持ち、兄は友愛を持ち、弟は従順を持ち、子は孝行を持つことをしめす)。
そこで、知るわけである。人を導く方法は仏教と儒教との二つあるのであるが、物の真実を知る真理は一つであることを。ただ、考察するに世の中に恒久の存在は無い。それで、丘陵と渓谷とは互いに変化し、人間に定まった生涯は無い。それで、天寿と夭折は共にはならない。
まばたきをする間に百年の命も忽ちに尽き、ひじを伸ばす間に、千年の時間も空しい。朝には集会の主催者となっていても、夕べには死出の先である黄泉の客となっている。
白馬のように歳月は我身を追いかけ来て、死出の先である黄泉に人の力はどうして及ぶでしょう。墓の上の青い松はその枝に空しく信義厚い李礼の剣を懸け、野中の白き楊はただ人の死を知らせる悲しみに葉を風に吹かれるだけである。ここに知る。
この俗な世の中に本来は死から逃れ隠れる場所はなく、原野にはただ永遠に明けることのない夜の墓場があるだけである。先の世の聖人は既に死に去り、後の世の賢者もこの世に留まっていない。もし、財貨で贖って死を免れるならば、昔の人で誰が死を贖う金を出さなかっただろうか、未だに、一人死から逃れ生きて、遂に世の終わりを見るまで生きながらえる人がいることを聞いたことがない。だから、維摩居士も御身体を方丈の部屋で病に倒れ、釈迦能仁も御身体を沙羅双樹に蔽われて亡くなられた。
仏典に云うには「死を誘う黒闇天女が背後に忍び寄るのを求めないのなら、生を司る功徳大夫の御前に至ることを行うのではない」という(徳天とは生を意味し、黒闇とは死を意味する)。そこで、知る。生まれれば必ず死があることを。死をもし求めないのなら、生まれてこないことに限る。ましてや、例え、生の始まりと死の終りの命の定められた年数を知ったとしても、どうして、死期の最後の時を思い遣ることが出来るでしょうか。 俗道變化猶撃目 俗道の變化は猶ほ目を撃ち 人事經紀如申臂 人事の經紀は臂を申ぶるが如し 空與浮雲行大虚 空しく浮雲と大虚を行き 心力共盡無所寄 心力共に盡きて寄る所無し |
解説 | 老いた身体に病気が加わり長年の間苦しんだうえ、さらに子供たちのことを心配する歌七首① 目録の題詞は〈山上憶良重病思児等歌〉となっている。 |