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歓喜天、聖天尊
聖天尊は歓喜天とも呼ばれています。歓喜天は密教と共に空海によって日本にもたらされました。空海は806年に唐から帰朝した際に、持ち帰った物を御請来目録に記録しています。その中に『大聖天歓喜双身毘那夜迦法』と『使呪法経』という歓喜天の経典があります。これが日本で最古の歓喜天の経典です。
歓喜天は、力の強い天尊として名高く、祈祷を行う行者もそれなりの覚悟をもって行う必要があるとされています。歓喜天は秘仏で、そのお姿は行者のみ拝することができます。祀り方や祈祷方法は様々ありますが、最も重要で深奥な歓喜天への祈りは浴油祈祷とされています。
歓喜天はいくつかの呼び名でインドでは呼ばれています。古い形は、農耕神だったと言われています。歓喜天の呼び名の一つはナンディケーシュヴァラです。ナンディカは歓喜、イーシュヴァラは王です。ナンディカは神の乗る牛の意味でもあり、手にはサトウキビや稲穂を持つ姿もあります。経典に多く登場するのは、ヴィナーヤキャという呼称です。障害物や困難を除去するという意味です。障礙や困難を取除き、願いを成就させるということで、商売繁盛や家内安全、当病平癒、開運福寿、学業成就などの願文が多いです。
粟生聖天(あおうしょうてん)
〇 定福寺の歓喜天(聖天尊)
定福寺で歓喜天の浴油祈祷が始まったのは、江戸末期だと伝えられています。江戸末期の高知市五台山竹林寺に高僧松窓律師という方がいらっしゃいました。松窓律師は師匠から相承された持念仏 の聖天尊を日々護持礼拝いたしておりました。持念仏の聖天尊を弟子の野本進甲師が、定福寺住職に晋山する際に授けられました。野本進甲師は多くの方にもご利益を受けられますようにと浴油祈祷の厳修がはじめられたとされています。一方で、定福寺には10冊の聖天尊浴油祈祷の経典が残されており、江戸時代の様子がうかがえます。
① 『聖天浴油法』
奥書 右為 門弟卅之 寳暦十二年四月十八日 於豊山 大黒所書写 苾蒭 性善八十七才
明和元甲申(1764)秋八月□□右御本於豊山杉片南窓模写焉 湛識成尊
② 『聖天供頚次第私記』 六帖 安政六年己未(1859)三月九日拝写之了 月殿龍寳
③ 『天秘術大叓』
奥書
為自行書調了 法務 寛順 辛己年八月洞泉律師伝授之砌拜写之年 闊了 隆円 生年二十六
干時明治十八年仲中六日於粟生山内道場 猪狩真浄 生年五十年
明治卅五年卯立春於定福寺右本拜写之焉 秀山 宥永生年二十四歳』
④ 『聖天法』
⑤ 『聖天』
奥書
御記云
建保二-七月廿七日於三寶院以御本書写了 金剛佛子憲□生年弐四歳
同七-二月六日高陽院殿仁王経法
萬延元庚申年(1860)皐月初六日 月殿房龍寳
⑥ 『大聖歓喜双身天王略念誦』
奥書
干時大正五丙辰年 太陰暦七月六日夜 於定福寺道場 松高竜海 生年十五歳
⑦ 『聖天秘法』
⑧ 『聖天次第』
奥書
宝暦辛巳年八月洞泉律師傳授砌拝写 隆円二十六歳
安永三年 書写恵明
天保七丙申龍祥書写 三十四歳
明治元年壬辰 於五臺山勧学院 淳善
明治八年 於月見山宝憧院 書写真浄 三十九歳
明治二十五年 於定福寺拝写 宥永二十四
昭和四十三年 明治百年 義光 書写
⑨ 『聖天浴油法 三憲』 平成23年 北野宥範作成 釣井龍秀蔵
⑩ 『聖天頚次第』 令和元年吉日 定福寺長老龍宏
以上より、定福寺では江戸中期頃から聖天尊の浴油祈祷が行われていた可能性があります。
定福寺の聖天尊は、家内安全・商売繁盛・当病平癒にご利益があるといわれており、開運福寿のご祈願が多く寄せられています。『粟生聖天』の氏子(子供)や信徒(熱心な信者)となり毎年お札を受けられる方もいらっしゃいます。現在、浴油祈祷を厳修し、お供物のお団を作っている寺院は、高知県下で定福寺だけです。
〇 お団
聖天尊の供物の特徴は、羅萄根(大根)と巾着の菓子の歓喜団(お団)と歓喜酒です。これらを祀ればいっさいの善事は意のままに実現し、一切の災いはことごとく消滅するとあります。
『使呪法経』に「左手に蘿蔔を取り右手に歓喜団を持つ」とあり、古くから蘿蔔根と歓喜団は歓喜天への供物には欠かせないものだったことがわかります。
経典には歓喜天が常に蘿蔔根(大根)を食べ、そこには吉祥菓もあったと記されています。蘿蔔根(大根)は、インドの説話によると解毒の作用があるとあります。蘿蔔根(大根)は歓喜天の日常食であり、薬効があるものとされています。
歓喜天のインドでの名前は、いくつかあります。その一つが、モーダカヴァラッバです。「モーダカを好む者」という意味です。モーダカとは糖菓子であり、『大日経疏』にも「摩荼迦」とあります。現在の歓喜団の形のレシピで古いものは、生駒聖天に残る宝暦4(1754)年のものだそうです。
定福寺の歓喜団(お団)の作り方は、野本進甲師以来受け継がれ、細かな指示がなされております。歓喜団は開白前(11月10日の少し前)に信徒の皆様の力を得て手作りされます。行者は衣を着け、祈りながらごま油で揚げる作業を行います。
歓喜団を作る日は、お手伝いいただく信徒の皆様も沐浴をし、精進料理で臨みます。よって歓喜団を作る日は、紅葉が美しい時ですが、本堂の階段までしか上がることができません。
〇 定福寺の行者
定福寺では 聖天浴油祈祷が毎年11月10日から11月16日まで1日3座(3回)修法をおこないます。期間中は、行者は三密庵という別棟に住み、家族とも離れ俗世間との接触を断ちます。浴油祈祷を修法する前には必ず沐浴をし、料理は完全な精進料理となります。精進料理も寺族をはじめ他の者が食していない最初の物が用意され、三密庵に運ばれます。行者は清浄な姿で籠ることにより力を蓄え、修法に臨みます。
また寺族も完全な精進料理となり、出汁や玉子や剌激のある食材など、浴油祈祷中は食しません。浴油祈祷の準備をする僧侶は、壇の荘厳や供物の交換の時は口を覆い清浄な出で立ちで行います。
よってこの期間中はどなたも本堂に入ることはできません。
〇 真言密教の加持祈祷
加持とは、仏が仏の大慈悲の力を祈願する人に加わえようとし、また仏の力を頂けるように祈願者が真剣に願い(信心)、仏の力を受けて持つことができる状態になる、相互作用を加持といいます。その力を加持力といいます。真言宗では加持祈祷は、三つの力が合わさった時に、あまねく供養(願い)が成就するといわれます 。三つの力とは、仏の加持力(浴油祈祷では歓喜天の力と祈願者の力)、行者の功徳力、そして法界力です。功徳力は、功能福徳という意味です。善行(善い行い)の結果として得られる力のことです。行者が功徳力を得るためには、清浄に籠り、修法に向かう準備をし、真剣に集中して修法に取り組むということが必要です。法界力とは、仏の大慈悲の力と祈願者の信じる力が出会う場の力ということです。真言宗では、お祈りをする場所の荘厳の様子や空間、空間の香りなどを大切にいたします。それらは祈る場の力を得るためでもあります。定福寺もその場所の一つであり、また各家庭にもそのような場があると思います。
真言宗でも最上級の加持祈祷が聖天尊の浴油祈祷です。
聖天浴油祈祷の期間と申し込み方法
(1)歓喜天浴油祈祷の期間
浴油祈祷は、11月10日~16日まで行われます。11月10日までにお申込みいただいた方は、111月10日~翌年11月9日までご祈祷をさせて頂きます。また、その後にお申込みいただいた方は、浴油祈祷された木札にお名前と祈願を記し、更に1週間ご祈祷をさせて頂いたのちにお届けいたします。
(例)11月1日にお申込み頂いた方
11月16日に木札をお届けし、11月10日~翌年の11月9日までご祈祷いたします
(例)12月10日にお申込み頂いた方
12月10日から1週間ご祈祷し、木札をお届けいたします。12月10日~翌年11月9日までご祈祷をいたします。
(例)1月10日にお申込み頂いた方
1月11日から1週間ご祈祷し、木札をお届けいたします。1月10日~11月9日までご祈祷をいたします。
(2)お申し込み方法
申し込み用紙にご記入の上、お寺にご持参いただくか、FAX、郵送、e-mailにてお申し込みください。
① 「ご祈祷者」の欄には、お願いをされる人をご記入ください
② 「願主」の欄には、お願いをする人をご記入ください
③ 「御祈祷の定」の欄は〇をつけてください
(例)母親が娘の合格祈願をする場合
① ご祈祷者 娘の名前
② 願主 母親の名前
* 郵送を希望の方は、送料1,000円をお願いいたします。
* ご入金が確認でき次第、ご祈祷がはじまります。
(3) 永代浴油
永代浴油は、その方が永代受けられるご祈祷です。こちらもお申込できます。
御両親や両祖父母がお子様やお孫様のためにお申込みいただいた際は、住所がわかる限り、木札と紙札をお届けいたします。また、ご住所が不明になられた場合でも浴油祈祷は、定福寺で続けさせていただきます。ご安心ください。
お申し込みの方は、石碑が建立されます。
永代上品浴油 150万円
永代中品浴油 100万円
永代浴油 50万円
連絡先
〒7890167 高知県長岡郡大豊町粟生158
TEL 0887-74-0301
FAX 0887-74-0302
e-mail:tosa-jofukuji@gmail.com