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般若心経写経講座

定福寺 釣井龍秀
1.仏教概論
1.1.仏陀
1.1.1.お釈迦さま誕生前後の時代背景
1.1.2.お釈迦さま誕生以前の文化風習
(1)輪廻思想の起源
(2)アニミズムとトーテミズム
(3)ダーナ 布施
(4)バラモン教
1.1.3.お釈迦さまの生涯
(1)誕生
(2)四門出遊
(3)出家
(4)修行
(5)成道
十二縁起
布施
(6)梵天勧請
(7)初転法輪
(8)伝道
(9)自灯明・法灯明
(10)入滅
1.2.部派仏教
1.2.1.法(ダルマ)について
1.2.2.
(1)四苦
(2)八苦
(3)苦の三つの側面
(4)一切皆楽・常楽我浄
1.2.3.煩悩
1.2.4.縁起 縁起とは何か
1.2.5.十二因縁
1.2.6.輪廻について
1.2.7.インドの考え方 ~世界の構造~
1.3.大乗仏教
1.3.1.大乗仏教とは
1.3.2.空の変遷
1.3.3.自性の変容
1.3.4.唯識派
1.3.5.唯識派と中観派
1.3.6.論理学派
1.3.7.如来蔵思想
1.4.インド後期仏教 密教 インド後期仏教 7世紀以降
2.仏教とは
2.1.仏教の目指すところ
2.2. 仏教の社会の捉え方
(1)物理世界と精神世界
(2)多様性
3.仏教経典
3.1. 聖典
3.2.写経
4.般若心経について
(1)日本の『般若心経』
(2) 般若心経の編纂
(3) 玄奘訳と羅什訳
(4)「玄奘訳」と「流布本」の違い
(5)「小本」と「大本」
(6)チベットの『般若心経』
(7)『般若心経』を理解する方法
4.1.『般若心経』解題
5.『般若心経』解説
5.1.序文
5.2.世尊の瞑想
5.3.観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
(1)観自在菩薩
(2)行深般若波羅蜜多時
(3)照見五蘊皆空
(4)度一切苦厄
5.4.舎利子の問い
(1)
(2)有為法と無為法
(3)
(4)不相応行
(5)五蘊
(6)自性
5.4.1.存在について
(1)世俗と勝義
(2)有身見
5.4.2. 空と無自性
5.4.3. 空性の理解
5.4.4. 空性と縁起
(1)
(2)縁起
(3)勝義諦と世俗諦
(4)空性と縁起まとめ
5.4.5.修行者の理解
5.5.舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
(1)舎利子
(2)色即是空
(3)空即是色
(4)色不異空 空不異色
(5)縁起
(6)受想行識 亦復如是
5.6. 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 (甚深八句の法門)
6.瞑想
6.1.転法輪
6.2.四諦
6.3.三十七道






1.仏教概論

仏教が僧侶や仏教徒に伝える教えや修行は、お釈迦さまの生涯の追体験になっています。またお釈迦さま入滅後の弟子たちの教えの解釈は、時代ごとに精緻になっていきます。最初に仏教のお釈迦さまの生涯を知り、その後の仏教の活動を知ることで、仏教の概観を把握できればと思います。

1.1.仏陀

1.1.1.お釈迦さま誕生前後の時代背景

 仏教の修行は、お釈迦さまの追体験になっています。よってお釈迦さまが覚りを開かれる前に世界をどのように観じられ、覚られるまでどのような行動をされたのか、また覚られた後、どのような行動をされたのかを知ることが、仏教を理解するためには必要になります。
 仏教は紀元前500年頃にインド北部で誕生したお釈迦さまが覚りをひらき仏陀となられ、その教えに導かれた人々によって集団が形成されてきました。
 インド北部でおこった仏教はインドの宗教であると考えたくもなりますが、お釈迦さまはインド人ではなかったようです。お釈迦さまの生まれたのは、ヒマラヤ山麓の小国でインド平原とヒマラヤの中間地帯に位置するルンビニという場所でした。お釈迦さまは一般的にはサーキャ族の王子だったとされています。
世界中の様々な地域で科学者たちがDNA鑑定をおこなっております。それによりますとお釈迦さまの生まれた地域は、モンゴロイド系の人々と一致する鑑定結果がでています。サーキャ族などの習慣や仏教の起こりをみてみますとやはり非アーリア人たちの住む場所だった可能性があります。ちなみに日本人はバイカル湖周辺の地域の人々とDNAが極めて似ているということが判明いたしております。
 お釈迦さまが誕生した紀元前5,6世紀頃のインド社会は変革の時期だったようです。種族社会の中心である血縁的共同体社会、非君主制社会から君主制の社会に変化する時期であり、政治的国家の出現により族制は地縁的な村落共同体となり、階級的にはカースト制が導入されています。また物々交換から貨幣が導入され市場が発達する時期でもありました。その中で依然、種族社会共同体も存続している地域も多かったようです。
 インドは独立した寡頭政治的国家(インディアンのように族長が話し合いまとまっていた集団)から独立した王国である君主制に移り変わり、全土を支配する帝国ができたとされています。
 コーサーンビーやE・J・トーマスなどは、ヴァッジー、サーキャ、カーシ、マッラ、コーリヤは種族名であり、いかなる国家名でもないと考えていました。宮坂宥勝猊下は『仏教の起源』の中で「初期仏教教団は本質的にいって、サーキャ、リッチャヴィ、マッラ、コーリヤなどの諸族間における種族民主主義に基づいて形成されたものである。昔の破滅した種族法に代わって現われたのが、仏法であった。初期仏教が国家権力に対して対置的、否定的な位地を確立しえた秘密をとく鍵は、族制の模倣という点にあると考えられる」と述べられています。
 これは国家という高度な発展段階にいたにもかかわらず、なお種族的な段階に留まり、君主制になっても種族の習慣を引き継いでいたということで。そのなかから誕生したのが仏教ということになります。
S・ラダクリシュナンは「サーキャは完全な種族であり、彼らの間にはいまわしい王権のようなものは何もなかった」と述べられ、一方、G・P・マララセーケーラは「サーキャ族は首長をもっていた」と述べています。中沢新一氏は、お釈迦さまの父親は王といわれていますが、その性格はむしろ首長に近い存在であったように思えると述べられています。
 このような時代背景の中でサーキャ族はインドの宗教とは違う、独自の宗教を信仰していた様子がうかがえます。宮坂宥勝氏は『仏教の起源』で「仏教は釈尊によって突然変異的に此の地上にもたらされたものではなく、氏族または種族に固有な宗教としての永い前史を有するであろうことは、初期仏教における伝承を虚心坦懐(きょしたんかい)に読むならば、何ぴともこれを否定することはできないであろう」と述べられています。

1.1.2. お釈迦さま誕生以前の文化風習

仏教のなかに種族の信仰・文化はどのようにいきづいているのでしょうか。宮坂猊下の『仏教の起源』を参考に見てみます。名前から種族の特徴が垣間見えるということです。釈尊の時代の種族にはゴートラというインド特有の血族的共同体社会の観念があります。ゴートラはもと「牛囲い」という意味らしく、当時は氏族が共同で牛畜をしていたということです。サーキャ族はゴータマ氏族のほか数氏族によって構成されており、オッカーカを祖とすると伝えられています。ゴータマの意味は「最上の牡牛をもてる者」ということです。牛は農耕には欠かせない動物です。サーキャ族とコーリヤ族との間を流れるローヒニー河の灌漑による米作を行っていたこともあり牛は貴重でした。
 サーキャ族は食物採集・狩猟から移動耕作の段階を経て、やがて北インドのヒマラヤ山麓地帯に定住し耕作を始めるにいたったのですが、この史実を神話化したものがサーキャ族の祖オッカーカの物語の『王子流浪物語』です。
一族の信仰はどのようなものであったのでしょうか。宮坂宥勝氏は『仏教の起源』で「仏教はシャーキャムニがはじめて説いたものではなくて、非アーリヤ民族がヒマラヤ山麓地方で古くから信じていた宗教に基づくものであり、シャーキャムニはこの民族宗教を深く極めた上で、ガンジス河の南岸マガダ国においてバラモンの宗教と新しく説いたものである。したがって民族的制約を越えて普遍的な宗教となり世界的宗教となる素地があった」と述べられています。つまり民族宗教であるカミやスピリット、タマなどのアニミズムと言われる古くからの信仰が仏教にはセットされているということになります。これらの信仰について、宮坂宥勝氏の『仏教の起源』には多く紹介されています。その中に種族ごとのトーテムについての記述があります。サーキャ族をはじめ多くの種族がトーテムを持ち崇拝していたことが確認されているということです。それは氏族の名前に動物名が付けられていることからもわかるとのことです。またサーキャ族は稲作をしていた種族であり、米やサトウキビを栽培していたようですが、『仏本行経』にはこのサーキャ族がサトウキビから生まれたという説話が書かれており、彼らは古くは植物をトーテムに持っていたことが窺えます。
 民俗学者のJ・G・フレーザーは『トーテミズムと異族結婚』という本でインド各地に残る米のトーテムを紹介しています。死と再生は様々な神話にも登場いたします。農耕儀礼に関しての死と再生の話が世界中にあります。『記紀』に登場するコノハナサクヤヒメの神話もその一つです。主食である米が輪廻思想にも関係していると述べられています。

(1)輪廻思想の起源

輪廻思想の発祥としてプラバーハナ王の「五火二道説」があります。「五火」とは火葬されると死者は月に行き、雨となって地にしみこみます。その雨により穀物が育ち、男がそれを食べ精子となり女性との間に胎児をもうけます。
 つまり、月→雨→(地)→(穀物)→食→精子→胎内となります。これが「五火」です。このように再生されると考えられました。次に「再生される道」と「再生されない道」の二つの道がありこれを二道といいます。これが輪廻の思想の発祥といわれていますが、「輪廻」という言葉ではなく「五火二道説」として登場するようです。この「五火二道説」が述べられているものが、バラモン教でとりあげられた『ヴェーダ』のシュルティ(天啓文書)の一つの『ブラーフマナ』(紀元前900~紀元前500年に成立したといわれている)です。
 コーサーンビー氏は『インド史研究序説』において、「一切の生類は食物から生じ、食物によって生存するとする『タイッティリーヤ・ウパニシャド』、『マイトリ・ウパニシャド』の食物哲学は優れて純化されたトーテミズムだ」と述べられています。

(2)アニミズムとトーテミズム

 コーサーンビー氏は輪廻思想の起源はトーテミズムに求めなければ解決し難いと主張しています。 仏教の重要な思想の輪廻も仏教以前の風習や習慣、信仰と関係しているように思われます。
 コーサーンビー氏はトーテムについて多くの階級が種族に由来し、しかもそこにはトーテムの特徴が表れていることを指摘されています。鰐・狼・孔雀・菩提樹を意味する姓を持つ種族があり、全住民が同一姓を持つのもトーテムに由来していると述べられています。
 またサーキャ族と同じオッカーカを祖とするコーリヤ族の中のラーマ・ガーナ氏族がナーガ(龍)のトーテミズムを持っていたことが『大般涅槃経』の韻文から知ることができます。つまりお釈迦さまの母であるマーヤーの種族はナーガがトーテムであったと思われます。仏教にもナーガ(龍)の信仰が様々な形で残っています。このナーガはインドの毒蛇であり、この毒蛇に対しての恐怖が畏敬の念となり水への信仰となります。なぜ、蛇が水に関係するのでしょうか。中国の神話にも龍・蛇が水と関係していました。J・ph・フォーヘル氏によるととぐろを巻いた蛇の形が雨雲の形に似ている為に水と結合したと述べられています。初期の仏典にはナーガは神通力を持ち、水に住むと各所に登場しているということです。インドにも龍の信仰があります。ナーガの起源は諸説あるようですが、インダス文明(紀元前3000~)のモヘンジョダロ(紀元前2300~紀元前1800)の遺跡から発掘されたレリーフに瞑想をする人の横に両側から手をさしのべる人があり、その更に横に龍らしきものが立っているレリーフがあることからすると相当古い信仰という事になります。
 ナーガをトーテムとし祀るのは非アーリア人ということが言われていたようですが、これらのインダス文明の遺品の資料・報告書から実証されたようです。古い初期仏典の記述に釈尊を「優れたナーガ」としているものもあり、ナーガの信仰は深いように思われます。
 ナーガの信仰について宮坂猊下がおっしゃられるには、種族社会のナーガ信仰は仏教以前からあり、族制社会では崇高な神格が与えられていたということです。また、ナーガの神格の背景には水田用水の支配者である族長の力が存在しており、農耕種族の間では「水とナーガ」、「樹木とナーガ」が結び付けられることになりました。
 樹木は繁栄を象徴したものであり、樹木と結合した場合のナーガに対する祈願は豊作祈願ということになります。また、ナーガと火の関係も農耕と関わるものであり、ナーガ族の農耕生活の基盤として発生したことは明らかだと述べられています。族制社会が崩壊し国が建設されると、ナーガなどの種族のトーテムは低級な礼拝信仰とされ、大乗仏教では仏法を守護する護法神となります。ナーガは仏伝や神話にも登場していますが、インドの農耕種族社会との深い結びつきがわかります。
 蛇・龍の信仰はインド・中国ともに農耕・豊穣に関係することからこれも全く違った文化ではないように思われます。このように、仏教が成立した環境は「八百万の神々」がいる世界であり、また様々な要因から考えるとお釈迦さまも非アーリア人であり、モンゴロイド系だったように思われます。
族制社会の教えが仏教に取り入れられていることからも想像できます。

(3)ダーナ 布施

種族共同体社会では、米は元来種族民の共有物であり、灌漑用水なども共同利用をしていたようです。それは日本の縄文時代からも共同生活の様子が伺えます。共有物である米を分配する様式のことをインドでは「ダーナ」と言っておりました。これはサーキャ族以外の種族でも行われていた分配様式だったようです。「ダーナ」は日本では音写され「檀那」となりました。「ダーナ」はインド・ヨーロッパ語の英語では「ドナー」になります。「ダーナ」の意味は「布施」です。つまり、族制社会の分配する制度が布施だったのです。仏教の布施という思考は、遥か昔から続く習慣だったということがわかります。アフリカのタンザニアの北部に住んでいるハッザ族では現在でもこの風習が日常的です。
 これらのことは仏教の教えの性質を考える上では、とても大きな意味をもってきます。
 仏教は間違いなく、アニミズムのカミや精霊の信仰がある族制社会の中か興ったのです。
 後世になりアニミズムを排除せず、守護神や護法神という形で協調していたと考えられます。アジア各地に仏教が広がった理由はそこにあると考えられます。他を排する宗教ではなく、モンゴロイドが持つ対称性と言われる感覚の上に成立した宗教だったということです。受け入れられた後は各国の特色に基づいた仏教に変化しています。仏教の素晴らしさがここにあります。

(4)バラモン教

 仏教が誕生した時代は、族制社会と君主制社会の間であったようですが、アーリア人の信仰していた、バラモン教が存在しました。バラモン教はバラモンと呼ばれる階級を中心に執り行われていた啓示宗教で、自然神を祭っていました。族制社会の教えを含んだ仏教は反バラモン教の立場でした。反バラモン教だった理由は、大まかに三つの点がありました。
第一にヴェーダ聖典(インド最古の聖典紀元前1500年~紀元後500年の間に成立)の権威を認められないというものでした。バラモン教は仏教からみると神の啓示ではなく、人為的なものと解釈されたためです。第二に有神論です。ブッダは創造主としての神を容認しませんでした。つまりカミ・スピリットは認められても万物を創造する神は認めませんでした。第三に仏教は無階級主義ということです。大きく分けてこれらの点で慣習的な階級社会であるバラモン教と司祭職であるバラモンと異なっていました。

1.1.3. 仏陀の生涯

 (1)誕生

 お釈迦さまの父はガウタマ氏のシュッドーダナは、コーサラ国の属国であるシャーキヤの王で、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーです。マーヤーは、出産のための里帰りの途上、カピラヴァストゥ郊外のルンビニで子を産んだとされています。生まれ出て7歩あゆみ、右手を上に、左手を下に向けて、『天上天下唯我独尊』と言ったとあります。マーヤーは出産した7日後に他界し、シッダールタは、シャーキャの都カピラヴァストゥで、マーヤーの妹マハープラージャーパティによって育てられました。シッダールタはシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、教養と体力を身につけていたとされています。16歳または19歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、跡継ぎ息子としてラーフラをもうけました。
 「天上天下唯我独尊」は玄奘三蔵の見聞録の『大唐西域記』の仏陀降誕の聖跡を訪ねた場面に記載されています。「天上天下唯我独尊 今茲而往生分已尽」とあります。これは中部経典所収の『希有未曾有法経』がオリジナルと考えられています。「私は世間で最上、最尊のものである。これが最後の生であり、もはや後有はない」とある。「この生で、迷いの生は尽きた」「もはや後有はない」というのがポイントです。世界の最勝者として君臨すること自体を誇る意味ではありません。[宮崎:56]
 「梵天勧請」と関連していると考えられます。「この世の中で人々を救えるのは梵天ではなく私である」ということを言っているようにも思える。「俺が偉いんだ」というような話ではない。[佐々木:57]

(2)四門出遊

お釈迦さまが出家を志すに至る過程を説明する伝説に、四門出遊 の故事があります。お釈迦さまが初めてカピラヴァストゥ城から外出したとき、最初の外出では老人に会い、2回目の外出では病人に会い、3回目の外出では死者に会い、この身には老いも病も死もある、との避けられない苦しみを感じた(四苦 )とされています。4回目の外出では一人の沙門に出会い、老いと病と死にとらわれない違った生き方を知り、出家の意志を持つようになりました。
「ニダーナカター」には、父親のスッドーダナ王が「何を見て息子は出家してしまうのだろう」と問うと延臣が「四つの前兆を見たなら出家なさるでしょう。それは老人と病人と死人と出家者です」と答えている。「ニダーナカター」には、展開の神々がシッダッタ王子に出家を促すために、老人、病人、死人、出家者の姿を作り出して王子に見せたとなっています。長部経典・ニカーヤにも「四門出遊」のエピソードは出てこない。[宮崎:58]
 「四門出遊」はよく練られた物語です。「仏教とはこういう宗教だ」ということを見事に表現している。老と病と死は人間にとって避けることのできない苦しみであり、仏教が何を目指す宗教なのか人々にきちんと伝える働きがあります。
 仏教が解決しようとしている問題は、あくまでも「この私」の生老病死の苦(四苦)と、その原因とも結果ともなりうる、「この私」の存在性質をめぐる苦を加えたもの(八苦)です。これらを明らかにした挿話が「四門出遊」です。[佐々木:59-60]
 もう一点、この時のお釈迦さまは王子であり、何不自由のない暮らしをしていました。増支部には「いとも快く、無常に快く、きわめて快くあった」と回顧しています。[宮崎:60]
 これ以上の贅沢や幸せはないという状況にあったにもかかわらず釈迦は苦しみを抱えていました。つまり仏教の「一切皆苦」という世界観が強調されています。どのような社会的状況にある人間にも等しく降りかかる苦悩からの脱却を目指すという点で、仏教はどのような時代、どのような社会の人々にも有効な救いの道となり得る可能性があり、それは現代社会においても役立ちます。[佐々木:60-61]
 

(3)出家

シッダールタは王族としての安逸な生活に飽き足らず、また人生の無常や苦を痛感し、人生の真実を追求しようと志して29歳で出家しました。ラーフラが産まれて間もない頃、深夜にシッダールタは王城を抜け出し、当時の大国であったマガダ国のラージャグリハを訪れ、ビンビサーラ王に出家を思いとどまるよう勧められましたがこれを断りました。
 出家者は世捨て人ではありません。世間とのしがらみを一切断ち、孤立無援の状態で暮らそうとしたわけではありません。森の中には多くの先達の修行者がいて、その世界の一員になろうとしました。俗世間の価値観で生きることが難しく、独自の世界観の中で特殊な生き甲斐を追求する人たちが集まって、集団をつくると、一種の島社会になります。釈迦は森の中で暮らしていた修行者たちの島社会に入っていったという意味で出家です。[佐々木:62]
 出家者の共同体の目的や性質が世間の観点からみて脱世事的だったので、世捨ての隠遁生活だと勘違いする人がいました。[宮崎:63]

(4)修行

① バッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察するも、バッカバは死後に天上に生まれ変わることを最終的
な目標としていたので、天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると覚りました。
② 次に教えを受けたアーラーラ・カーラーマの境地(無所有処定)およびウッダカラーマ・プッタの
境地(非想非非想処定)と同じ境地に達したが、これらを究極の境地として満足することはできませんでした。これらでは人の煩悩を救ったり真の悟りを得ることはできないと覚りました。
この三人の師はシッダールタの優れた資質を知って後継者としたいと願ったが、シッダールタはこれらのすべては悟りを得る道ではないとして辞し、彼らのもとを去りました。
③ ウルヴェーラー(ヒンディー語版)の林へ入ると、父のシュッドーダナは、シッダールタの警護も
兼ねて五人の沙門(のちの五比丘)を同行させました。その後6年の間に様々な苦行を行いました。断食修行でわずかな水と豆類などで何日も過ごした。断食行為は心身を極度に消耗するのみであり、シッダールタの身体は骨と皮のみとなり、やせ細った肉体となっていました。しかしスジャータの施しを得たことで(乳粥供養)、過度の快楽が不適切であるのと同様に、極端な苦行も不適切であると覚ってシッダールタは苦行をやめました(苦行放棄)。その際、五人の沙門はシッダールタを堕落者と誹り、彼をおいてワーラーナシーのサールナートへ去りました。
 最初のアーラーラ・カーラーマ師、次にウッダカ・ラーマプッタ師の下で瞑想・禅定の修行を行った。伝承では、瞬く間に会得して、涅槃に近い境地に達したとされています。
 アーラーラ・カーラーマ師の下で「無所有処(むしょうしょ)」、次にウッダカ・ラーマプッタ師の下で「悲想非悲想処(ひそうひひそうしょ)」に達したとされています。どちらも三界論 では、最上位の無色界に位置付けられています。
 「無所有処」は、「何もない」という想いが定着した心的状況。「悲想非悲想処」とは、その「何もない」という想いすらもなくなった境地「ないのでもなく、あるのでもない」という境地。これは従来の方法による瞑想、禅定の限界を示した挿話と解するべきだとされています[宮崎:63]
 「無所有処」、「悲想非悲想処」とも精神の集中レベルを表す言葉ですが、極めて高いレベルに達しても、釈迦が悟ったということではありません。単に瞑想の名人になったという話です。2人の師には足りないものがあったということになります。それは何かといえば「智慧」です。瞑想は悟りに至るための単なるスキルに過ぎないという位置づけです。当時のインドの修行者たちの間では、瞑想をどう位置付け、どういうふうに使っていくかについては、様々な考え方がありました。[佐々木:64]
 仏教の知恵は「客観的な推論や知識に基づく知見」とは違い、宗教的な意義を含みこんだ言葉です[宮崎:64]
 仏教で智慧と言えば、煩悩を消し、業のパワーを無力化することに役立つ知力のことをいいます。自己の努力を涅槃へと方向づける知的パワーを智慧といいます。[佐々木:64]
 次に5人の修行者たちと共にウルヴェーラーの林に入り苦行に励みます。苦行はサンスクリット語で「タパス」といい、語源は「熱」です。熱によって「煩悩」を焼き尽くし、心身を浄化するという意味が込められています。[宮崎:64‐65]
 断食修行では、6年間ガリガリに痩せるほどの修行を続けましたが、悟れず無駄だと気づきます。托鉢でもらった食物で健康を回復し、その後にスジャータという娘からもらったミルクがゆで体力をつけてから、やっと本当の正しい修行に入ります[佐々木:65]
 この苦行を否定するという宗教的な意味はとても大きかったと考えられています。[宮崎:65]苦行は悟りへの道ではないと明確に打ち出しています。他の宗教が採用している苦行の道でも、お釈迦さまと同じ悟りに到達できるのではないかという疑問に対して、この失敗譚をいれることで、釈迦の道一本しかないということが明確になります。[佐々木:65]
 しかし、「苦行が最終的に放棄されたのは事実ですが、釈迦が苦行のプロセスで得たものはあったに違いない。例えば不退の精神力とか、亡失しない念の確立などは苦行なしには獲得できなかっただろう」という議論がある。これは平川彰や玉城康四郎などの説です。[宮崎:66-67]
 中国の仏教学会にも、頭蛇行があるので「仏教は苦行を捨てていない」という意見がある。頭蛇行はお釈迦さまが設定した出家者としての最低限の生活ラインのことであり、苦しみ自体に何らかの価値を見出していたわけではありません。頭蛇行には肉体的苦痛は含まれません。頭蛇行の上に余得として人々からもらう布施を受け取ってもよいと言っていたが、その余得をもらおうとする気持ちを抑えるのが頭蛇行の本質です。[佐々木:67-68]

(5)成道

35歳のシッダールタは、ガヤー(現在のガヤー県内)の近くを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜の布施を受け、体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、覚りに達して仏陀となりました。これを「成道」といいます。
この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起と十二因縁を覚りました。8日目に尼抱盧陀樹(ニグローダじゅ)の下に行き7日間、さらに羅闍耶多那樹(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間、座って解脱の楽しみを味わった。22日目になり再び尼抱盧陀樹の下に戻り、覚りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかをその後28日間にわたって考えました。その結果、この真理は世間の常識に逆行するものであり、「法を説いても世間の人々は覚りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至りました。
菩提樹の下で悟りを開いたことは、印象的です。風通しの良い丘の、生い茂った菩提樹の木陰というのは、太陽の照射が厳しいインドでは、快適で安楽な場所。苦行とは正反対の場所であり、肉体的な負荷を少なくして、ひたすらに精神集中して自分の心に向き合うのが仏教なんだということがわかります。瞑想のレベルには8つ、もしくは9つの段階があります。[佐々木:69]
 アーラーラ・カーラーマ師で到達した「無所有処」は無色界の上から2番目の定です、ウッダカ・ラーマプッタ師で到達した「悲想非悲想処」が無色界で最も高い段階の定。「ニダーナカター」にはないですが、「滅尽定」は「滅受想定」などとも呼ばれ、物質も精神もなく、色界も無色界もない。太陽も月も存在せず、この世もあの世もない。これこそ額の終止だと者かは断じています。しかし、多くの伝承が、お釈迦さまが悟りを開いたのは、最も超越的な境地と思われる「滅尽定」ではなく、色界最高位の第4禅定とされています。入滅に際して、お釈迦さまは初禅に入定し、滅尽定に達し、また初禅に向かい、最後は四禅に至って入滅します。アーナンダは、「滅尽定」で入滅したと誤認します。アヌルッダが滅受想定に入ったと言い、初禅、四禅となります。
<無色界>
ⅷ悲想非悲想処 滅受想定
ⅶ無所有処
ⅵ識無辺処
ⅴ空無辺処
<色界>
ⅳ第四禅
ⅲ第三禅
ⅱ第二禅
ⅰ初禅
<欲界>
散心(さんしん):私たちの普通の心

 私見として思考・表象・感覚・情動・意思・識別・言語作用がすべて消え去り、それらの対象も消え失せた滅尽定のでは、真理も観照すること自体が不可能ではないだろうか。田中公明は「仏教では禅定が修行の重要な要素になっていたが、禅定によって高度な精神集中を達成しても、そこで『十二因縁』のような仏教の真理を観察しなければ、悟りは開けない。(中略)そこで精神集中と心理の観察を平等に修することができる、色界の四つの禅定が修行に最適なものとされ、その中でも最高に位置づけられた四禅が、重視されるようになったのではないか」[『性と死の密教』.1997.田中公明]
 このように捉えると、龍樹の「中論」第二十四章にみえる、「言語活動(言説)によらずして、究極的なもの(勝義)は説示されない。究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない」という偈文にも通じます。[宮崎:69-73]
 インド文化の中に根付いた瞑想システムを取り入れていったので、仏教の教えと齟齬が出てくる瞑想状態があります。釈迦の入滅から数百年たったアビダルマ(阿含・ニカーヤを基本とした哲学体系)の時代になると、整合性を持たせようとし、まとまった体系になりますが、源泉の阿含・ニカーヤまでたどると辻褄のあわないこともあります。[佐々木:74]

①  十二縁起

最初に悟ったのは「十二支縁起」と言われている。悟りとは何かを考えれば、縁起の体得が重要である[佐々木:74]
十二支縁起の原型として「スッタニパータ」第四章の争闘篇(862‐877偈)は気になる。しかし、「縁起」がテーラワーダ仏教(上座説部仏教)において定式的に説かれたり、仏教の入門書で略説されたりしている「十二支縁起」とは断じ難い[宮崎:74]
 十二支縁起は釈迦の後の時代にできた縁起説の完成体。原初的な縁起説もいくつもある。最終的に十二支縁起にまとめられ、アビダルマという精緻な哲学体系に引き継がれた。
 釈迦が菩提樹の下で悟ったというエピソードが作り話でと仮定すると、釈迦の悟りの内容がはっきりしていないことの説明も理解できる。つまり、釈迦はある時ある場所でハッと何かを悟ったのではなく、自分の考えを対処療法的に話しているうちに、徐々に仏教世界を作り上げていったというかのうせいだってある。成道の話だけ真実だとは確信する根拠はない。[佐々木:76]
 前田恵学は、悟りには展開があったとして、菩提樹の下の「最初の現等覚」とウルヴェーラーでの初の雨安居(うあんご)の時に得た「無上の解脱」の二度の悟りについてのべているが、佐々木は多段階的に展開し、釈迦の中で徐々に体系化されたと考えているのですね。その痕跡こそ「スッタニパータ」第四章「アッタカヴァッガ」にある争闘篇ではないかと推しています。[宮崎:77-78]

<十二支縁起>
Ⅰ 無明:二元の根本煩悩。生存本能。無知
Ⅱ 行:生活行為。意志作用。業が生み出される
Ⅲ 識:認識作用
Ⅳ 名色:精神的な存在と物質的な存在。認識の対象となるもの
Ⅴ 六処:眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官
Ⅵ 触:六つの感覚器官が感受対象に触れること
Ⅶ 受:感受作用
Ⅷ 愛:渇愛。本能的な欲望
Ⅸ 取:執着
Ⅹ 有:生存
Ⅺ 生:誕生
Ⅻ 老死:老いて死ぬという耐え難い苦悩

<四諦八正道>
Ⅰ 苦諦:この世は一切が苦であるという心理
Ⅱ 集諦:苦の原因は煩悩であるという心理
Ⅲ 滅諦:煩悩を消滅させれば苦が消えるという心理
Ⅳ 道諦:煩悩を消滅させるための八つの道
八正道 ⅰ 正見:正しいものの味方
ⅱ 正思惟:正しい考えを持つ
ⅲ 正語:正しい言葉を語る
ⅳ 正業:正しい行いをする
ⅴ 正命:正しい生活をおくる
ⅵ 正精進:正しい努力をする
ⅶ 正念:正しい自覚を持つ
ⅷ 正定:正しい瞑想をする

②  布施

菩提樹の下で7日間留まり、1人で解脱の愉悦にひたった。自受法楽という。近くのアジャパーラニグローダ樹の下でも七日間解脱の楽を享受し、次にムチャリンダ樹の下で七日間過ごし、アジャパーラ樹に戻る。ラージャーヤタナ樹の下にいた時に、ダプッサとバッリカの商人が釈迦の立派さに心打たれて、お菓子を差し上げる。これが仏教史上初の布施です。しかも托鉢の起源でもあります。[佐々木・宮崎:78]この仏伝のエピソードは、仏教サンガの修行者たちがどうやってご飯を食べていくのかということを、はっきり示しています。仏教サンガの経済的な運営基盤はお布施だけなんだということを示しています。出家者は生産活動に一切携わらずに、布施だけに頼って生きていきます。[佐々木:79] 資本主義経済の視点からすれば、自分を救うためだけに修行に打ち込んでいる集団が、人さまからの喜捨を頼りに生活をするのは虫がいい話とも受け取れます。[宮崎:79-80]徹底的に生き甲斐を追求するためには、社会からの厚意に完全に依存しなくてはならないという構造です。[佐々木:80] お寺というのは、ある程度栄えている町のそばになければなりませんでした。地方や人里離れた山奥では、托鉢では生きていけなくなります。余剰の富がある場所でなければ仏教は絶対に生きていけません。[佐々木:80] お釈迦さまが伝道の拠点として精舎を構えたのは、大都市の近郊です。紀元前6世紀頃のインド北部は貨幣経済がかなり発達し、富が蓄積され、同時に権力の集中もみられました[宮崎:80] お釈迦さまが教団を設立した当初は、仏教に帰依したのは大きな都に住まう王族や富豪たちが中心でした。仏教ははじめから都市宗教として出発しました。仏教は支えてくれる在家信者たちのそばにいなければ成り立たない宗教なのです。[佐々木:81]
 近年は、仏教はまるで清貧を説き、市場経済を否定するものであるかのごとく誤解が拡がっていますが、間違いです。そうではないからこそ、商業活動を営む人たちがお釈迦さまの教えに熱心に耳を傾け、そのうちの何人かは出家していきました。[宮崎:81]
仏教の「人からもらったものだけで生きる」という方針は、一見、資本経済に反するものに思えるし、サンガにとっても脆弱な基盤の上に置いてしまう気がしますが、歴史的事実として、仏教サンガは2500年も続いています。実際に、2500年続く組織というのは、他にはどこにもありません。それだけに、ここには釈迦の深い洞察が隠されていると考えるべきです。支援者に完全に依存して組織を運営するというお釈迦さまの敷いた路線が、どれほど強力なサステナビリティを持っているか、改めて注目するひつようがあります。[佐々木:81-82]
 仏教サンガは、最初は貨幣を寄進されると遺棄していました。そのうち、速やかに物品と交換し出家者全員で共有するようになります。さらに貨幣のままで蓄積するようになり、金融活動に乗り出し、得た利子収入で教団の運営に当てるまでになりました。[宮崎:82]
 『根本説一切有部律』に、僧侶1人ひとりが個人資産の持つことは原則禁じられているのですが、サンガ自体が組織として基金を保有することは構わないとあります。更にその基金を運用し、在家に貸付て、利息を取るという方法が奨励されています。証文も取り、担保も設定して、正当な金融業としてサンガ資産を増やしていく。利益はサンガの維持管理に回して、それによって修行の環境を整備していく。サンガの基本理念は質素倹約ではなく、修行生活の効率化にあるということがわかります。[佐々木:82]
 経典にも、商業やお金にまつわる譬えや挿話が結構ある。仏教は相対的で流動的な世界の在り方痛感しながら生きている人々に積極的に受け入れられてきました。しかしそのような人々の世界像を全面的に肯定したわけではありませんでした。中村元が指摘する通り、「都市的生活をそのまま肯定したわけではなくて、都市的生活の否定態において原始仏教の出家者教団は成立していた」とのべている。上座説部の瞑想法を欧米に伝えているバンテ・H・グナラタナ長老は、仏教を生み出した紀元前6世紀の状況は、現在と似ていると述べている。「急速な技術の進歩、富の増大、ストレスなど加速する変化が人々の安定した生活や仕事にプレッシャーをかけ、脅かしている。そうした中で仏陀は「究極の幸せに達する道」を発見された」と述べている[バンテ・H・グナラタナ『エイトマインドフル・ステップス』サンガ、2014][宮崎:83-84]
 今も昔も、世俗社会では幸せに生きていけない人たちのために仏教サンガは存在しています。でも、「ひとからもらったものでだけで食べていく」という教団を維持するためには、世間から「ものをあげたい」と思ってもらえなければなりません。つまり、周囲の人々から敬い慕われる教団でなければならない。「律蔵」という法律集は、社会に依存しながら独自の価値観を追求していこうとする組織が、社会との間にどういった関係性を構築するべきか示してくれる指針である[佐々木:84]

(ア)何のために布施をするのか
 在家の人々に説法をするときは、「布施・持戒・生天」をいう。「布施をして戒を守れば、来世は天に生まれ変わりますよ」という「次第説法」をする。最初から四諦八正や十二支縁起の話はしない。[佐々木:85]
 アショーカ王の碑文には、「現世において安楽ならしめ、また来世において天に到達せしめるため」とあり、アショーカ王が望んだのは生死輪廻からの解脱ではなく、あくまで来世で天界に往生するという「生天」でした[宮崎:85]
 アショーカ王が解脱とか悟りを一切語らないところに仏教の在家の関係が如実に表れています。在家信者の基本的なスタンスは、仏教サンガをサポートすることで、その果報として現世的な幸せを求めたと考えられます。もともとインドには「福田思想」があり、良い人に「布施」をすれば、悪い人に「布施」をするよりもよいリターンがあると考えられてきました。「布施」すれば来世ではあなたも僧侶になって悟れますよ、という方がきれいだけど、きれいごとだけではすまなくて、仏教はいろんな人の欲望を引き受ける存在でもありました。[佐々木:85]
 在家や異教徒には、仏教を受け入れやすくするために最初は生天などを説きます。相手の反応や理解度合いを確かめながら、徐々に仏教独自の高度な教義に進んでいきます。これが次第説法。「施論・戒論・生天論」はパッケージで伝授された。「生天思想」は、「極楽往生」と比類されるが、浄土教では、現世往生なのか、死後のプロセスの先にある往生なのか、往生即成仏なのかがあります。[宮崎:86-87] 極楽に往生するという概念は、「生天思想」から出たものであることは間違いありません[佐々木:87]

(6)梵天勧請

ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われました。これを「天勧勧請」といいます。3度の勧請の末、釈迦は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろうとして開教を決意した。
梶山雄一教授が「梵天勧請こそが、仏教における決定的瞬間なんだよ、君たち。この時に釈迦は変わったんだ」と授業で力説をしていました。[佐々木:88] 中部第二十六経『聖求経(せいぐきょう)』に「私が監督したことの真理はじつに深遠で、見がたく、理解しがたく、寂静で、すぐれていて、思考の領域ではなく、微妙で、賢者によって知られるべきものである。しかし、人々は執着を好み、執着を楽しみ、執着を喜んでいる。しかし、執着を好み、執着を楽しみ、執着を喜んでいる人々には、いわゆる<一切の自己形成力が静まること、一切の生存のしがらみを捨て去ること、渇愛を消滅すること、[穢れが]薄くなること、滅しつくされること(ニッバーナ涅槃)>というこの道理もまた見がたい。しかも、わたしが教えを説いたとしても、他の者たちがわたしのことをよく理解しなければ、わたしは疲れるし、がっかりするだろう」とある。「真理とは世間の流れに逆らうものであるという点は大切である。」[宮崎:89]
 社会の生き方は、苦しみを生み出す世俗の価値観をひっくり返して、正反対の価値観の中で安穏の境涯を手に入れようというものです。当然ながら、仏教の真理というものは、世の流れに逆らう非社会的な視点だということになります。[佐々木:89]
 ここにバラモン教の最高神、梵天ことブラフマンが説教を懇願します。バラモン教の最高神にお願いさせるという設定が仏伝作者の技能です。「私が教えを説いたからといって、世の中のすべての者が私の言うことを聞いて悟りの道へ行くわけじゃない」、釈迦は梵天勧請までは完璧な利己主義者で、一度たりとも他人のために何かしようなんて考えたことがありませんでした。しかも悟ったあともこのように思っていたのだから、お釈迦さまはエゴイストです。お釈迦さまは究極の苦からぬけだそうと修行していたので、「世の人のため」なんて考える余裕は全くありませんでした。お釈迦さまがそこまで利己的だったのは当然です。[佐々木:90-91]
 「世間の流れ」に乗って、滞りなく生きる、ということがどうしてもできない人間のための教えである。そういう者たちへの救済が仏教の第一義のような気がします[宮崎:92]
 梵天(ブラフマン)にサハンパティという名前をつけています。仏教以前からあったバラモン教は、ブラフマンが最高神であり常住不変の存在であり死にません。バラモンの世界を否定する仏教は、輪廻を説きます。輪廻の世界では生まれ変わります。バラモン教では永遠不滅の存在だった神の名前を、仏教ではサハンパティと名づくことで、ブラフマンという役職につくサハンパティとしました。つまりブラフマンは役職名になりました。釈迦の教えによってこの世のあらゆる生き物が救われるということではないけれど、その教えによって苦しみから解放されるものもいるのだから、その者たちのために教えを説いてほしい。と伝えられます[佐々木:92]
 梵天の再三の願いに、釈迦は仏眼をもって世間を観察します。すると汚れの少ない人多い人、怜悧な資質を持つもの、鈍重な資質の者、性格のよさそうな人悪そうな人、指導しやすい人しにくい人、過去の罪とその果報におびえて暮らす者など様々な者がいることを見る。まるで蓮池のようだと釈迦は感じます。花を水面に出すことなく沈んだままの蓮、水面ぎりぎりで作蓮、水面の上まで伸びて泥に汚されることなく蓮華を咲きほこらせる蓮などである。この観察によって、釈迦は、「耳ある者たちよ、不死の法門は開かれた。今まで信じていたものを棄てよ」といい、仏教の思想運動が始まります。[宮崎:93-94]
 「耳ある者たちよ」というのは、仏教は教えを広めることによって、すべての人を幸せにする義務はありません。基本的にお釈迦さまの言うことに反応する人だけを受け入れるという形なので、他宗のように布教することはしません。仏教に救いを求めている人がいたら、初めて手助けをするというだけです。仏教という宗教の社会的活動形態を決定する根本理念が見事に表されている。お釈迦さまは梵天勧請を契機として「世のため人のために」活動を始めました。利他である「他者のための活動」には異なる二つの形態があります。一つは、自分がまずその道を歩いて見せて、後に続く人たちの手本になる。そういう形での利他。もう一つは、相手を直接援助するという形での利他。前者はお釈迦さま、後者は大乗仏教の利他です。[佐々木:94-95]
 お釈迦さまが梵天の意を汲んで考え直したのは、万人が甚深微妙な悟りの内容を理解できると希望が持てたからではなく、あくまで少数の「耳を持つ」者ならば理解できるという希望が湧いたからです。[宮崎:94]
 坂井裕円の一文に「『縁起』とは、『物事は様々な因縁(原因や条件)に依って起こる』ということであり、世界の関係性の在り方を示している」とある。大乗仏教の縁起説に発展する萌芽として「一切法因縁生の縁起」がある。これは船橋一哉によれば「迷いの生にあっては、すべては種々様々な条件によって条件づけられて存在するもの、即ち条件に依存するものばかりであって、条件を離れて、条件と無関係に存在するもの、即ち条件に依存するものばかりであって、条件を離れて、条件と無関係に存在するものは一つもない」という縁起観である。これがお釈迦さまの教説に伏在していたと推定すれば、「縁起」は世界の関係性、相互依存性をも含意するものであったということになります。この縁起観を前提にすれば、「成仏を得道」し、悟りを完成させるのは論理的に「自己」においてではならないはずです。悟りは自己では完結できない。その自己は、その個は「種々様々な条件によって条件づけられて」仮に存立するものに過ぎない。他者との関係性において仮に「ある」かに見えるものだから。「この私」という存在が他を前提とし、多との関係において生じるものである以上、悟りが訪れ、住するのは自己とか他者とかの個ではなく、世界でなくてはならない。梵天勧請における釈迦の転回とは何かと問われれば、その本質は「悟りの未完」と答える。大乗的に偏向した解釈かもしれないが、そう感じる[宮崎:96-97]

(7)初転法輪

釈迦はまず、修行時代のかつての師匠のアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えを説こうとしましたが、二人はすでに死去していたことを知ると、ともに苦行をしていた五人の沙門(五比丘)に説くことにしました。ワーラーナシーのサールナートに着くと、釈迦は五人の沙門に対して中道、四諦と八正道を説きました。これを「初転法輪」と言います。五人は、当初はシッダールタは苦行を止めたとして蔑んでいましたが、説法を聞くうちに解脱しました。最初の阿羅漢はコンダンニャでした。法を説き終えた結果、世界には6人の阿羅漢が存在することになりました。
 初転法輪についてその内容は相応部第五集で説かれている。その他は、初転法輪をした事だけを書いている。最初にアーラーラ・カーラーマ師に教えを授けようとしたが亡くなっていた。次にウッダカ・ラーマプッタ師に授けようとしたが、亡くなっており、一緒に苦行をした5人の修行僧に教法を説くことにした。この5人の次に富豪の息子ヤサと54人の友人を出家させ、バラモン教の3兄弟で火の国アグニを崇拝する教団の指導者であった。彼らに随っていた1000人の弟子も帰依し、瞬く間に教団に成長した。1971年に田上太秀氏が出家者の動機を調べたものがある。上位は
 ・他人の出家 22.13%
 ・聞法 14.93%
 ・見仏 14.4%
 ・世俗放棄 9.33%
 ・神変力 6.67%
 ・生死の恐れ 8.13%
 ・・・・・
 この頃の出家と在家の目的の違いが徹底していたのか、「生天」「よりよき来世」を動機にした者はいない。[佐々木:100-106]
 釈迦にスッドーダナ王が「お前がこの都城で乞食をして回る姿をみるのは実に恥ずかしい。わが家計にそのようなことをした者はいない」と咎められ、お釈迦さまは「それはあなたの家系の話でしょ。わたしの家系は過去の諸仏です。数千人の諸仏はわたしのように乞食によって生を繋いできたのです」、血統ではなく、思想や実践を縁とする法統こそが継ぐべき系譜、伝統である、ということだと思われます。[宮崎:107]
 『根本説一切有部律』には、法統ではなく、血統が延々と書かれています。最初は法統を重視していたが徐々に血統に変化した様子がわかります。しかし、血筋家家系を虚構の権威だと考えていたことは間違いない。実際に仏教教団全体を統括するリーダーとして、釈迦の跡を継いだ人はいません。[佐々木:107] お釈迦さまは、ヤサの出家で増えたサンガに対して「インドの各地へ、1人ずつバラバラで行け」と解散命令を出しています。中心となる特別なサンガは作りませんでした。[佐々木:108]
 中央集権的ではない。ある弟子が、「教団はサンスクリット語を使うようにいたしましょう」と提案するとお釈迦さまは、「各々の言葉を使え」と命じています。上からの統一よりも多様性の中で生き延びる者こそが真の法であるという姿勢が見えます。[宮崎:108]
 出家者の話でチューラパンタカ(周利槃特)の話がある。兄は利発なマハーパンタカ、弟は記憶力が悪いチューラパンタカという兄弟がおり、出家したが弟は覚えることができず、兄から呆れられ、修行を諦めようとするが、釈迦に「お前にはお前にあった修行があるのだから無理するな。毎日箒で掃除しながら、塵やほこりを払いましょうと唱えていれば、必ず悟ることができる」と指導され、阿羅漢になるという話があります。[佐々木:109-110]
 <悟りの階梯>
・第1階梯 預流(よる)
 聖者の流れ(見道位)に入ったもののことで、今生の終わった後に、欲界と天の間を最大7回まで生まれ変わり、涅槃に入るとされる。須陀洹(しゅだおん)とも呼ばれる
 預流果:三界の煩悩を断じ終えて、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちなくなった位
 預流向:四諦を観察し、欲界、色界、無色界の三界の煩悩を断じつつある間
・第2階梯 一来(いちらい)
 四諦を観察することを繰り返していく段階で、今生が終わった後、欲界の人と天の間を1回だけ往来して涅槃に入るとされる。斯陀含(しだごん)ともいわれる
 一来果:欲界の6種の煩悩を断じ終わった位
 一来向:欲界の煩悩を9種に分類したうち6種の煩悩を断じつつある間。
・第3階梯 不還(ふげん)
 今生が終わった後、欲界には還らず、色界へと登り、色界の生を終わると同時に、そこから涅槃に入るとされている。阿那含(あなごん)とも呼ばれる
 不還果:欲界の残り3種の煩悩を断じ終わった位
 不還向:一来果で断じきれなかった欲界の3種の煩悩を断じつつある間
・第4階梯 阿羅漢
 今生の終わりと同時に涅槃に入り、再び生まれ変わることはないとされる。応供(供養を受けるにふさわしい者)とも呼ばれる。
阿羅漢果:すべての煩悩を断じ終わって涅槃に入った位
阿羅漢向:不還果を得た聖者がすべての煩悩を断じつつある間

 三友健容氏は「阿羅漢果は、本来、長遠なものではなく、死体を体得したものにとっては、すぐ得られるものであったが、日常行動を通じて、四諦の理解のみでは決して欠点なき人格円満者とはなり得ないし、社会の非難を避けることはできない。そこで釈迦も過ぎには阿羅漢果の記別を与えなくなった。ところが、それで阿羅漢果というゴールポストが次第に遠くなり、修行の途中でなくなる弟子が出てきた。その結果、まず不還果が説かれ、次いで一来果が説かれるようになったのである。一来・不還は本来命終者のための記別で、それが次第に修行段階を意味するようになった」という。さらに「一来果が成立したときには、極遅の鈍根者として極七返有 が説かれ、これがのちに預流果に併設されたと考えられる」としている。
 部派仏教や大乗仏教において悟りは、最初期の仏教よりもずっと遠く、それこそ無限遠に近い彼方に追いやられ、やがて悟りや成仏、涅槃や解脱以外の目標が設定されるに至った[宮崎:109-114]
 どこかに悟りを判定する客観的基準というものは存在しません。それが仏教の朗らかさの一面です[佐々木:114]

(8)伝道

釈迦はワーラーナシーの長者ヤシャスやカピラヴァストゥのプルナらを教化しました。ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの3人(三迦葉)は釈迦の神通力を目の当たりにして改宗しました。当時、この3人はそれぞれがアグニを信仰する数百名からなる教団を率いていたため、信徒ごと吸収した仏教教団は1000人を超える大きな集団になりました。
釈迦はマガダ国の都ラージャグリハに行く途中、ガヤー山頂で町を見下ろして「一切は燃えている。煩悩の炎によって汝自身も汝らの世界も燃えさかっている」と言い、煩悩の吹き消された状態としての「涅槃」を求めることを教えました。
釈迦がラージャグリハに行くと、マガダ国の王ビンビサーラも仏教に帰依し、ビンビサーラは竹林精舎を教団に寄進しました。このころシャーリプトラ、マウドゥガリヤーヤナ、倶絺羅、マハー・カッサパらが改宗し、集団に入りました。ここまでが、お釈迦さまが、成道されて2年ないし4年間の状態であったと思われます。

(9)自灯明、法灯明

お釈迦さまの伝記の中で今日まで最も克明に記録として残されているのは、死ぬ前の1年間の事歴である。漢訳の『長阿含経』の中の「遊行経」とそれらの異訳、またパーリ所伝の『大般涅槃経』などの記録です。
お釈迦さまは多くの弟子を従え、ラージャグリハから最後の旅に出ました。アンバラッティカへ、ナーランダを通ってパータリ村(後のパータリプトラ)に着きました。ここで釈迦は「破戒」の損失と「持戒」の利益とを説きました。
パータリプトラを後にして、増水していたガンジス河を渡り、コーティ村に着きました。次にお釈迦さまは、ナーディカ村を訪れここで亡くなった人々の運命について、アーナンダの質問に答えながら人々に、「三悪趣」が滅し「預流果」の境地に至ったか否かを知る基準となるものとして「法の鏡の説法」をします。次にヴァイシャーリーに着きました。ここはヴァッジ国の首都であり、アンバパーリーという遊女が所有するマンゴー林に滞在し、「四念処」や「三学」を説きました。やがてここを去ってベールヴァ村に進み、ここで最後の雨期を過ごすことになります。お釈迦さまはここでアーナンダなどとともに安居に入り、他の弟子たちはそれぞれ縁故を求めて安居に入りました。この時、お釈迦さまは死に瀕するような大病にかかりました。しかし、雨期の終わる頃には気力を回復しました。この時、アーナンダは釈迦の病の治ったことを喜んだ後、「師が比丘僧伽のことについて何かを遺言しないうちは亡くなるはずはないと、心を安らかに持つことができました」と言った。これについて釈迦は、「比丘僧伽は私に何を期待するのか。私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。アーナンダよ、如来の教法には、(弟子に何かを隠すというような)教師の握り拳、秘密の奥義)はない」
と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示しました。
「アーナンダよ、汝らは、自(みずか)らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とすることのないように」と訓戒し、また、「自らを灯明とすこと・法を灯明とすること」とは具体的にどういうことかについて、「ではアーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し、熱心につとめ、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである」「アーナンダよ、このようにして、比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである」として、いわゆる「四念処(四念住)」の修行を実践するように説かれました。これが「自灯明・法灯明」の教えです。

(10)入滅

雨期も終わって、お釈迦さまは、ヴァイシャーリーへ托鉢に戻ると、アーナンダを促して、チャーパーラ廟へ向かった。永年しばしば訪れたウデーナ廟、ゴータマカ廟、サッタンバ廟、バフプッタ廟、サーランダダ廟などを訪ね、チャーパーラ霊場に着くと、ここで聖者の教えと神通力について説きました。
托鉢を終わって、釈迦は、これが「如来のヴァイシャーリーの見納めである」と言い、バンダ村 に移り「四諦」を説き、さらにハッティ村、アンバ村、ジャンブ村、ボーガ市を経てパーヴァーに着きました。ここで「四大教法」を説き、仏説が何であるかを明らかにし、「戒定慧」の三学を説きました。
お釈迦さまは、ここで鍛冶屋のチュンダのために法を説き供養を受けましたが、激しい腹痛を訴えるようになりました。カクッター河で沐浴して、最後の歩みをマッラ国のクシナガラに向け、その近くのヒランニャバッティ河のほとりに行き、サーラの林に横たわり、そこで入滅されました。
「悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ、私は説いていたではないか。最愛で、いとしいすべてのものたちは、別れ離ればなれになり、別々になる存在ではないかと」「アーナンダよ、あなた方のため私によって示し定めた「法と律」が、私の死後は、あなた方の師である」とおっしゃられました。
腹痛の原因はスーカラマッタヴァという料理で、豚肉、あるいは豚が探すトリュフのようなキノコであったという説もありますが定かではありません。
 お釈尊さまはインドの北部を中心に仏教を広め、81歳で入滅(亡くなられる事)されましたが、その後弟子たちにより仏法は各地に広められました。
 スーカラマッダヴァという食物を食べて、食中毒になり衰弱して亡くなられました[佐々木:115] スーカラマッダヴァは豚肉なのか、米飯、キノコ、タケノコ、薬草などはっきりとわかっていません。[宮崎:115] これは仏教が「普通の人によって作られた、普通の人のための教え」であることをよく表していると思います。[佐々木:116]
 『大般涅槃経』などの初期経典の釈迦の入滅を読むと「恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こった。しかし尊師は、心に念じて、よく気をつけて、悩まされることなく、苦痛を耐え忍んだ」、「激しい病が起こり、赤い血が迸り出る、死に至らんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い(おもい)、よく気をつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んだ」、入滅地、クシナガラへの道中でもアーナンダやチェンダに疲労を訴え、「座りたい」「横になりたい」と休息を求めている。教理上は、痛苦を感じるのはあくまで五蘊であり、その無常性や無我性などを知り尽くし、色、即ち身体への執着から離れた覚者にもはや病苦というものはないはず。しかし現にお釈迦さまは、肉体的な不快感や不全感を訴えています。これをどう解釈したらいいのか。[宮崎:117]
 お釈迦さまは、悟りを開いて仏陀となり、「生老病死」からもたらされる心の苦しみからは完全に開放されているのですから、仏教という宗教が我々に与えてくれているのは、生理的苦痛の除去ではなく、あくまで心の苦しみの断滅であるということが明確に表されているだけです。病は生理的痛み、肉体的苦しみをもたらすが、仏教はそれを取り除く力はありません。仏教のいう安楽は別次元の話です。「自分は間違いなく老いていく」「自分はいつか必ず病に冒される存在である」という自覚を背負って生きなくてはならない。その閉塞感からの解放こそが仏教の安楽です。[佐々木:118-120]
 経証(お経による裏付け)では『大般涅槃経』にアーナンダが仏陀に「修行完成者(ブッダ)の遺体をどのように扱えばよいか」と尋ねると「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ」と戒め、供養は在家者に任せるように伝えています。[宮崎:120]
 如来は、文字通りに取れば「そのようにして来た者」、言語の区切りによっては「このように去る者」になる。『大智度論』第五十五巻に「仏名をもって名付づけて、如来と為し、或いは衆生の名字を以って、名づけて如来と為す」とあります。[宮崎:123]
 仏教ではブッダと如来は同じ人の別称です。仏陀は一つの世界に1人の仏陀しか現れない。一世界に同時に複数の仏陀が表れることがありません。大乗では、他の世界があると考えられています。大乗仏教が表れる少し前に、我々だってお釈迦さまと同じような仏陀になれるのではないかという思いが、人々の心に生じてきました。そのためには、「われわれ自身が直接ブッダに会って、その仏陀から「お前も必ずブッダになれる」と予言してもらう必要がある」という考えが生まれました[佐々木:123-124] 阿弥陀仏が釈迦より上だと考えたのは、阿弥陀如来は無量寿が時間的な偏在性を示し、無量光が空間的な偏在性を示す。いつでもどこでも来て下さるから、釈迦仏の入滅後でも阿弥陀さまなら会えるとなりました[宮崎:124]

1.2.部派仏教

釈尊の入滅後100年の間に教団は「上座部」・「大衆部」に分かれ、様々な部派が誕生いたしました。諸部派にとってお釈迦さまは偉大すぎる存在であり、お釈迦さまのように仏になる(成仏)ことはできないと考えていました。
 せいぜい到達できても阿羅漢とよばれる「供養を受けるに値する者」とよばれる存在にしかなれないと考え、お釈迦さまの教えを追求し伝授をひたすら守っていました。
 慈悲という崇高な精神は仏陀のみが発揮できることであって、出家者も救済を受ける立場であり、釈尊の教えとおり修行のみをしていました。そして阿羅漢になることを目指していました。
 これらの初期仏教の流れを受け継ぐ地域がスリランカ、タイ、ミャンマーなどの東南アジア諸国です。弟子たちはお釈迦さまの教えであるダルマ(一般的に「法」、原意は「保持されたもの」、インド哲学では「場所」を意味する)が重要と考え、ダルマの研究を徹底的におこないました。
 このような研究がアビダルマです。アビは「~に関して」という意味で、ダルマは「法・存在」を意味するため、法・存在に関しての研究がアビダルマということになります。皮肉にも彼らは研究に没頭しすぎたため大衆からもまたお釈迦さまの教えからも離れることになってしまったと大乗仏教の視点からは考えられています。
 この仏陀の教えであるダルマを研究し追究することで、阿羅漢になると考えひたすらに自分達だけで修行し、自分たちが阿羅漢を目指すことが目的でした。お釈迦さまの生涯では、修行し悟りを開かれる成道までを体現していると考えられます。
 これらの仏教をかつては一般的に小乗仏教といいましたが、小乗という言い方は、大乗に対して侮蔑された言い方です。現在では部派仏教といいます。お釈迦さまの教えを厳格に守り、悟りを目指す修行者は「声聞」といわれました。それらの部派に満足しない信者が新たな信仰運動を興し現れたものが大乗仏教です。紀元前後のことでした。
 部派仏教は、お釈迦さまの入滅後100年で上座部(南伝パーリー聖典)・大衆部に分裂、以後300年の間に20の部派が登場しました。紀元前2世紀頃、アビダルマ論書が多く作られます。諸部派が有する論蔵は全てアビダルマ関係でした。「根本上座部」より分裂した「説一切有部」は優れたアビダルマ論書を生み出した有力な部派でした。「説一切有部」という部派の名称は「すべてのダルマは過去・現在・未来の三世にわたって実在する(三世実有・法体恒有)」に由来しています。「説一切有部」の集大成は『阿毘達磨大毘婆沙論』でした。ここから分裂した「軽量部」は、『阿毘達磨大毘婆沙論』の諸問題を批判的に論じ、ヴァスバンドゥ(世親)著の『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』が書かれます。漢訳の『阿毘達磨倶舎論』は法相宗の基本的教学書です。法相宗に限らず『倶舎論』は古来より基本教理を学ぶ上で必要とされています。説一切有部はダルマを整理しました。
① 物理的なもの(色法)
② 心(心法)
③ 心の作用(心所有法)
④ そのいずれでもないもの(心不相応行法)
⑤ 生滅変化を超えて常住絶対なもの(無為法)
最終的に全75項目に分類し、「五位七十五法」となりました。ダルマの分析・分類は自己の探求の瞑想プロセスの一環で重要です。ダルマの研究が徹底されていくほど、次第にお釈迦さまの教えから遠のいていく結果となりました。

1.2.1.法(ダルマ)について

法(ダルマ)には多様な意味があります。60以上あるとする学者もいます。『般若心経』の中では「法則・規則」と言う意味では使用されていません。一般的な意味は「法則・規則・正義・善」などです。これは漢訳の法とほぼ一致します。その他の意味には、宗教・教えなどもあります。現在のインドでは「レリジョン」を「ダルマ」といいます。仏教は「バウッダ・ダルマ」(仏陀の法)ということです。日本に仏教伝来当時は仏法、江戸時代は仏道、明治以降仏教となりました。現在インド人は「あなたはどういったダルマを持っていますか?」と聞くことがあります。この場合のダルマは「自分を律するもの」、「自らの行為の根拠」として使われます。ダルマの原意は「保持されたもの」ということです。哲学用語では「場所に存在するもの」ということになります。例えば、山に煙があがると、煙は山という場所に存在するから「煙は山のダルマ」といいます。「は煙のダルミン(保持者)」といいます。ダルマを「法則・規則」と考えるとこの視点はきづきません。どこかに存在するもの ということで、『般若心経』の中では「存在するもの」と訳していますが、厳密には「自己という経験主体を構成する要素として、瞑想の中に顕現して存在するもの」ということになります。
 釈尊の瞑想の中に初めて顕現したのが「諸法(もろもろのダルマ)」後世、弟子たちはダルマが重要と考え、本質は何かとかどれだけあるかとか徹底的に追求しようとしました。こうしたダルマの研究が「アビダルマ」でした。お釈迦さまの成道において初めて顕現したのが「ダルマ」なので、これほど重要なものはありません。
 サンスクリット語ではダルマ、パーリ語ではダンマ。法則とか真理とコンテキスト(文脈・前後関係)によってとらえられますが、ここでは「釈迦の説いた教法」としておきます[宮崎:130] ダンマの教えの最も基本的な要素は、「縁起」「一切皆苦」「諸法無我」「諸行無常」の4つだと考えられています。これらは深く絡まりあいながら仏教の教えの中心を形成しています。[佐々木:130]
 大乗仏教の中観派の立場からすれば、「空」は「縁起」と「無自性」は「無我」と近縁的な概念になります。[宮崎:130] 「空」と「無自性」は、中観派的アプリ。4つは基本OSと考えるとわかりやすいかもしれません。[佐々木:131]
ダルマ(保持されるもの)は何らかの場所があってこそのダルマであり「体は私のダルマである」という考えに加え、仏教における自己探求の瞑想プロセスは「自分は無い」という観点、無我の境地を目指すという考えが加わります。『倶舎論』では、いかなる場所も想定することなく自立的に存在するものという意味で、ダルマを「それ自体で存在するもの(任持自性)」と定義づけをしました。
 ダルマはお釈迦さまが「十二縁起」という形で示されたように、原因があって次々と生じ、それ故に原因を滅すれば連鎖的に全てを滅すと考えます。一方、阿毘達磨論師はこの世にあって生滅変化するのはダルマではないとし、ダルマは過去・現在・未来にわたり不変であり、それが相互に原因となり条件となって、現在の一刹那ごとに離合集散し、生滅変化するようにみえるにすぎないと結論づけました。アビダルマ論師はダルマ=苦蘊ととらえました。結果、お釈迦さまの教えから遠ざかることとなりました。
 お釈迦さまはダルマについて「瞑想の中に顕現する」ととらえ自然界に存在する事象でも事物でもなく、一種の理念的存在としました。そして苦蘊を滅するための瞑想のプロセスを説きました。
お釈迦さまの真意としては、「ダルマが生じ、滅する次第を観よ」ということでした。アビダルマ論師はこれについて研究し「ダルマは永遠に存在する」と考えました。かつて、我執を離れるために自己を五蘊に解体しました。今度はダルマに対する執着を離れるためにダルマを解体する考えの人が現れました。これが大乗仏教でした。大乗は説一切有部などのアビダルマ論師を小乗として批判を投げかけてきました。その成果が「般若経」です。説一切有部らのアビダルマ論師たちに対する批判を根底に置き、釈尊の真意を追及しようとした経典郡でした。

1.2.2.苦

 「一切皆苦」の苦はパーリー語で「ドゥッカ」といいます。「苦」とは一般的には苦しみ、苦悩、痛苦、不快のことで日常語の苦と重なると考えていました。「ドゥッカ」は言語でも楽、快さ、安楽を意味する「スッカ」の対義語ですから苦しみでいいのですが、仏教の意味とは齟齬があります。仏教の「ドゥッカ」は日本語の苦しみよりも意味が広く、通常苦痛とか苦悩と捉えないものも内包しています。ワールボラ・ラーフラ『ブッダが説いたこと』に「ブッダが、『人生には苦しみがある』というとき、彼はけっして人生における幸せを否定しているわけではない。逆にブッダは、俗人にとっても僧侶にとってもさまざまな精神的、物質的幸せがあることを認めている」「増支部経典の中には、家族生活の幸せや隠遁生活の幸せ、感覚的喜びによる幸せやその放棄による幸せ、執着による幸せやむ執着による幸せといった、さまざまな肉体的、精神的幸せ列挙されている。しかしそれらがすべてドゥッカに含まれる」「中部経典の1つのスッタ(経)では、瞑想の精神的幸せを称賛したあと、ブッダは『それらは無常で、ドゥッカで移ろうものである』と述べている。ここで注意しなければならないのは、ことさらドゥッカという言葉が使われていることである。普通の意味での「苦しみ」があるから「ドゥッカ」なのではなく、『無常なるものはすべてドゥッカである』からドゥッカです。簡潔に言えば、「楽・苦・不苦不楽」がすべてドゥッカです。アルボムッレ・スマナサーラ長老も「生きていることの総体がドゥッカである」と述べています[宮崎:187-188]

(1)四苦

 すべては生老病死という「四苦」の上に成り立っています。「一切皆苦」の本質は、わたしたちが生命体であるというところです。「決してそこから逃れられない」もので「誰でも等しく襲いかかる」四苦を上回る楽はどこにもない。もし仮に生老病死の後に永遠の天国といった絶対的な楽の世界が待っているのなら、それによって生老病死は克服できます。それこそがまさにキリスト教やイスラム教のような維新経的世界観であり、阿弥陀信仰のような絶対的救済者の信仰なのですが、ブッダはそういった絶対的な楽の世界はないと言った。生老病死を打ち負かす楽が存在しない以上、この世は一切皆苦に違いない。ただ、楽は苦の相対的な表れに過ぎない。つまり、苦が少なければ楽、多ければ苦という、そういう相対的な者であって、ベースは必ず苦であると仏教は考えるわけです。[佐々木:189]

(2)八苦

 四苦は、生老病死。生を「生まれたこと」とすると輪廻が強調され、「生きること」とすると実在苦の意味が強くなる。どちらの意味も含むと思います。八苦の1つ目は「愛別離苦」の「愛したものと別れ離れる苦悩」。キリスト教などいくつかの宗教や思想は「愛」を好ましいものと肯定しますが、仏教では煩悩です。ニカーヤでも「愛するものにあってはならない」とあります。どんなに愛情を注ごうとも、その対象は無常だから。やがて変質し壊れる。[宮崎:191]
 この愛を根源的な自己への愛と解釈するなら、実際には存在しない自己が、老いや病いや死によって蝕まれる苦しみを表すので、結局は四苦に還元されることになる。[佐々木:191]
 二つ目は「愛憎会苦」です。「恨み憎むものと出会う苦悩」ということです。注意しなければならないのが、激しい怨みや憎しみがその主体である人に快さを与えるという点です、激しい憎悪や憤怒に駆り立てられている時、人はむしろ生の充実を実感します。盲目的な激情によって心身が満たされる。しかしこれは錯誤、錯乱でしかない。ニカーヤでは「憎むものに会ってはならない」とある。
 三つ目は「求不得苦(ぐふとくく)」です。「求めても得ることができない苦悩」です。文字通りですが、すでに持っているものを欲することはできません。ほしいものが無くなっても欲望自体は決して尽きないこともある。お金ですべての者を得た人が、「僕が欲しいものは、心の底から「欲しい」とおもえるもの」と述べた人がいました[宮崎:192-193]
 仏教を真面目に捉える最大の契機は、「苦の実感」です。[佐々木:193]
 四つ目が「五蘊盛苦」です。五蘊は我々生き物を作っている五つの要素の「色」「受」「想」「行」「識」です。「色」は肉体のことで、「受」「想」「行」「識」は心的な要素です。この五蘊でできている我々が縁起の世界で生きていくということです。つまり要素の集合体に過ぎない私たちが「確固とした自我を持つ存在だ」と錯覚しながら生きていくことが苦しみだと考える。[佐々木:193]

五蘊
<肉体>
(1)色
 我々をなしているものの外側の要素すべて
<認識する側(感覚器官)> <認識される側(その対象)>
(Ⅰ)眼(げん) → ① 色(しき)
(Ⅱ)耳(に) → ② 声(しょう)
(Ⅲ)鼻(び) → ③ 香(こう)
(Ⅳ)舌(ぜつ) → ④ 味(み)
(Ⅴ)身(しん) → ⑤ 触(しょく)
<心的作用>
(2)受
 外界からの刺激を感じ取る感受の働き
(3)想
 ものごとを様々に組み立てて考える構想作用
(4)行
 何かをしたいと考える意思の働きや、その他の心的作用
(5)識
 心のあらゆる作用のベースとなる、認識する働き
(Ⅵ)意(い) → ⑥ 法
意が作用し、その結果生じてくる認識
<六識>
(ⅰ)眼識
(ⅱ)耳識
(ⅲ)鼻識
(ⅳ)舌識
(ⅴ)身識
(ⅵ)意識

(Ⅰ)~(Ⅵ)+①~⑥ = 十二処
十二処 + 六識 = 十八界

(3)苦の三つの側面

 四苦八苦とは別に三苦がある。「苦苦性(くくしょう)」これは通常の意味での苦痛。二つ目が「壊苦性(えくしょう)」楽と感じられていることもほどなく移ろい、壊れていくという意味で、無常の一側面を表している。三つめが「行苦性(ぎょうくしょう)」苦や楽という感受ではなくとも、すべての感受がドゥッカであることを示している。痛くもなく心地よくもない「不苦不楽」の状態がドゥッカだとされている。あたかも不変のごとく錯視されるから[宮崎:196]
 「行苦性」とは、この世の存在が刹那ごとに移ろいゆく、その有様を意味している。
ⅰ.苦苦性は、身体上、精神上にはっきりと現れる苦痛や不快(苦であると容易に理解できるもの)
で、境遇の変化により解放されると言われています
ⅱ.壊苦性は変化の苦しみで、瞑想をしている間だけは、苦痛と快楽から解放されると言われています。
ⅲ.行苦性は、一切に遍満する苦(本性について全くの無知であるという苦)のことです。
純粋な慈悲の一番目の要素は苦しみの理解です。二番目の要素は、すべての生き物への共感や親しみと述べられています。

① 苦の本質

この三種類の苦しみを更に追求してみます。①「苦しみの苦(苦苦)」は、肉体的な苦痛、病気、不安など日常で私たちが苦と明らかに認識しているものです②「変化の苦(壊苦)」は、日常生活で喜びや幸せと感じているものが長続きせず、失望と不満と苦悩に変化します。これらの幸せは真の幸せではなく、単に粗いレベルの苦しみが存在していない状態にすぎません。例えば、最新のテレビを買ったときは幸せで喜びを感じますが、時間と共に古くなり最新のテレビが古いテレビとなり不満になります。時間と共に幸せが苦にかわります。本当の幸せではなく、変化する苦しみといいます。③「遍満する苦しみ(行苦・条件的存在そのものに行き渡っている苦)」のことです。
衆生を構成する精神的要素と肉体的要素の集合体の「我」を分解した「五蘊」があります。「五蘊」は過去の「業」や「煩悩」の結果として生じるものです。「五蘊」はさらなる「業」と「煩悩」の原因として作用します。3つの苦のうち「苦しみの苦」「変化の苦」の土台が三つ目の「遍満する苦しみ」になっています。外的な事柄だけで起こる「苦」ではなく、我々が「無明」な存在であるが故に様々な「苦」を体験します。人間としての本性の中にある「苦」といってもいいものです。
 強い欲望などといったさまざまな「煩悩」に心をとらわれている人もいれば、さまざまな邪見(ものごとの真のあり方を間違って理解すること)によって混乱している人もいる。これらは皆、苦しみの原因である。「遍満する苦しみ」は、「業」と「煩悩」を原因として生じます。「遍満する苦しみ」とは、ものごとには一瞬一瞬分解しつづける性質と特徴があり、その性質が輪廻世界のすべての衆生に遍満しているということになります。三種類の苦しみについて理解し、よく考えることは重要です。

② 死に至る病の喩え

 末期ガンを患っている人がいるとして、酷い痛みは苦苦。調子がよく食事や家族の会話を楽しめている時は、壊苦。そして、根底にずっと死に向かっているという不安の感受が行苦となります。[宮崎:197]
ガンを患っている方は相対的な幸せを感じることはあっても、絶対的な幸せを感じることはできない。なぜかと言えば、それが治らない病気だと知っているからです。しかしある意味では、すべての生物に死があるということは、みんな同じ状態なのです。[佐々木:197]
 スッタニパータに「死にゆくものであり、同じく死を免れない」とある。それなのに人というのは、「他人が死んだのを見ては、“死は私にはふさわしくない“と言って悩み、恥じ、嫌悪する」何故なら、人は自分を変減せざる実体、しかも認識主体というメタレベルにある実存と見放してしまうものだから。これは言語同様、第二の本能といってもよいほど生存に適合的な性向なのですが、同時に人を生存に束縛。その結果、死の恐怖をはじめとする様々なドゥッカが生じるわけです。この構造に気づいたとき、釈迦は「命はあって当然という驕り」が消え失せたと述懐しています。[宮崎:198]
 私たちの生存防御本能で「忘れる」という機能があるからだろうと考えられる。忘れることができなければ、行住坐臥で死ぬことを考えていなければならない。ところが病気になったり、年を取ると防御本能によって覆い隠されていた老病死の苦しみが浮かび上がってくる。こんな時の対処法を教えてくれるのが仏教なのです。元気な時には必要ないんだけど、いざ苦に取りつかれると頼りになる。仏教は病院と同じと言っている。元気な時には必要ないが、いざというときに駆け込むことができる。[佐々木:198-199]
なぜ私が仏教が輪廻を前提とすることに違和感が残るのか、仏教への帰依の核心部分になるので、示します。
 「それは輪廻という前提が、自分の根本的で切実な苦の有り様に対応していないからだ。私にとっては、死によってすべてがムニ帰してしまう断滅の可能性、あるいはそれを生々しく実感してしまう断見への囚われ、その迷妄こそが苦の原因なのです。断滅への恐れ、不安あるので、滅却しなければ心の平安を得ることはできない。そうしなければ苦を抜き去ることができず、解放に向かわない。すなわち断滅論は終局的には否定されるべき対象なのです。しかし、その迷妄がどうしようもなくある。無知が造り出した虚妄として存在する。ということが前提に置かれなければ、それから発する苦も存在しないことになる。断滅に対する、“実在の苦しみ“は仏教によっては解消されないとなる。
この理路は『もし輪廻が前提になっていなければ生死の苦もなく、それからの解脱もないことになる』と説く輪廻肯定論の論理構造と全く同じです。
私は輪廻生死の苦には対処できても、断滅の苦には対処できないとは絶対に思わない。注目すべきは、輪廻由来だろうと、断滅由来だろうと、ブッダの教え示した迷妄から解放される方途は同一という点です。輪廻に対する恐れや苦も、断滅に対する恐れや苦も、どちらも無明である盲目的な生存欲が原因ですから、それら御解体する方法は一つなのです」
断滅論、断見というのは、自分は死によって完全になくなってしまう、跡形もなく無に帰してしまうという見解のことです。これに対して、自分は死を超えて、このまま未来永劫、存在し続けるという見解を常住論、常見、永遠論といいます。仏教は双方をじゃけんと退けています[宮崎:299-201]
 わが身は断滅しないかという現実を受け止めながら、その断滅を恐怖しないという自分を作るという作業は、釈迦の教えによって可能になる。私の場合、断滅論者ですが、そのような在り方を良しとして承認するだけではなく、自己の消滅の恐怖という苦から何とかして抜けだして、「苦のない消滅を実現したい」というのが願いです[佐々木:200]
 テーラワーダ仏教のウ・コーサッラ長老は「仏教で邪見といわれる断滅論や永遠論はともに我見を元に成り立っているといわれています。死んだら終わりだと思っていたとしても今私というものがあると思っているのです」断滅の苦を滅尽するには、「今私がある」という我見を徹底的に解体できる、仏教に求めるしかない[宮崎:202]

(4)一切皆楽・常楽我浄

 キリスト教の世界観は一切快楽です。今自分が苦しんでいるのは、神に試召されているだけであって、すべて神に委ねれば救済することが確定している。仏教の場合は、救済者はいない。仏教の場合は戻る場所がない。非常に厳しい世界観。一切皆苦[佐々木:202]
 世界が本質的な不全性を抱えているという認識は、グノーシス主義などの古代ヨーロッパ思想にもある。それを済するために、その世界を作り出した神がいるというような外部性を設定する。不完全な世界に自分たちが落ちていると考え本来の完全な世界に帰還することが救済であり目的とする。
大乗仏教になると変わって「常楽我浄」を言い始め、原始仏教が否定したものを、全部肯定的に反転させる。[宮崎:202-203]
 感受作用はすべて苦、心は無常、法は無我というのが釈迦の教えであった[佐々木:203]
 この考え方は、如来蔵思想からですね。グノーシス主義と少し似ていて、本来的にわれわれは心の奥底に如来を蔵していると考える。それで心を覆っているいろいろなゴミを全部取り除けば、、本来的な如来としての本質が浮かび上がってくるという。しかしそうなると、無我を否定していることになり、常なので無常も否定していることになる。[宮崎:204]
 一切皆苦を反転させ、無我・無常をひっくり返し、俗世のありさまは無我で無常であるが、われわれの心の奥底にある如来についてだけは、有我で常で浄らかで楽なのだ、という主張ですが、このような釈迦の教えにない要素を土台に据えたことで、実質上、仏教の基本的な世界観を白黒反転させて、全く別の世界観を作ってしまった。


1.2.3.煩悩

煩悩は、サンスクリット語では「クレーシャ」、チベット語では「ニュンモン」、日本語では「内側から苦しめるもの」という意味です。心を動揺させる原因となっているのは、常に心の煩悩と仏教では考えられています。
「仏教の真の求道者は、逆境に直面しても、一本の樹のように確固として微動だにしない」
シャーンティーディーヴァー
 「苦」というものは不快ということですが、不快は私たちの主観的な投影に過ぎないと考えます。一切の行為は「身語意」のいづれかのものであり、これらによって作り出された行為をカルマ(業)と言います。
 有害な行為は、心の動揺した状態であり、心が煩悩に支配された状態だと考えます。自己という感覚をもつことと、心が煩悩に支配された有害な感情が起こることの間には、とても密接な因果関係があると考えます。
 自己や自我が本来は「空」であることを理解しなければ、私たちは自己や自我というものが、自律的、客観的な実在であり独立した存在であると誤解してしまうことになると仏教では考え、苦しみは無知の奴隷であると考えます。「知らないということが苦しみを生み出す」ということです。
 また煩悩は三毒と言われ貪瞋痴であり、これを取り除く過程を3世紀の僧侶アーリヤデーヴァは『四百論』の中で煩悩を克服する段階を三つに分けて説明しています。
「最初は不善を阻むべきである。(中盤は自己を阻むべきである。最後はあらゆる見解が阻まれる。このことを知る者こそが賢者である)としています。
 精神の道を進み始める最初の段階ですべきは、十悪のような身語意による粗大な悪い行為を自制することですということが書かれています。
 煩悩を克服するために最も有効な直接的な方法は、「空」について深く洞察することだとされています。あらゆる煩悩の根底は無知であり、苦しみの根幹にあるのは煩悩だとされています

1.2.4.縁起 縁起とは何か

 中部経典の『大蔵跡喩経』に「縁起をみる者は法(ダルマ)をみる。法をみる者は縁起をみる」とあり、縁起はダルマそのものと言っても過言ではないほど、仏教の本質である。しかし、厳密にそれが何を意味するのかが定まっていない。原始仏教から大乗仏教を貫く論争史がある。[宮崎:132]
 縁起を一言で説明すれば、「この世界の物事はすべて原因と結果の関係で動いている」ということ。他宗のように絶対的な神や、不可思議なパワーで世界を動かしたりとは考えない。合理的で科学的な世界観であるが、それはわれわれ生き物に限定する縁起則であったと考えられる。縁起がいいとか悪いとかいうが、それらはない。ある条件のもとでは、物事はこういう動き方をしますよという、この世の法則を示しているだけ。[佐々木:132-133]
 日本語では、縁起というが、漢語では因縁生起といい。言語のサンスクリット語では、プラティーティヤ・サムトパーダという複合語で、プラティーティヤは「依存して」「縁によって」という意味で、サムトパーダは、「生起すること」「生起したもの」となる。チベット訳では、二者の間に「結合関係」を意味する言葉が挟まれる。

********<<<<<以後 縁起空性に大いに重要>>>>>>**********
 仏教では、一切の事物を縁起的に生じると捉える。一定の条件によって生起し、その条件が解除されれば消滅する。その一定の条件もまた別の条件によって存在していて、もし他の条件が変滅すれば、それに従て変滅する。よってここで認められているのは、存在というよりも仮構という語がふさわしい仮の存在性に過ぎない。自立して独存し永続するものは何もなく。万物に変滅しない固有の本質などない、と考える。つまり、私たちの目に在るように見えているものは、実体としてあるのではないということである。煩悩に覆われた私たちの目や鼻、舌、感触、心はそのことを正しく把握できないと捉えている[宮崎:133-134]
 釈迦が一番おおもとになる煩悩だと考えたのは、「無明」です。無明とは、智慧がないこと愚かということです。単に知識がないとか学ばないといった表層的な意味ではなく、物事を正しく合理的に見ようとする力が欠如している、本質的な暗愚を意味している。本質的な暗愚とは、縁起的世界を正しくみることのできない愚かさである。[佐々木:134]
 無明について、何について知らないのか、何の智慧が欠けているのかというと、世界が縁起的に生成と消滅を繰り返している、という事実をしらない、或いは認めないという無知のことです。
 十二支縁起の支とはサンスクリット語のアンガの訳で要素ということです。「十二の要素が連なった縁起」となります。無明から行が生じ、行から識、識から名色、名色から六処、六処から触、触から受、受から愛、愛から取、取から有、有から生、生から老死と連鎖していく。これは根源的な苦しみが発生してくるメカニズムを表しています。「これがあるとき、それがある。これが生じれば、それが生じる」という小部『ウダーナ』にみえる定句で表現されている。これらは時間的連鎖を示すものであるかに見える。相依相関の縁起説を唱えたのは宇井伯寿。多くの学者が同時的相互依存関係が縁起にあるという立場にあった。各支分の中で、はっきりした経証があるのは、「識」支と「名色」支の相互依存について、相応部の因縁相応の『城邑(じょうゆう)』と『蘆束 (ろそく)』にある。
 『蘆束』では2つの蘆が寄りそって立っている時に、片方を取り去ると片方が倒れ、別の片方を取り去ると片方が倒れる。「名色」と「識」の関係も同様であると記されている。『城邑』では十二支縁起とは別形態で十支縁起が成道の内容として語られる中で、他の支分とは別扱いで、「名色」と「識」の間だけ相関相依が説かれている。ここから原始仏教や初期仏教には二通りの縁起観が並行して存在したしていたと思われる。1つは、文字通りの因果としての縁起。時間的に原因が先行し、あとで結果が生じる。通時的縁起である。もう一つは、相依関係としての縁起。蘆束のように同時的にお互いを規定しあうことで成り立つ共時的縁起である。舟橋一哉はアビダルマ仏教によって前者が切り捨てられたが、龍樹が復活させたと述べている。龍樹の相対相依の縁起観は「空七十論」に端的に表れている。例えば「長い」という言葉は「短い」という言葉がなければ成立しない。[宮崎:135-140]
 その関係が縁起全体に成り立っているという証拠はない。すべての支分の間に相互依存関係を設定する縁起説がないことこそが重要ではないか[佐々木:141]
 ですから船橋は二通りの縁起の並存を唱えている。龍樹や月称(チャンドラキルティー)らが相依相関の縁起説を唱えるようになったのか考察する必要がある。例えば、可視光は波長の長短により連続的なカラースペクトルを形成しています。それを言葉によって分節化したものが、オレンジ色、水色、真紅などであり、それらに本質や自性があるのではない。
言語は何か物の本質や自性を直示するようなものではなく、指示対象を他から区別して、あたかもそれが個物として客観的に識別でき、「独存している」かのようにみせかけているのです。したがって言葉とは、実のところ他との差異を消極的に表示するシステムに過ぎない。私たちはこれがあたかもポジティブな実体や本質や自性を示しているがごとくに錯視してしまう。しかも言語によって分別された世界は閉じられた観念なので変減しません。すべての言語は「言語についての言語」なのです。
 経証では『スッタニパータ』の九百九偈、八百七十四偈にある。眼前の「机」と呼ばれるものは、まるで永遠に変わらぬ「机」としての本質を持っているかのように私達の前にある。確固たる存在として現前していると私達はほとんど無意識的に観念しています。しかしそれは、縁起という見方を知れば「現実」ではないことがわかる。言葉がもたらした観念であり、虚構である。唯識派の語彙を使えば「虚妄分別(こもうふんべつ)」なのです。「机」なる実体は存在しないし、それは実際には刻一刻と変減し続けているからです。重要なのは、私も、この私の自意識もまた言語表現による仮構の例外ではないということです。[宮崎:141-143]
 *******(龍秀)文化生態系論の現代の視点ににているのでは?**********

 そうなるとすべての存在は相対的なものにすぎないということになる。釈迦はそのように世界を見ていたはずである。この世のほとんどの言語存在が仮構だという思考はニカーヤにも十分に表れています。しかし、釈迦は存在の
基本要素の実在性まで否定したわけではない。言語表現されたすべての者が仮構というわけではないというのが釈迦がの世界観です。龍樹は、縁起を構成する要素自体も実体がないと言った。[佐々木:143-144]
 すべての存在が相対的だと言っているのではなく、言語によって識別され、あたかも実在しているかに見える世俗の諸事物が本当は相対的だと言っているのです。チベットでは「単なる存在」と呼びならわしているようです。龍樹はそうした認識を客観的な言語哲学や存在論として提示しているわけではありません。彼は相依的縁起を積極的に主張しているのではなく、言語や言説によって、戯論によって成立している世界を寂滅するために、あくまで消極的に、対手の立言に対する否定の形で主張している。つまり龍樹においては、言語こそが苦の淵源であり、無明を構成する重要な要素なのです。[宮崎:144]
 龍樹がそのように主張したことは間違いありません。ただ釈迦も同じようなことを主張したとは認められないということです。釈迦は言語によって表示される相対的世界の奥に存在する要素は厳として存在すると言った。それらの要素が縁起の法則性によって作用しているのが、この世のありさまだといったのです。おそらく龍樹は自説を釈迦の縁起観と接続して正当化するために、縁起=空性という新定理を導入した。縁起という現象を顕しだす一切の構成要素には本質がないという主張です。この定理一本で釈迦の世界観はがらりと転換し、あらtな龍樹の世界観に変更された。[佐々木:144-145]
「中論」十八章第五偈に「業と煩悩とが消滅することにより解脱がある。業と煩悩とは、概念的思惟より生じる。諸々の概念的思惟は、言語的多元性(戯論)より生じる。しかし、言語的多元性は空性において滅する」[訳桂紹隆]訳文中の「概念的思惟」は「ヴィカルパ」というサンスクリット語で、従来は分別と訳される場合が多い。この龍樹の説示はニカーヤの随所にみられる「名色」と「識」についての考察、十二支縁起のプロセスに矛盾しない。むしろ「因果的縁起観」の方が無限遡及の過誤に陥り、仏教的救済から遠のく危険性を秘めているように思える。つまり、因果関係の連鎖ならば、論理的には無限に遡及できるはずです。その過誤を回避するために視点を設定する。世界の開展が何らかの一撃によって始まったというような想定をする。十二支縁起でいえば、「無明」ということになる。けれども継時的因果の連鎖ならば「無明」についてもその「奥」あるいは「本」を考えざるを得ない。[宮崎:145-146]
 「いくら過去にさかのぼっても、最終的な出発点がないのはおかしい」というのは、「あくまで出発点があるべき」と考えているキリスト者的批判に思える。仏教側からすれば、「縁起は無限に、そして重層的につながっているのです。それが仏教の世界観です」と答えればおしまいのような気がします。[佐々木:146]
 木村は積極的な「意欲」と捉え、宇井や和辻は消極的な「無知」と捉えた。意欲とは生存欲のことで、木村は人が「無知」で盲目的になってしまう理由は「生存欲」に覆われているためと考えた。宇井や和辻は、縁起的構造に関する「無知」こそが盲目的な「生存欲」を引き起こすと感じた。どちらも「無明」の意味を掘り下げているように、また根源を更に遡上して探求しているように見える。「無明」は苦の始原ではないのか?[宮崎:146]
 それは一サイクルの出発点を示すだけであって、過去にまた同じサイクルが無限につながっていると考える。さらにそのサイクルが幾重にも重なっている。その全体を「輪廻する有情」とみる[佐々木:146]
 「無明を滅すれば、行が滅す・・」という逆観の救済の方途とするからには、流転の始まり、つまり往還の終わりが必要になる。一サイクルだけでは解脱にならないからである。「無明」が視点にして終点になる。『大智度論』第九十巻にあるように「若し無明の因縁を、更に其の本を求れば即ち無窮にして、即ち辺見に堕し、涅槃の道を失せん。是の故に求むべからず。若し更に求めなば即ち戯論に堕せん。是れ仏法に非ず」とあるように、「生存欲」と「無知」は相互依存の関係にあり、どちらが根本原因かは確定できないし、その関係は無限循環となるので「無始無終」です。それいじょう、時間的に遡ることができない。そうすべきでもない。「本」を求めれば戯論に堕し、涅槃の道を失ってしまうから。だから「無明」を滅ぼせば、「有」「生」「老死」まで確実に滅ぼすことができる。と私は思う[宮崎:146]
 やはり十二支縁起は、無限の過去から無限の未来へと途切れなく続くインドの世界観の上に設定されるべきものであると考える。釈迦の思想と龍樹の言語哲学の無関係を私は主張する。これが宮崎さんとの相違点です。[佐々木:147]
 縁起には、A→Bという通時的因果関係と、A⇔Bという共時的相依関係があることを話してきましたが、もう一つ、A→B,C,D・・・という多数の結果が生じるという形の縁起もあります。[宮崎:148]
 「六因五果四縁説」です。説一切有部の『倶舎論』に出てきます。『倶舎論』は、当時の人が、世界で起こる様々な現象をどのような因果則で捉えようとしていたのかがよくわかる。十二支縁起の縁起と『倶舎論』で扱っている「六因五果四縁説」とでは、次元が異なると考える。『倶舎論』が言う十二支縁起は、一個人が生きていく間の状況の分析です。それに対して『四縁説』は、全宇宙のすべての現象を網羅的に因果則で考えようとします。それを突き詰めていくと「六因・五果・四縁」で宇宙のすべてが説明できるというものです。一方で同じ業の因果則が入っている以上、全く無関係というわけではない。[佐々木:147-150]
 「四縁」の各要素はニカーヤにその発生源を見ることができるが、六因はアビダルマにいたって四縁の解釈を展開して六因になったということですか。[宮崎:150]
 四縁に何かを足したということではなく、心とその作用の発生過程を説明するために考案された四縁説を別の分類法で線を引き直したら六因になるという関係です。特に四縁の1つの因縁を更に詳しく分析すると六因になったと考えられている。果はニカーヤでもアビダルマでも五果で一貫している。要するに、この世界のすべての因果則を分類していくと、「六つの原因」と「五つの結果」と「四つの縁」に分けられるという意味です。六種類の原因から五種類の結果が生じるのは良いとして、わかりにくいのが、四縁の「因縁」「等無間縁(とうむけんねん)」「増上縁(ぞうじょうえん)」「所縁縁(しょえんねん)」の因果則は、起源としては心の内部世界の動きを説明するために案出されたものですが、心的内部世界にも、外部の物質世界にも適用されるようにもなります[佐々木:151-152]
 「因縁」は文字通りの因果の縁、「等無間縁」はある刹那の心が次の刹那の心を引き起こすことをいう。こうして刹那に消滅を繰り返す断続であるにも拘らず、間断ないように相続されていくこと。「増上縁」は宇宙全体の存在論に踏み込んでいく。ある現象や行為は、全世界、全宇宙のあらゆる縁が間接的に関わって成り立つということです。[宮崎:152]
 増上縁は欧米では関心がもたれた。地球環境の問題にもつながるのではないかと思われた。[佐々木:152]
 大乗の華厳の宇宙観にも通じる要素がアビダルマの教説に見えるということになる。しかし一因一果という直接的因果関係を完全に超えている。「所縁縁」の所縁とは、私達の六つの知覚器官、認識装置の対象となる物事を指しています。知覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意(心))と接触することで、身中の様々な知覚、認識が生じる。そのような縁起を所縁縁というわけです。知覚や認識の対象が認識の働きを触発する、そういう関係を指す。[宮崎:153]
 これは十二支縁起の「触」に近い。目や耳などの認識器官が外界の色・形・音など認識対象と接触して、それが私たちの心に特定の認識を生み出す。つまり認識器官と対象と認識そのものの接触という意味です。[佐々木:153]
 この要素をまとめると多因多果的な四縁説が形成される。アビダルマの縁起説は他の本にはあまり説明されていない。[宮崎:153]
これは無我説のベースになる考え方である。「私」がいるのに「無我」であるというのは、どういうことか?と考えた時に四縁説をベースに「私」とは、様々な原因の集合体として刹那的に消滅を繰り返している現象に過ぎないという結論に行きついたのだと考えられる。どこにも本体がないのに種々の構成要素が特定の関係性で結びつくと、全体としてあたかも何らかの一個体が実在するかのように表れてくる。しかし、それも時間の変化の中で結合条件が限界を超えて衰弱するとたちまちにして消え失せていく。[佐々木:153-154]

1.2.5.十二因縁

お釈迦さまは四聖諦の因果関係を十二の因縁を説明する中で詳しく述べられています。この「十二因縁」は全ての減少、あらゆる体験、事物、出来事は原因と条件が集積した結果として存在すると考えられています。これは『般若心経』の重要な教えの「空」の土台になります。
あらゆる事物は本来、他の事物や要素と依存しあい、その結果として存在しているということが示されています。
十二因縁は以下になります
① 無知(無明)
② 意思作用(行)
③ 識別作用(識)
④ 名称と形態(名色)
⑤ 感覚の源(六処)
⑥ 感覚と対象の接触(触)
⑦ 感受作用(受)
⑧ 衝動的な妄執(愛)
⑨ 執着(取)
⑩ 生成(有)
⑪ 誕生(生)
⑫ 老いと死(老死)

 では、あるものが基本的に他に依存することによってしか存在することが出来ないならば、それらは独立して存在することができず、他の現象から独立した性質を持っていないということになります。仏教ではこれを、「すべての現象が独立した存在性を欠いている」と言い、ここに「空」の重要な考え方があります。
「空」を明白に理解すれば、苦しみから完全に開放され、解脱を遂げることができるとお釈迦さまは説かれています。ではどうのようにすれば理解ができるのでしょうか。私たちはまず「空」について無知です。なので無知であるということを理解します。次にどのようにすれば苦しみから逃れられ、無知について理解できるのかを考えます。その結果「煩悩」について検討することが必要だということになります。

1.2.6.輪廻について

 佐々木さんは釈迦は当時のインド社会全体の通念である輪廻という世界観を受容れ、それを前提に教えを説いたと示されているが、他方で輪廻を「現代の私たちにそのまま認めろというのは無茶な話」で、またご自身も輪廻を信じていないと明言されています。[宮崎:155]
 輪廻説を認めない限り、サンガという組織は成り立たない。一般の人には「来世は天に生まれ変わりますよ」と生天説をといて布施を募る。釈迦は「来世はどこに生まれ変わるか」などという問題より、「目の前の苦とどう向き合い解消するか」という問題が中心であった。[佐々木:156]
 生天説は次第説法にしたがって、在家信徒によく説かれていた。しかし出家者には生天を願うことをむしろ戒めた。ニカーヤの「五つの心の束縛」の1つに数えられている。中部第十六経『心荒野経』には、「比丘達よ。比丘がいて、なんらかの神の衆を目指して梵行を修している。[すなわち]『わたしはこの戒によって、あるいは掟、あるいは苦行、あるいは梵行によって神となり、あるいは神の一員となるだろう』と。比丘達よ。およその比丘が、『わたしはこの戒によって、あるいは掟、あるいは苦行、あるいは梵行によって神となり、あるいは神の一員となるだろう』と、なんらかの神の衆を目指して梵行に修しているとき、かれの心は熱心に勤め、専修し、常に精励する方向に向かわない。その者の心が熱心に勤め、専修し、常に精励する方向に向かわないとき、このようにかれには[ある神を目指して戒、掟、苦行、梵行に励むという]この第五の心の束縛が切断されていないのである」釈迦は、神になる生天を目指す限りは、いくら自戒し、修行しても無駄だと断言している。[宮崎:156]
 では釈迦は、生天は架空の作り話だと考えていたのか、あるいは、生天はあるけれども、仏教ではそれを重視しないと考えていたのか。前者なら二枚舌になる。後者だと考える。人が生まれ変わりを繰り返すというのはバラモン教の五火二道説から言われてきたことであり、当時のインド社会では当然のことであった。釈迦もここを出発点として、あえてその輪廻からの脱出を目的とする仏教を構築したと考えられる。[佐々木:157]
 仏教では伝統的に、輪廻という現象は輪廻という形式に対応した個々の生存欲によって引き起こされるとされている。『大智度論』第三十巻に「善悪を分別するが故に六道有り」とあるように、善悪を分別するから六道があるとするならば、輪廻思想に基づく善悪という観念を持たない人々の間には、少なくとも六道という形の輪廻は現象しないはずである。事実、日本には輪廻思想は定着しませんでした。[宮崎:166-167]
 いいことをすれば生天し、悪いことをしたら地獄に落ちるという話を比喩的な道徳訓としては受け容れているが、心底信じていない。一方で前世の業だとか親の因縁、成仏できない先祖の祟りということに原因を見出そうとする話があるのも事実である。そう考えると仏教の輪廻思想も日本的に形を変えて定着しているとみることもできる。[佐々木:167]
 江戸時代の陽明学者の熊沢蕃山は『集義和書』で「仏教の悟りを得た人は、大昔の凡人と同じである。大昔の凡人には、狂病(過激な妄想)がない。仏教の悟りを得た人はには、この狂病がある。まず『地獄・極楽』というありもしない捏造に迷って、また『さとりだ』と言って、やっと地獄・極楽は存在しないということを知る。純朴な古代の人にはこのような迷いがもともとない。というわけで、悟りを得てはじめて昔の凡人になれるのである」[宮崎:168]
 輪廻思想とは切り離された形での仏教が、いま必要とされている[佐々木:168]
 私は、輪廻の教説を取り除く必要はないと考える。チベット修行をした吉村均は「輪廻とは単に死後の生があるということではなく、ひとつの行為はそれで完結せずそれによって次の行為が引き起こされていくという行為の連鎖のことである。そのため私たちの生もゼロからいきなり始まったわけではなく、また死んで突然ゼロになってしまうこともないと考える。ほしいものを手に入れよう、嫌なものをなくそうとすることは、いつまでたっても終わりが来ないのであり、そのような行為の連鎖から抜け出すべきことが説かれたのである」と述べている。
 「サンスカーラ は<自分>を形成する潜在的力・形成作用です。同一不変の<自分>が種々のサンスカーラを発動するのでなく、種々のサンスカーラによって形成される<自分>が<瞬間瞬間の輪廻転生>を繰り返しながらせめぎあっているのです」[宮崎:170-171]
 これは輪廻を教説から取り除いているのと等価であると考える。輪廻というのは、本来刹那とは無関係であり、あくまで五道あるいは六道の世界を想定し、業の力によって、その中で転生を繰り返す。それが輪廻なのであって、それを他の概念に置き換えるなら、仏教からの輪廻思想の除去になる。[佐々木:170-171]

1.2.7.インドの考え方 ~世界の構造~

インドの人々が世界の構造について考える場合、「属性」とその「基体」という対の概念で考えることが多いです。例えば「この本は重要だ」と言った場合、「本」は「基体」であり、「重要」ということは「属性」となります。(本=基体、重要=属性)本という「基体」の上に重要という「属性」が載っていると考えられています。また「この紙は白い」というとき、「紙」という「基体」に「白い」という「属性」がのっていると考えます。ある基体(Y)にあるもの(X)という「属性」が存在すると考える場合、Xをダルマ(法)、Yをダルミン(有法)とよびます。法(ダルマ)は「掟・義務・正義・教え・あらゆるものの存在」等の多くの意味がある。哲学的な論議においてはダルミン(有法)と対になった場合には、ダルマがそこで存在する「基体」を意味します。
「白い紙」について考えてみます。「白い紙」の「属性」は「白色・匂い・重さ」等多くの要素があります。「白い紙」の「基体」は無色透明です。「白い紙」から「属性」を引くと「基体」になります。仏教では「基体」は何も残らないと考えます。バラモン正統派では無色透明の何かが残ると考えます。バラモン正統派は目にも見えない匂いもしない、しかしそれがなければ成立しないというような場がなければ様々な性質が集まった現象世界が成立しないと考えます。
インドではまず①基体が存在するかしないかという観点からインド哲学の学派を二分することができます。②属性と基体の間に明確な区別ができるかという観点からインド哲学を分類することができる。ということになります。「属性と基体に明確な区別がある」というのは「インド型実在論」とされ、「属性と基体に明確な区別がない」というのは「インド型唯名論」となります。

仏教 バラモン正統学派
基体が存在しない 基体が存在する
「属性」と「基体」には
明確な区別がない(唯奈論) 「属性」と「基体」には
明確な区別がある(実在論)

仏教 ヴェーダーンタ
学派 ニヤーヤ学派、ヴァイシェーシカ学派、ミーマンサー学派

仏教とヴェーダーンタ学派の違いは、基体が存在するかしないかです。仏教も現象世界は存在するように見えることは認めています。しかし、色や形、匂いが依って立つ無色透明な場所は存在しないと考えています。ここに登場する「基体」は実は世界の根本をなすブラフマン(梵)であり、ヒンドゥー学派は「属性が存在する場所の基体であるブラフマンが存在する」という考えがあります。この「基体」であるブラフマン(宇宙の根源)はキリスト教の創造主とは違います。キリスト教の場合は神が世界そのものになることはありえません。
「実在論」は、世界は積み木細工のようなものであり、「基体」に「属性」を積み重ねていくことによって複雑な世界構造を示すことができると考えます。構造の存在は世界の存在を認めることになるため、「空の思想」ではこのようには考えません。

1.3.大乗仏教

1.3.1.大乗仏教とは

 大乗は説一切有部などのアビダルマ論師を小乗として批判を投げかけてきました。その成果が『般若経』でした。説一切有部らのアビダルマ論師たちに対する批判を根底に置き、釈尊の真意を追及しようとした経典郡でした。『八千頌般若経』(八千頌からなる小品般若経)はダルマを蜃気楼の水や弦楽器の音に喩え、その実在性を否定しようとしています。『金剛般若経』は「AはAではない。それゆえにAと言われる」といった一見非合理な文章を用いてダルマを解体しようとしています。やがて、ダルマの本質的ありようを示す語として『空』が登場します。ダルマ解体のために導入された言葉でした。『あなたが考えているダルマは釈尊の真意からは遠ざかってしまっている。
ダルマの特徴とは何か教えてあげよう。それは「空」なのだ』ということを観自在菩薩が舎利子に伝授する経典が『般若心経』です。
 成仏の可能性は誰にでもあると考える出家者が現われます。彼らは声聞の人々のブッダの教えを遵守する伝統にとらわれず、言葉にできない偉大なお釈迦さまの救いの働きにすがると同時に、自らも仏になるために修行をするべきだといい、そのような人々はお釈迦さまが悟りをひらく前に「悟りの智慧である菩提を志す者」という意味の菩薩と自ら呼んでいました。大乗仏教は自ら修行しその教えを他の人々とも共有し、仏の世界に一緒に船に乗り導くといものです。大乗仏教の僧たちは長い時間を修行し仏陀そのものになれるまた近づけると考え、仏陀のように利他(他に利益を振り向ける)の精神を重んじ、慈悲を心がけようとしました。智慧と慈悲を重んじる新しい仏教が大乗仏教でした。
 チベット密教、日本密教はともにこの大乗仏教が基本にあります。仏教は、釈尊が覚りを開き仏陀に成った。この成仏の体験に基づき、人々の生き方を見つめ、悩み苦しみから救うために教えを説いた。これが仏陀の仏陀である特徴である。単に菩提樹下で解脱をしただけの仏陀は、独覚といい、この時点では、大乗仏教の徒が尊崇する仏陀ではない。信を基点として、釈尊が仏陀になった過程の解釈と、その解釈に基づいく、仏陀となった釈尊が、実践に関与したことが大切である。
 重要なのは「信」である。『大智度論』に、「仏法の大海は、信をもって能入 となし、智をもって能度となす」とあります。
 人は大乗の道に参入すると、菩薩の家族となると言われています。慈悲とはある種の願望であり、他の人々を苦しみから解放したいという心の状態のことです。共感に基づいた利他の精神と言われています。純粋な慈悲は「智慧」と「親愛」の両方を持ったものでなくてはなりません。「智慧」によって他者の苦しみの本性を理解し、「親愛」によって他の生き物に対し親しみや共感を持ちます。

1.3.2. 空の変遷

『ヴェーダ』のいう「我」を離れる為に仏教は「我」を「五蘊」に解体いたしました。次に「ダルマ」を離れる為に「ダルマ」を解体する考えの人々が現われます。それが大乗仏教でした。アビダルマたちへの批判を根底に置き、お釈迦さまの真意を追及した経典群が『般若経典』と呼ばれるものでした。インドの中期仏教で興隆する大乗仏教の代表者が竜樹でした。初期仏教の時代、原始仏教の時にも「空」のことを述べた経典があります。
『小空経』という経典で、パーリー語経典「マッジマニカーヤ」『中阿含経』3の121にあります。この経典は「このように私は聞いた・・・」という始まりで、お釈迦さまとアーナンダが会話を始めます。『小空経』には純粋な「空」は述べられずに、「空性」はプロセスと隔絶した目的地ではなく、あくまで不断の否定作業として捉えられており、大乗仏教の「空」とは違っていました。『小空経』では様々なことを思いめぐりながら、わずらいを否定しますが、「空性」を追い求めると常に起点にいる自分を見つけることになります。パーリーテキストの上座仏教の人たちは、数多くの段階を踏んできた後、最後に身体というものが残っているということを感じていたようです。
 インド中期仏教は紀元1世紀から紀元後600年頃です。この時代に『八千頌般若経』(1~2世紀)『阿弥陀経』『華厳経』の中核部「入法界品」(2~3世紀までに成立)『楞伽経』『涅槃経』(5~6世紀に編纂)などが編纂されました。この時代の主な学派は中観派と唯識派です。
 中観派はナーガールジュナ、日本訳では竜樹が中観派の祖です。般若経典群の空思想『般若経』とは別の方法で「空」を説きました。それが『中論』です。この時代の「空」はまさしく「行為」だったと立川武蔵氏は述べられています。何かをするにはまず、現状の認識をしなくてはなりません。次に認識の上に目的が生まれます。目的を達成する為に手段が必要です。「行為」を時間的に考えると「目的が達成される前」と「達成される瞬間」と「達成された後」にわけることができます。これを「空」の思想にあてはめます。
 「空性に至る前」 自己否定を積み重ねる
 「空性に至る」  瞬間の出来事
 「空性に至った後」平常の精神状態になる
となります。「空」の思想は行為そのものだと立川氏は述べられております。これは「空に立脚した修行」という考えの『般若心経』の解釈にあてはまります。竜樹の『中論』は27章にわけられており、諸々のものが「空」であるという「空」の一面を述べています。各章は考察の対象としたものの存在を否定する作業の積み重ねですが、単に否定に終わるのではなく、否定によって現われる肯定的な積極的な何ものかを目指している様子がみえると述べられています。この何ものかを見ていたために、竜樹の思想は、別の起源を持つ「縁起」という思想と「空」を結びつけることによって、徹底した空の世界でありながら、あらゆる存在を受け入れる特異な世界を作り出す基礎となりました。
 原始仏教の縁起思想は、XによりYがあり、YによりZがあるというように一方向への流れでした。 竜樹はXによりYがあり、YによりXがあるというように相互の関係ととらえました。また空思想は存在の否定です。「縁起」は肯定的であり「空」は否定的なのです。竜樹はこれを一つにまとめました。
 迷いの世界である「俗なる世界」から「空性」の「聖なる世界」へは否定作業により導かれます。空性の世界にいたった後は、新たな世界に蘇ります。蘇った世界は「縁起の世界」です。言葉や存在が許される世界です。『般若心経』はまさしく、この否定作業のための修行方法、心のありようを示したものです。
 竜樹は否定としての「空」を主張するのみではなく、その先にある救済への幅広い可能性をみていました。この思想の内容の豊富さ柔軟性がアジア各地に仏教が浸透した要因となり、各地の仏教が誕生いたしました。仏教にとって言葉は一度否定されるべきものなのです。物事の「ある」「なし」や上下、男女等々を考えてみると世界は全て言語にもとづく二項の相関関係の中で人間が観念によって作り出したといえます。言葉によって物事の世界が広がっていることを「戯論(けろん)」といいます。
 竜樹は、言葉は世界であり、俗なるものと考えました。言葉を「分裂する、分かれて広がる」という意味の「プラパンチャ」と名付けました。
 言葉や世界は自らを止滅させることで、行者は聖なるものとしての「空性」の顕現を可能にし、修行者が言葉を分析して、言葉が持っている矛盾を明らかにしていく過程が、俗なる世界から「空性」の聖なる世界に向かう道であるということを『中論』の大部分で書かれています。聖なる世界から俗なる世界、縁起の世界に帰ってくると、そこは聖化された俗なる世界と考えられ、「仮説(けせつ)・中道」といいます。『中論』の第24章18偈には「縁起なるもの、それをわれわれは空性と呼ぶ。それ(空性)は仮説であり、中道である」とあります。「縁起」は俗なるもの、「空性」は聖なるもの、「仮説」「中道」は聖化された俗なるものを意味するようです。
「もろもろのものはどのようなものでも、どこにあっても、何時でも自からも、他からも、自他の二からも、さらに無因からも生じたものとして認められない」[『中論』第一偈] 世界においてものが生じることはないことを述べています。また「もろもろのものの自性は縁(原因)等に認められない自性が認められないから他性も認められない」[『中論』第二偈]とあります。
 「ものの自性」の「もの」は、「基体」であり「自性」は「属性(性質)」ということになります。 「もの」と「自性」の関係は「基体」と「属性」ということであり、これ自体には原因(縁)がありません。「他性」についても「自性」が認められないので「他性」も認められないと述べています。 そして、アビダルマの仏教の学説である四種類の縁についても『中論』の第七偈から第十偈で否定されています。仏教の修行の根本は、俗なるものを止滅させること否定することにあります。「空」は否定を意味しますが、この「空思想」によって否定されるべき対象は言葉によって述べられ、構築されている「世界の構造」です。言葉・命題への否定は世界の構造の否定になります。この否定には二種類あり、「命題の否定」と「名辞の否定」があります。「このプールに女性がいない」ということを考えてみます。「命題の否定」では否定されているのは、「プール」でも「女性」でもなく「プールにおける女性の存在」です。「名辞の否定」では「女性でないもの」ということになります。その領域というか範囲が「人間」ということなら男性が肯定されます。また「生物」ということでしたら「犬」や「猫」なども肯定されます。
 否定には命題そのものを否定する場合と命題の中の名辞を否定する場合があります。竜樹の言葉の分析の結論は、二つ以上の項に分裂している言葉は究極的には「空」の立場では成立し得ないと考えています。主語と述語があって意味をなす世界にいる限り我々は悟ることはできないと述べられています。「空」は言葉の否定なのです。神と言葉が密接に関係する宗教では、想像できない世界観だと思います。言葉の持っている矛盾を言葉を話す限り逃れられないということを竜樹は考えました。
 命題の成立には二つ以上の項が必要です。竜樹はここからの広がりが「プラパンチャ」であり、世界が存在し、世界がある限り救いはないと考えました。
 そして「歩く」ということを分析し第二十五偈で「それゆえに歩くことも歩く人も歩かれるところも存在しない」、つまりすべては「空」であると述べました。これは『般若心経』の「不生不滅」であるゆえに「生老病死」も「色受想行識」もないという考えにつながります。それでは全てのものが全く存在しないのかということになります。竜樹は最高真理においては「空」であるが、世俗心理においては全てのものが存在すると主張しました。竜樹の『中論』では自性の捉え方が重要です。大乗仏教においても「自性」の変化が「空性」の変化につながっていきます。竜樹は全てにおいて否定しました。では、全てのものが無であり、すべて存在しないのでしょうか。竜樹は「最高真理」においては「空」ですが、「世俗真理」においてはすべてのものがありうると主張いたしました。
 「縁起」は「空性」となり「空性」は「仮説」となります。アビダルマも空思想と同様に「業」や「煩悩」を止滅させる修行を行いましたが、世界や世界の構成要素としての原子は無になる必要がなかったのです。竜樹は「業」や「煩悩」は概念作用から生じると考えました。概念作用は「プラパンチャ」より生じているので、止滅させることにより概念作用も無くなり、「業」と「煩悩」も無くなると考えました。世界が存在しないと知ることが、「空」の実践の前提条件であり、空思想は徹底した否定作業の必要性を説きました。「自性」の捉え方の変化により空の思想が変化しますが、「自性」の捉え方を仏教諸学派により四つのパターンに立川武蔵氏は分類されています。
パターン1 アビダルマ仏教
自性と諸要素が共に実在する
パターン2 初期大乗仏教
自性と諸要素が共に非存在あるいは非実体的なもの
パターン3 竜樹、シャーンティラクシタ
  自性は実在ではないが、諸要素は世間的に有効な作用を有する意味で存在する
パターン4 如来蔵思想
  自性は実在するが、諸要素は非実在的なもの

 パターン1のアビダルマは「自性」と諸要素の区別は問題にしませんでした。またパターン2、パターン3を含む竜樹は別の意味で区別について問題にいたしませんでした。求むべき最高の真理を得る為には、両者とも止滅させるべきものなので、「自性」と諸要素は問題にいたしませんでした。これは釈尊の立場に近いです。グプタ期(4~6世紀)を過ぎるとすべてのものを「空性」に導こうとした竜樹を祖とする中観派も「自性」の存在は認めませんが、眼前の現実世界の有効性を否認することはできませんでした。8世紀のシャーンティラクシタ、カマラシーラはパターン3となりました。 竜樹がアビダルマを批判した1世紀後に登場した如来蔵思想は、常住の如来蔵を考え始めました。これがパターン4であり、タントリズムに影響を与えました。

1.3.3.自性の変容

「自性」の捉え方が中期の仏教までに変化をしてきます。これは重要な変化だと考えられます。『般若心経』の「五蘊皆空」というところがあります。サンスクリットでは「皆空」は「スヴァーバーヴァ シューニャ」です。「スヴァーバーヴァ」は「自性、自体」と訳します。玄奘はこれを「皆」といたしました。「シューニャ」は「空なるもの」です。M・ミュラーは「それら(五蘊)の本性からいって空である」と訳しました。これを受けて多くの方が「自性、自体」というものを肯定的な使い方をしています。「本性の面からいうと空」というのであれば「本性以外の面からいうと空ではない」ということを含む意味になり得ます。
 チベットゲルク派のツォンカパは「自性空」を「自性として成立することの空」と捉えました。自性として成立していない部分は存在すると考えたのです。この「自性」を肯定的な解釈で捉えています。本来正統的に「スヴァーバーヴァ シューニャ」を読むと「実体を欠いている」というように否定的になるはずです。どうして否定的なものが肯定的になったのか、その時期についても不明のようです。初期仏教や初期中観哲学では否定的にとらえているようですが、7世紀のチャンドラキルティは肯定的にとらえています。
 「五蘊」の「自性」としては実在しない「空」ですが、「勝義(空性)」としての「空性」そのものは実在するとチベットでは考えられています。これは「五蘊の世界」は一度否定され「仮説」である「聖なる世界」となります。最初に否定されるべき存在であった俗なるものが聖化されて「空性」そのものであると解釈されることになります。
 「五蘊」は「自性空」という表現は①五蘊はそれ自体が空である(自体を欠いている)②五蘊は自性(実体)が空であるが、五蘊の現象(言説)は存在する③ 現象としての五蘊は自体が空であるが、本質としての空性は実在する、と変化しています
 インドの仏教初期は①ですが、時代と共に②となり、後期では③となります。
 ところで玄奘以前の羅什訳の「中論」はピンガラが著した「中論」注釈を訳したものでした。
 また五世紀頃、ブッダパーリタ(仏護)が「中論」に対して帰謬論証法を用いて注釈書を書きます。ブッダパーリタは帰謬論証派です。帰謬論証法は結論Yを証明する為に非Yを前提とすると誤った結果に導かれてしまう。だからYが正しいという論証方法です。帰謬論証を行う為の言葉が「空性」そのものと考えなかったし、逆に言葉が空性を完全に説明できるとも考えていなっかたようです。「空性」を「~でない」と否定的に示したにすぎなかったようです。

1.3.4.唯識派

 6世紀にはディグナーガ(陳那)によって形式論理学が確立されます。ディグナーガは唯識派の思想家でした。形式論理学は「空性」を整合的に説明しようとします。これを引き継いだのがバヴャ(清弁)です。「中論」に対して『般若灯論(智慧の灯し火)』という注釈書を著しています。これは「行く人は行かない」といったような一般常識では受け入れられないものであり、形式論理学でも認められない命題を、論証式を立てて証明しようとしました。バヴャは帰謬論証派のブッダパーリタ(仏護)を批判していましたが、その論証式には致命的な欠陥がありました。それは同じ論証式で一つの名辞を異なった意味に用いたのです。これは一般常識では受け入れられないような『中論』の命題を形式論理によって証明しようとした当然の結果だと立川氏は述べられています。
 これを指摘したのがチャンドラキールティでした。チベット仏教ゲルク派の思想の基盤を築いた人です。チャンドラキールーティはブッダパーリタ(仏護)同様に「空性」は言葉を超えていると考える一方、現象世界の構造に関わり現象世界の重要性を認めていました。中観派と並ぶ学派に唯識派があります。竜樹よりすこし後に活動を始めます。開祖はマイトレーヤです。名前が弥勒菩薩と同じだったので同一視されます。マイトレーヤの思想を受け継いで唯識派を確立させたのは世親でした。著書に『唯識三十頌』があります。この著書は唯識の教理体系を見事にまとめたものでした。玄奘三蔵はダルマパーラ(護法)の三十頌の注釈をもとに『成唯識論』をまとめます。これが中国や日本の基本テキストとなります。世親は8つの認識の複合体が世界と考えます。その8つは「アーラヤ識・マナ識・眼・耳・鼻・舌・身・意」です。アーラヤ識のアーラヤは「基体・存在する場」ということです。「ヒマラヤ」は「ヒマ(雪)」のアーラヤ(基体・存在する場)という意味です。世親の言う唯識の体系ではアーラヤという認識が実在論者のいう実体のように基体として機能するのではなく、また全てのものがそこから引き出される貯蔵庫でもない。つまりアーラヤ識とその他の認識は、基体と属性の関係ではないと考えていました。唯識派は唯名論の伝統に属していました。
 同じ唯名論のバラモン正統派サーンキャ学派では、世界は原物質(プラクリティ)の展開したものであり、原物質とは異なった原理である「霊我(プルジャ)」が存在し「霊我」は原物質を見守ると考えます。この原物質の中に唯識派のいう「六識(眼・耳・鼻・舌・身・意)」が含まれています。
 「アーラヤ識」と「霊我」は教理体系では似ていますが、相違点類似点を持ち合わせています。 相違点は、サーンキャ学派は「霊我」と原物質はまったく別のものと考えます。一方で唯識派では「アーラヤ識」と他の認識は全く別のものではありません。類似点は、サーンキャ学派は原物質が展開してこの現象世界となると考えます。唯識派は様々な認識作用が働いた結果、現象世界が認識として成立すると考えました。

1.3.5.唯識派と中観派

唯識派と中観派にも相違点があります。唯識説では認識のエネルギーが最終的に「智の光」という形において残るという前提があります。中観派では「空」においては何も残らないと考えていました。しかし、「空」も一種の智慧や空の境地ということを考えたので「空」が完全な無とは考えられていません。唯識派は心的エネルギーの存在を認めて、その働きである認識を構成要素として世界の構造を説明しようとしました。一方で中観派は心的エネルギーの存在や世界構造などを基本的には否定しようとします。唯識学派では世界は認識の内容にすぎず、中観派は空なるものだったということです。
 中観派、唯識派などのインド中期仏教の前半五世紀頃までは言葉とその対象は止滅している、あるいは実在しない側面が強調されました。言葉の対象は存在しないものだったのです。

1.3.6.論理学派

5世紀から7世紀ごろに論理学派というものが誕生いたします。ディグナーガによって6世紀に確立いたします。論理学派は唯識学派ですが、世親の『三十頌』の理論が勢力を失い、直接知覚というものや推論の体系を扱う論理学派というものが誕生いたしました。この直接知覚に関する理論はものごとの認識ということに関係し、概念作用を含まないもののことをいいます。例えば、リンゴはあらゆる概念を含んでいるので直接知覚とは言いません。真に存在するものは、「リンゴ」という名称や言葉によって指し示される以前の個物そのものであり、「リンゴ」という概念の対象は実在しないものと考えます。仏教論理学は諸概念が指し示す領域の関係を研究しようとしました。リンゴは果実という概念には含まれますが、赤いという概念には含まれません。仏教論理学派は言葉のレベルにおいては一般における妥当性有効性を重視して推論形式を作り上げました。一方で真に存在するというものは言葉と結びついたものではないと考えました。言葉を超えた智を「聖なるもの」とみなしていたのです。竜樹も縁起という真理では日常の言語活動が死滅していると考えていました。竜樹は命題の分析により導き出しましたが、仏教論理学派は知覚成立場面において導き出しました。竜樹は『中論』の第24章8偈で「二種類の真理によって諸仏の法の教えがある世間的真理と最高の立場からの真理(最高真理)である」と述べています。世間的真理とは言葉になった教えのことであり、最高真理とは言葉を超えたものと考えていたのです。清弁は世間的真理とは仏の教えのみではなく、一般の人々の日常言語活動も含むと考えていました。また、最高真理は言葉を超えたものと考えられていましたが、空性を言葉で的確に指し示すことができると考えていました。

1.3.7.如来蔵思想

仏教後期につながる思想が現われます。それが「如来蔵思想」です。論理学派とは別に4世紀ごろから唯識学派と深い関係を持ちながら発達したのが「如来蔵思想」です。「如来」はサンスクリットの「ありのままに(タター)悟られた方(ガタ)」が漢訳の時に如来となったのではないかと立川氏は述べられています。「蔵」は子宮または胎児を示す言葉です。子宮ということに注目すると「貯蔵する倉庫」的な側面が強調され、胎児に注目をすると「中に蓄えられているもの」が強調されます。「如来蔵思想」では「胎児」という側面に注目いたします。人間はそれぞれが仏という胎児を有しているという考え方です。6世紀には『楞伽経』で「アーラヤ識」と同一視されています。「如来蔵思想」は時代と共に恒常不変な仏とその可能性を求めた思想ということとなり、仏教の伝統に反する思想とみなされ、インド仏教の正統とはみなされませんでした。

1.4.インド後期仏教 密教 インド後期仏教 7世紀以降

 5世紀後半の西ローマ帝国が崩壊いたしました。インドでは五世紀頃は兵士や商人が勢力を有していましたが、この崩壊と共にその力は弱くなり、社会は商人達の世界から農村中心の世界に変化をいたします。
 仏教の最大の施主で信者だった商人達の生活が不安定となり、仏教はこれまでの基盤を失いました。
 社会の変化によって、仏教の精神的至福という側面だけではなく現世利益に対する比重も大きくなります。
 私の住む豊永郷でも農耕儀礼が盛んに行われており、現在でも多くの宗教儀礼が残っています。
 つまり、世界宗教と呼ばれる宗教以前の信仰である、カミやスピリットの世界が再度注目されはじめたのだと思います。
 そこに登場する仏教がインド後期仏教の中心的な思想タントリズム(密教)です。
 眼前の現象世界の構造を論理的な言葉によって語るということは論理学の体系を知った人々がもっとも求めたことでした。
 タントリズム(密教)はインドで急速に台頭した宗教運動でした。





2.仏教とは

宗教者の佐々木閑氏は、仏教は「仏法僧」の「三宝」を受け入れるというのが、仏教といえます。「三宝」とはサンスクリット語で、「トリラトナ」のことです。この「三宝」こそが仏教の定義です。この定義は、世界中の仏教の共通で、「仏法僧」のそろった宗教活動が仏教となります。
 「仏」とはお釈迦さんのことです。「法」とは「ダルマ」といいお釈迦さんが説いた教えのことです。
「僧」は「ソーギャ」の音写で、4人以上の比丘・比丘尼(僧・尼僧)が集まってつくる修行の組織のことです。お釈迦さまを信頼し、教えに従って暮らす僧侶が、修行組織を守りながら生きている状態が仏教です。[佐々木:18‐19] よって、お釈迦さまやお釈迦さまの教えを否定することは、仏教ではないということになります。
仏教学者である宮崎哲弥氏は「仏教は、いわゆる一般的な「宗教」という枠組みで捉えるよりも、「自己と世界の関係」を根本的に組み替えるための「思考‐実践の体系」だと考えた方が、その本質をより把握しやすいと思います」と述べています。
仏教は何を目指す者であり、そのために仏教は社会と人との関係をどのように考えてきたのでしょうか。

2.1.仏教の目指すところ

経典にはお釈迦さまの教えが書かれており、功徳があるとのことですが、仏教とはどのような宗教なのでしょうか。
多くの教えや特徴がありますが、修行の一つを上げるとすると、「苦」を取り除くということを出発点として、「苦」どのように考え、取り除くのかを示しています。そのプロセスはお釈迦さまが悟られるまでのプロセスを知り、追体験をすることで、私たちもお釈迦さまのように安心した幸せな生活を過ごそうとするものです。
私たちの生活の中で、不快なことは何らかの「苦」が原因になっていると考えます。仏教はその対処方法や考え方を2500年追求してきました。よって現在の日常生活においてもそれらの方法を知ることは、皆さんにとって何らかの有益な手段になるのかもしれません。
「苦」は各自が感じることで、不快なものです。その「苦」は自分を取り囲む環境や条件により起こっています。つまり自分と世界との関係の中で「苦」が誕生しているということになります。では、その「苦」を取り除くにはどうしたらいいのか、ということが仏教の出発点になっており、「苦」を消すことが出来ないのであれば、自分と世界の関係性をどのような関係性にすれば「苦」がなくなるのかなど経典から学び思考し、それを瞑想など様々な形で実践することで、精神的な「苦」を取り除き安心した生活をおくろうとするのが仏教ということになります。

2.2. 社会の捉え方

(1)物理世界と精神世界

私たちは、日々生活をする中で様々なことを経験し生活をしています。その中で幸せを感じることもありますし、辛く苦しいこともあります。私も皆さんも幸せで楽しいことは長く続くように願い、興味を持ち追求をします。一方、苦しいことや害になると判断したことは避けようとし、切り離そうとします。
 物理的な世界の中では、私たちは何が自分を幸せにし、何が有害なものかということを知っています。例えば、暑い日には、Tシャツなど薄着になり、寒い日には厚着になります。お鍋が熱いと知れば、ミトンを使ってお鍋を持ちます。自転車に乗っていいて、こけて怪我をして痛い目に合うのも嫌ですので、様々な注意をしてこけないように自転車に乗ります。
 我々が、幸せというときは、どのような状態でしょうか。それは「苦」がない状態だと言えます。「苦」というのは「不快」とも言いかえることができると思います。「苦」には大小があるにしても、それらが取り除けるように、物理的な世界では日々、科学技術の進歩があり、システムの進歩があります。あらゆる分野の人々が働くことによって、「苦」を取り除く行為が物理的な世界では豊かさにつながっています。
 國分功一郎氏の著書に『暇と退屈の倫理学』がある。國分氏は序論でイギリスの哲学者バートランド・ラッセルの『幸福論』をきっかけに、人は社会をより豊かなものにしようと努力してきたが、それが実現してきたら人は逆に不幸になるということを考察している。そこに豊かさとは何かということが述べられています。国や社会が豊かになれば、少なくても2つの余裕が生まれるとし、一つが金銭的な余裕、もう一つが時間的な余裕だとしています。この余裕について考察が深まっていきます。[國分功一郎 2022:18-21]
 我々が豊かな生活と考えるのは、第一義的に金銭的な豊かさ、また経済的に恵まれた状況を想定します。よって、物理的な側面では積極的に「苦」を取り除く作業がおこなわれ、豊かさを求めるために各分野で当然のように追求が行われます。
 では、皆さんは精神的な面でも同じように分析し、考えたり対処をしているでしょうか。
 仏教では、物理的な世界と同様に精神的な世界でも分析と見極める能力が必要だと考えます。そして自分の心の良い部分を増大させ、悪い部分を弱めるために知識と経験を得ることが大切だと考えます。幸せは物質的な条件の達成だけでは得ることが出来ないと考えています
仏教には「身口意」という言葉があります。様々な行為は「言葉の行為(口業)」と「身体の行為(身業)」と「意志の行為(意業)」という三つに分類されます。「言葉の行為」「身体の行為」は「意志の行為」の結果として起こっていると考えられるので、「意志の行為」が一番重要になります。
人が幸せや不快であると感じる一つに、人のつながりがあります。誰かと縁を持ったり、意思疎通をするために、人ができる機能の一つに言葉があります。これが「口」です。そしてジェスチャーや鉛筆やパソコンなど道具を使い意思を伝える方法や表情、または目などで合図をすることもあります。これらは「身」ということになります。そしてこれらの機能を働かせているのが「心」と仏教では考えています。
良い行動になるのも悪い行動になるのも、「意志の行為」の性質であり、この根源である「意思の行為」をダライ・ラマ法王は「動機」と言っています。
 つまり心の在り方が、日々の生活に重要な影響を与えているということになります。最近では科学的な分野でも、精神面が健康に影響を与えることが言われることもあります。

<苦を排除する方法①>
 幸せを見つけて、苦を克服するために必要なことの一つが「知性」だと考えます。「知性」によって何かを知ることは、知らないよりは安心した生活がおくれることを皆さん想像できると思います。一方で「知性」を悪い方向に発揮すると、犯罪につながるようなことにまで利用さえることになります。重要なことは「知性」を適切に用いるということが大切になります。「知性」と「心」を結び付けることで、相手を思いやる慈悲の気持ちや、人と分かち合う気持ちが生まれ「知性」は強力な善い力を持つことになります・怒りや憎しみは、私たちの内的な安らぎを破壊する力をもっています。慈悲や満ち足りた感情、寛容、自制などは外的にも内的にも安らぎの基本となるものだと仏教では考えます。
 

(2)多様性

勘違いをしてはならないのは、特定の信仰を持つことに依存することが幸せであるとは考えません。宗教的実践や信仰をもつことによって、人々は満足を見出そうとします。しかし人はお互いに別の状態におかれているとき、他の信仰や伝統について、それぞれの人々が継承しているものと自分の信じるものが別のものであることがあります。その時、自分の信仰が唯一正当なものであると誤って感じることがあります。
他の地域の人々の気候、風土、歴史のなかで培われ継承されてきた文化とその中で変化しながら継承されてきた価値観があります。それぞれに大事にしてきたものがあります。
 そしてこれらの中には、信仰があります。信仰には様々な信仰があります。小規模な集団の進行であったり、広範囲な倫理的教理をもっている信仰、高度に洗練された哲学を持っている信仰、また最大の中心点というべきか強調点を置いている信仰など、様々にあります。これらの信仰を二つの視点から考えることができます。
一つは哲学的次元、形而上学的次元です。これは私たちがなぜここにこうして存在し、なぜ宗教的な実践が規定されているのかということです。
もう一つは、道徳的ないし倫理的原理の実践に関するものです。これは信仰の伝統の倫理的教理は、形而上学的あるいは哲学的な思考を通じて裏付けられ、確証された結論と言えるものです。それぞれに異なります。
 これらの観点から大いに信仰は異なっているように思えますが、実は、目的としては似通っています。すべての人々は幸せでいたい。安心した生活をしたい。安心した生活というのは、自分がしたいことが出来る生活です。
 富士山の登山に喩えますと、目的は富士山の山頂です。しかし、登り方や登山口は静岡県側であったり、山梨県側であったりします。登り方、登り方に関する考え方、登り始める場所など様々にあります。アプローチの仕方が異なるのです。
このようなアプローチの違いは、同じ宗教内でもあります。仏教にもそれは当てはまります。仏陀の教説には多様性があります。哲学的教説は更に違いが見えます。
 仏陀は弟子たちがそれぞれ異なった気質や傾向をもち、別々の関心をもっていることを知っていたので、弟子たちに合わせて別々に教えを説かなければならないと判断していました。ある教えが大変説得力があっても、どんなに哲学的見解が正しくてもそれが聴く者にとってふさわしいものでなければ、全く意味がありません。これは薬を投与する医師に似ています。
 

3.仏教経典

 心の連続性は涅槃に達すると同時に失われるとされていたが、ナーガールジュナはいかなるものも意識の連続性を止滅させることはできないと考えた。生まれつき備わっている清浄性を曇らせる汚れや煩悩と本来の心は区別されるべきと主張しました。
 精神面での汚れや煩悩はお釈迦さまが説いた効果的な対処法を実践することによって取り除くことができ、心そのものの連続性が終わることはないと考えました。これによって大乗仏教の正当性をナーガールジュナは主張しました。『道果説(ラムデー)』の中で正当性について議論されました。それによれば「4つの正しい知識の源泉」が重要であるとしました。お釈迦さまの正しい経典(仏陀が説いたもの)、正しい注釈(仏陀の読解、解釈)、正しい導師(正しい経典、注釈を習得実現する人物)、自己の正しい体験(正しい導師の教えに基づき、正しい体験、実現が心の中に育まれる)の4つです。
 これにより自分自身の中で起こる小さな体験を基にして、経典や注釈あるいは高僧の伝記に書かれているような、偉大な精神的実現の正しさを自らの実体験を通して確信できます。ナーガールジュナは『中論』の中で「真理の究極的な本性を説き、大いなる慈悲の原理を体現し、すべての生き物に対する比類なき慈悲の力に突き動かされてあらゆる錯誤を克服するための道を示した仏陀に敬意をはらう」と述べています。

3.1.聖典

 お経について少しお話をします。
お釈迦さまは教えを文書化をすることを許していませんでしたので、仏典が仏教の集団的に編まれたのは、釈迦の入滅後間もない時期からでした。お釈迦さまの入滅時に一人の比丘が「もう師からとやかくいわれることもなくなった」と言ったことがきっかけで、これを聞いた摩訶迦葉が、釈迦の教説(法と律)を正しく記録することの大切さを仲間の比丘たちに訴え、皆を集めて聖典を編纂したことが最初とされています。
仏教について書かれたものに対する呼び名は様々にあります。仏典、仏教の聖典、お経などです。
仏典は仏教典籍のことで、「仏教の書物」を意味します。仏教の書物には、
① 律蔵(ヴィナヤ・ピタカ) --- 僧伽(僧団)規則・道徳・生活様相などをまとめたもの
② 経蔵(スートラ・ピタカ) --- 釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの
③ 論蔵(アビダンマ・ピタカ) --- 上記の注釈、解釈などを集めたもの
があり、これらを仏典といいます。
 この中の「経」が一般に言われる経典や経のことです。経は、お釈迦さまが説いた教えを記録した聖典のことです。聖典というのは、それぞれの宗教の中で権威のある書物、中心となる書物ということになります。
キリスト教なら『旧約新約聖書』、イスラム教なら『コーラン』が教えの基礎です聖典となります。仏教の聖典としては、『阿含・ニカーヤ』とよばれる初期経典やパーリー語で書かれたものであるなら、『長部』・『中部』・『相応部』・『増支部』・『小部』の初期経典になります。このパーリー五部が仏教経典で一番古いものです。古ければ古いほど釈迦のオリジナルの仏教に近いと言えますが、お釈迦さまの時代には文字が定着しておらず、口伝でした。よって初期経典と言っても「釈迦直伝の言葉」とまでは言えないが、『阿含・ニカーヤ』が起点であるといわれています。[佐々木:23-24]
 これについては、大乗仏教側からは反発があります。『般若経』『維摩経』『法華経』『華厳経』『浄土三部経』『大乗涅槃経』『解深密教』『大日経』はどうなるのかとなります。大乗仏教は阿含・ニカーヤを軽視してきました。天台智顗の「五時八教」では、「阿含時」(阿含・ニカーヤのこと)の教えは初歩的で不十分なものとあります。[宮崎:24]
 大乗仏教は、釈迦入滅後500年経て現れた仏教運動なので、ニカーヤに比べると新しいことは間違いありません。しかし東アジアは大乗仏教が中心ですから、その世界では大乗仏教の経典は、お釈迦さまの直説であるとか、正当な仏教という思いは強く残っている。信仰の立場から言えば大乗仏教経典もお釈迦さまの教えであるが、歴史的に見れば決してお釈迦さま自身が説いたものではない。このように二重構造で捉えるしか方法はありませんと述べられています。[佐々木:26]
 お釈迦さまの時代にはサンスクリット語はまだありませんでした。[佐々木35]
 いくつかの仏典では、釈迦は自分の教えをサンスクリット語に翻訳することを戒めているようすが、「パーリー律」や「四分律」にあります。サンスクリット語が得意な仏弟子の兄弟が、釈迦の教えを他の仏弟子たちが各自の親しんだ方言で語り伝えていることによる混乱を危惧して、釈迦に「私たちがサンスクリット語に翻訳いたしましょうか」と申し出たら、釈迦が怒って「比丘たちよ。ブッダたる私の言葉をサンスクリット語に転じてはならない。もし勝手に翻訳したら突吉羅罪(ときらざい・微罪)に当たるぞ」と𠮟り、かつ「ブッダたる私の言葉は各々の国の言葉で学ぶべし」と命じたという挿話(『南伝大蔵経』第四巻:211:1970)があります。これは仏教の特異性を考える上で非常に大きな意味があるとされています。1世紀初頭まで仏典はサンスクリット語に翻訳されませんでした。大乗経典は主にサンスクリット語で書かれています。[宮崎:35-36]
 お釈迦さまの時代は文字文化が未発達だったので、お釈迦さまが自分の言葉をそれぞれの地域の人々に通じる、それぞれの地域の人々に通じる、それぞれの言語に翻訳して伝えよと言ったのは、きわめて自然で当たり前のことでした。
 パキスタン・アフガニスタン国境付近でガンダーラ語で書かれた『般若経』がみつかりました。現存する最古の大乗経典で紀元1世紀~から2世紀のものであることが炭素測定で判明しました。大乗経典でさえも、その土地その土地の言葉で最初は作られていた可能性がある。[佐々木:36]
 通常の教相判釈は、その経典に完全な教えが書かれているのかなど、経典の質を判断し、優劣をつける。他方、大乗系との議論では、「どれが釈迦の直説や真意に近いか」というような、先後・新古の判定に重きが置かれている。
 パーリー五部の小部は、経典の寄せ集めみたいなもので、他のニカーヤよりずっと後にまとめられたものなので、特異な経典の集成という位置づけになる。しかしそこには「スッパニパータ」や「ダンマバダ(法句経)」のように古くて重要なものも多くあります。「スッタ(スートラ)」はお経、「ニパータ」は集まり、本来は「お経の集成」という意味になるが、「ブッダのことば」として中村元が出版した。[佐々木:40]
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 「スッタニパータ」の第四章、第五章の大部分、第一章の「屑角経」のみがアショーカ期以前の成立であると推定されています。[宮崎:42]最近の仏教学への疑問として、例えば、『阿含・ニカーヤ』に描かれたブッダ像を断片的に取り出して、大乗仏教の諸仏の「淵源」として牽強付会 (けんきょうふかい)している。[宮崎:42] 同感。仏教学が抱える大きな問題の1つが、現実世界における自分たちの立場を根拠づけるために、古代の仏教資料を利用するという考え。自分たちの考えに都合のいいところだけを抜き取っている[佐々木:44]
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よって仏教の聖典とはどれですか、と問われれば恐らく仏教の各宗派によって異なると思われます。
日本内の仏教の集団はたくさんあります。有名なものでは、浄土宗・浄土真宗・天台宗・真言宗などですが、その他にも曹洞宗や黄檗宗などなどいくつもあります。これ等の特徴をお話をしていると、それだけで大変な時間が必要になりますので、ここでは控えておきます。また中国仏教、タイ仏教、チベット仏教などもあります。
ご案内のように、各言語で伝えられたことから、各地域との信仰の影響もあると思われます。
仏教の素晴らしいところはその柔軟性です。自分の信仰と違うと感じた時、他を排するのではなく、仏教というフィルターを通して理解をしようとするところです。その影響で古い信仰が、仏教の信仰される地域に残っていることがあります。
しかし、その中心は仏教なので仏お釈迦さまの教えが中心であり、お釈迦さまを否定する仏教はあり得ないと私は考えています。
仏教の聖典は何かと聞かれれば、お釈迦さまの時代に近い経典となればパーリー語で書かれた初期の仏教経典の『パーリー経典』になると思います。そして、その土台の上にあるものが『般若経』だと感じています。
『パーリー経典』は、仏教経典の中で一番古い経典とされています。つまりお釈迦さまに近い頃の経典となります。『般若経』は大乗仏教の根幹の重要な経典だと考えるからです。
玄奘三蔵さんがもたらした600巻の『大般若経』のエッセンスをまとめたものが、『般若心経』です。よって、現在では写経と言えば『般若心経』を書写することが多いです。

3.2.写経

 写経は集中しているとあっという間に時間が過ぎていきます。その間は世間から気持ちが違った場所にあり、気分転換になります。また自分を見つめる時間にもなると思います。その写経には『般若心経』がよく書写されています
『般若心経』は、インドから中国、日本に伝わったものやインドからチベット、モンゴルに伝わっており、仏教徒にとって重要な経典ですが、仏教を実践する僧侶にとってはとても重要な経典です。
皆さん、玄奘三蔵さんをご存知でしょうか?西遊記の三蔵法師のモデルになった方です。
玄奘三蔵さんは、仏教を知りたくて唐の国の法律を破ってインドに向かい、17年の歳月をかけ多くの仏典を持ち帰り、インドの言葉から中国の言葉に翻訳された凄い方です。
 「大般若法要」をご存知でしょうか?定福寺では年末年始の護摩祈祷の際に執り行われます。また竹林寺では1月の初文殊会式の際に行われます。この時僧侶が大きな声で般若経の題名をお唱えするのですが、その時「大般若波羅蜜多経 巻第〇〇 唐の玄奘三蔵 奉詔訳」とお唱えしています。
 この『大般若経』は600巻あり、6億4000万字あるとされています。
 このように訳された仏典は、印刷技術の無い当時は全て写経をしていました。多くの僧侶は学ぶ際には、師匠の経典を拝見させていただき、それを書き写していました。多くの経典の奥書には「誰それ師匠から書写しました」という文字が残されています。真言宗では護摩祈祷や様々な修法をいたします。今は印刷されたものがあり求めることが可能ですが、私は全て写経をしています。
 その理由は、僧侶になったばかりの頃、先々代の義光僧正に「私の前の住職は写経をあまりしていない。その前の住職は多く残している。その前はあまり残していない。そして、今の住職もあまり写経をしていない。わかるね。次の住職は写経をする番だよ」ということでした。
 仏典を写経する経師(きょうじ)という役職や装釘をする人、校正をする人など写経に関わる多くの役職がありました。
 『法華経』法師品に「於法華経。乃至一句。受持。読誦。解説。書写。種種供養経巻。華香瓔珞。抹香。塗香。焼香。繒蓋。幢幡。衣服。妓楽。合掌恭敬。是人一切世間。所応贍奉。応以如来供養。而供養之。当知此人。是大菩薩。成就阿耨多羅三藐三菩提。哀愍衆生。願生此間。広演分別。妙法華経」(法華経の乃至一句に於ても受持・読誦し解説・書写し、種種に経巻に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・・蓋・幢幡・衣服・妓楽を供養し、合掌恭敬せん。是の人は一切世間の贍奉すべき所なり。如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨多羅三藐三菩提を成就して、衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。)
 とあるように、経典を受持し読誦することと同様の功徳として書写が書かれています。
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この『法華経法師品』に関しては、ここに書かれていることが出来る人は、世間を俯瞰して見れる人であり、「仏の完全な悟りを得ることが出来、それによって多くの人々をあわれみ、この世間に生まれ、妙法蓮華経を広く伝え分別する」
仏教にとって分別とは、認識主体と認識対象を分け、認識主体を「我れ」として固執(我執)し、認識対象を「我がもの」として固執(我所執)することである。この分別によって、自己中心的な固執が生まれ、それによって苦悩が生まれる。仏教では「煩悩は分別によって生まれ、分別は戯論(言葉によって固執の世界を虚構すること)によって生まれる」と説かれる。私たちの世界は言葉によって虚構され、その虚構によって自己と自己の所有に対する固執が生じ、勝れた他と比較して劣等感を抱いたり、劣った他と比較して優越感を抱いたりする。その分別によって煩悩(苦悩)が生まれる。
 人間は善悪・正邪の分別なしでは生きられないが、その分別によって人間は苦悩する。そうした分別の本質が明らかになるとき、分別は分別のままにそれに固執しない智慧の世界が開かれる、それを「無分別智(分別を超えた智慧)」という。それは分別のない世界ではなく、分別の本質を知見し、分別が障りとならなくなる世界である。
******
平安時代以降は、僧侶が学ぶために写経をしたり、仏法を流布するということだけではなく、祈願成就など信仰のために行われるようになり、写経した経典を経筒に納めて埋納する経塚が造られたりし始めました。
定福寺から少し上がったところに経塚があります。お経に功徳があると考え、その土地の安全を願ったり、またお堂などの建立の際に写経し埋蔵した記録もあります。

4.『般若心経』について

お釈迦さまの言葉や教えを弟子たちが集まりまとめたものが、お経の始まりでした。よって殆どの経典の最初は、「如是我聞(我はお釈迦さまからこう聞いた)」で始まります。殆どの経典と言ったのは、そうではないお経があるからです。その一つが『般若心経』です。

(1)日本の『般若心経』

『般若心経』の原型が成立したのは3世紀頃と言われています。日本には660年に道昭によって持ち帰られた可能性が高いとされています。現在読誦されたり、写経に用いられている『般若心経』は玄奘訳に基づく「流布本」とされています。「流布本」というのは、同一の原本から出た書物で、最も一般的に広まっているもののことをいいます。

(2)般若心経の編纂

玄奘三蔵の前に鳩摩羅什により『大品般若経』が訳されました。鳩摩羅什(344 – 413)は、亀茲国(きじこく)現在の新疆ウイグル自治区クチャ市出身の僧侶で、後秦の時代に長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧でした。最初の三蔵法師。鳩摩羅什は玄奘と共に二大訳聖と言われています。最初期の『般若経』として『八千頌般若経』といわれる『小品般若経』(現存は十巻二十九品)があり、次に二万五千頌からなる『大品般若経』(現存は四十巻九十品)が誕生しました。最終的には『般若経』は玄奘三蔵により『大般若経』600巻にまとめられました。そして『般若心経』は『大品般若経』より大半が抽出されています。
① 『大品般若経』 第二十七巻「習応品」第三
「舎利子 色不異空」~「無智 亦無得 以無所得故」
② 『大品般若経』 第二十七巻「習応品」第二十六
「三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提」
③ 『大品般若経』 第二十七巻「勧持品」第三十四
「故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚」

短く編集されたものだからと言って、価値がないなどというものではありません。「仏説」として伝えられた教えをその継承者が編纂したものということです。

(3)玄奘訳と羅什訳

鳩摩羅什と玄奘との訳に違いがあります。伝言ゲームでもわかるように微妙な違いでも解釈が異なることになります。
玄奘はインドの古語であるサンスクリットの原意に忠実に訳すことを心がけています。玄奘はそれまでの訳し方と大きく違いがあるために、玄奘以降に訳されたものを「新訳」といい、質量共に群を抜いています。鳩摩羅什以降で新訳以前の訳を「旧訳(くやく)」といいます。玄奘以降も時々使われることがあります。何が違うのかと言えば、例えば、玄奘が「有情」と訳したものを羅什は「衆生」とし、玄奘が「観自在菩薩」と訳したものは、羅什は「観世音菩薩」と訳しています。鳩摩羅什の訳は『法華経』『阿弥陀経』『維摩経』『金剛般若経』『中論』『大智度論』などがあります。
質量ともに群を抜いていた玄奘ですが『般若心経』は鳩摩羅什を尊重している様子がうかがえると言われています。『般若心経』の冒頭の「度一切苦厄」は玄奘訳にはなく羅什訳にあります。玄奘訳の『大般若経』には「阿耨多羅三藐三菩提」は全て「無上正等菩提」と訳しています。その箇所は数千箇所に及んでいます。しかし『般若心経』は羅什訳の「阿耨多羅三藐三菩提」のままです。
玄奘訳は羅什訳を凝縮した形になっていますが、「大明呪経」→「心経」、「観世音」→「観自在」、「五陰」→「五蘊」、「舎利佛」→「舎利子」、「呪」→「咒」と改めているだけで、大きく改めている箇所は他にありません。
 なぜ、翻訳技術が進んでいた玄奘が、羅什訳を尊重したのかということを考える上で参考になる発見が敦煌でありました。前文が音写語で書かれた『般若心経』が発見されました。それには玄奘の弟子の慈恩大師基による序文が添えられていました。「三蔵法師玄奘がインドに向かう途上、空慧寺の道場で病に苦しむ僧がいて看病したところ、『般若心経』を授かり、この経を誦してゆけば災難から逃れられると教えられた。無事にインドに到着した玄奘が目的地であるナーランダー寺に赴くと、そこになんと、かの病僧がいた。驚く玄奘に、私は観自在菩薩であると告げて姿を消した」というものです。そして『梵文般若心経』の冒頭には「この経は玄奘が観自在菩薩から親授された梵本なので潤色しない」記されていました。玄奘がインドに赴く際に『般若心経』を誦えていたと言う記録もあります。その『般若心経』はサンスクリット文であったのか羅什訳であったのかはさだかではありません。翻訳事業をはじめた玄奘はこの経典に限って羅什訳を改訂しなかったのは、慣れ親しんだ羅什訳の経典だったからではないだろうかといわれています。鳩摩羅什の旧訳以前は「古訳」といいますが、殆ど用いられていません。

(4)「玄奘訳」と「流布本」の違い

 玄奘訳と現在流布されている流布本にはちがいがあります。
① 流布本には翻訳者の名前がない(中国では翻訳者名は入れる)
② 本文中の『遠離一切』の『一切』が玄奘訳にはない
③ 『掲諦掲諦・・・』の部分の表記の違い
④ 経題 玄奘訳「般若波羅蜜多心経」
   流布本「摩訶・・・・」
   空海 「仏説摩訶・・・」
⑤ サンスクリット原典にはタイトルがない
インドでは伝統的に経典の最後には「以上 ○○ 終わり」という書き方をしますが、『流布本』には「般若心経」(尾題)となっています。

ここで重要なのが、「観自在菩薩」という名前です。観自在はサンスクリット語で「アヴァローキテーシュヴァラ」ですが、羅什訳では信仰の対象としての観世音としており、観音さんというように一般的です。しかし玄奘訳は観自在としています。般若心経以外にはほとんど見られないものであり、お釈迦さまの優れた代弁者として「観ること自在な」とされています。

(5)「小本」と「大本」

  現在、よく読誦されている般若心経は「小本(略された経典)」です。般若心経の「大本」(完全な形の経典)には序文的に前段があります。一般的に「小本」が先にできて、「大本」が後でできます。チベットには「小本」は伝わっていません。『般若心経』の「大本」の構成は、「序文 + 本文 + 結びの文」となっています。

(6)チベットの『般若心経』

 インドからチベットに『般若心経』が渡った際、サンスクリット語からチベット語に正確に訳されたと言われています。例えば、英語から日本語に「LOVE」という言葉を訳した時に「愛」となりました。しかしチベットではチベット語で「エル オー ヴィ イー」と訳しました。翻訳者の意思やその時代や地域の文化的な影響が少なく、サンスクリット語からチベット語への翻訳は意訳が少ないとされています。『般若心経』は、チベット仏教では僧侶は5年から7年経典の研究をし、チベット語に訳された注釈書を最低でも21書は習得しなくてはならなとのことです。
 18世紀のチベット僧のジャムヤン・シェパは「中観哲学を研究するということは、般若経の哲学的見解を研究するということである。訳識論を研究するということは般若波羅蜜多を理解するために必要な手だてについて研究するということである。戒律を研究するということは、般若波羅蜜多を実践する者たちが守るべき規律について研究することである。アビダルマを研究する者は分析的な思考法が般若経典の中核となっていることを知るだろう」と述べています。
 チベットで『母子十七経』の一つに『般若心経』があり『般若二十五頌』と呼ばれており、『般若心経』の解説には伝統的に2つあると言われています。
その二つは、お釈迦さま、文殊師利菩薩、ナーガールジュナ(龍樹)の流れとお釈迦さま、弥勒菩薩、アサンガ(無着)の流れがあるとされています。

(7)『般若心経』を理解する方法

「空性」はあらゆる存在(諸法)に独立した実体や普遍的な本質がないことを意味し、仏教の究極的な真理とされる「勝義諦」です。日常では、独立した実体を欠いた諸事物が、複雑な因果関係の中で相互に依存し関係しながら現れています。これを「縁起」といい、日常の真理のことを「世俗諦」といい重要な鍵です。
 チベットでは「空」を理解する順序として、「五道」や「十地」に関する事柄で弥勒菩薩が説いたとされる『現観荘厳論』を通じて学びます。「五道」とは、仏教修行を始めてから理想の境地へ到達するまでの段階をしめしたもので、初期仏教から大乗仏教まで存在します。「十地」は、大乗の菩薩が聖者の位に達した後、仏陀の境地を得るまでの段階を説明したものです。
 『般若心経』は不浄なもの(五蘊)と清浄なもの(四聖諦)の両方を含む様々な現象のカテゴリーを列挙することによって詳網かつ明白に「空」について説いており、同時に空を洞察するための段階的なレベルを説くことによって悟りへと向かう道の階梯についても明白に説明していると考えられています。「お釈迦さまの初期の教えが後の教えの基盤となり、また後の時代の教えが初期の教えに説かれるテーマを詳しく説明し、拡大し、古い教説を補っている」とダライ・ラマ法王は述べられています。
 『パーリー経典』の上座部の根本教理がお釈迦さまの教えの基礎であると理解し、サンスクリット語の大乗仏教の詳綱な説明について洞察を深め、最後に金剛乗の技法や視点を統合することでより理解が深まるということです。「大切なことは、様々な伝統がお互いの教説をいかにして補い合っているかということを深く理解し、その教えを個人の実践のレベルで統合させる方法を知ることである」ともダライ・ラマ法王は述べられています。
 

4.1.『般若心経』解題

『般若心経』は「般若波羅蜜多心経」のことで、サンスクリット語では『バガヴァティー プラジュニャー パーラミッタ フリダヤ』と言います。この「プラジュニャー パーラミッタ」の音写が「般若波羅蜜多」となるので、漢字から意味はわかりません。「プラジュニャー」は「智慧」、「パーラミッタ」は「完成」、「フリダヤ」は「心」で、「フリダヤ」はインドでは「心臓」「人間の心」などの意味にも使われます。「般若波羅蜜多心」は「智慧の完成」のことと解釈できます。「バガヴァティー」は「女尊」ですが「母」という意味なので「仏母」と訳されることが多いです。すべてを生み出す母に喩えられています。瞑想の中に仏を観る瞑想である観仏があります。ユダヤ・キリスト・イスラム教・神道・仏教もすべて偶像崇拝禁止です。仏教は仏陀の変わりに法輪や菩提樹が描かれていました。しかし、瞑想し仏陀を目の前に観じる修行を始まると、ヴィパシュヤナー(観)の一つである観仏という瞑想が盛んになります。瞑想において仏陀の像を目の前に安置すると観仏しやすくなるということが起こり、偶像として仏像崇拝が始まります。「般若波羅蜜多」の修行では、「般若波羅蜜多」そのものが仏格化され、般若仏母になります。諸仏がさとりを得るのは般若(智慧)の力によることから諸仏を生む母として仏母とされました。施護訳に「仏説聖仏母般若波羅蜜多経」があり、チベット版でも般若仏母とされています。このような釈尊の深遠な瞑想により観自在菩薩と舎利子の対話から生まれたものが『般若心経』です
 チベット語では『チョムデン デーマ シェーラプキ パルルトゥ チンペー ニンポ』と言います。直訳は『仏母般若波羅蜜多の心髄』となります。「チョムデン」とは「四魔」と「二障」を破壊し取り除き6つの悪い要素がないという功徳を具えているという意味です。「四魔」とは、一つが「貪瞋痴」などの「煩悩」のことで「煩悩魔」といいます。
**********
「貪瞋痴」とは
**********
煩悩を生み出すもととなる身体と心を「五蘊魔」といいます。逃れられない死を「死魔」といいます。善行を妨げる悪い神の「天魔」をいいます。「二障」は「貪欲・怒り・愚かさ」の煩悩により引き起こされた障害のことで「煩悩障」といいます。煩悩を断ったあとも薫習(移り香)としてある障害として「所知障」があります。「煩悩」という原因を断っても、「煩悩」が引き起こした影響を知ら居なければ、知らず知らずのうちにその影響があります。その影響が「所知障」です。「所知障」は一切のことを知り尽くしていないということをあらわしています。
 「デーマ」は「デー」の女性名詞です。「デー」は「超越」という意味があります。私たちは「輪廻」という迷いの世界に、数えきれないほど生死を繰り返してきた中で、その中でも比較的恵まれた人間という恵まれた境遇に生を受けています。しかし輪廻の世界では、たとえ一時的な幸せを見いだせても、それが永続することなど決してあり得ません。輪廻は本質的には苦しみに満ちた世界でということになります。その中に存在する限り、苦しみから無縁でいることはできません。そうした「輪廻世界」から離れることを「解脱」といい、「解脱」の境地を得たとき、はじめて真の幸福を手にすることが出来ると仏教では考えます。
 初期の部派仏教では、「解脱」を達成した阿羅漢の境地を目指して修行に励みます。しかし大乗仏教では阿羅漢の境地は、「二障」の内の「煩悩障」を断ち切れる存在と考えます。自分だけの救いならこれで十分ですが、「輪廻世界」に苦しむ他者も救済するということを考えると、自己に集中し、輪廻世界で苦しんでいる他者の存在を顧みていないと考え、「所知障」が断ち切られていない存在として否定される存在です。「輪廻」という世界と「解脱」という自分だけの幸福の世界の両極から離れ、いかなる場所にも束縛されず、生きとし生けるものすべてが救済に奔走することが、大乗仏教の目指す仏陀の境地ということになります。
この「輪廻世界」と「自己の解脱世界」から離れていることを「デー」といいます。チベット仏教では「チョムデン デー」を「世尊」と訳し、「仏陀」と同義語として用いられます。「チョムデン デーマ」は仏母となります。
 初期仏教の出家者は、お釈迦さまは偉大な存在であり、お釈迦さまの教えをひたすらに守ります。慈悲という崇高な精神は仏陀のみが発揮できるものであり、出家者も救済を受ける人なので、釈尊の教え通り修行をしていました。一方で大乗仏教では、成仏の可能性は誰にでもあると考える出家者が登場しました。お釈迦さまは菩薩としての尊い障害を無数に繰り返して釈尊は今の世で仏陀に成られたと信じられていました。そこでお釈迦さまの過去世にならって、未来世に出現する仏陀をめざして、仏の智慧を追求し、仏陀のように利他の精神を重んじ、自費を心がけようとします。つまり菩薩 としての自覚をもっていきようとした人々が現れました。仏陀の智慧と慈悲の精神を重んじる新しい仏教が大乗仏教でした。
 「シェーラプキ パルルトゥ チンパ」は「シャーラプキ」を「慧(般若)」といいます。「慧」は①教えを聴聞する智慧、②それについて施行する智慧、③理解した内容を修習する智慧(修慧)という三慧のことを言います。「パルルトゥ・チンパ」は「完全になった」という意味です。よって「完全なる智慧」となります。これは仏陀の覚りのことであり、完全無欠であるので、「一切智智」ともいわれます。その本質は生死を超越し、姿かたちで表現されず(無相)、「常と断」、「有と無」といった立場(四辺)から離れています。
 一切衆生を救済するために仏陀の境地を目指して修行する者を「菩薩」といいます。菩薩の修行は①布施:自らの財物や能力を惜しみなく他者へ与えること
② 持戒:菩薩戒などをうけて守り続けること
③ 忍辱:苦難に耐え忍び怒りを起こさないこと
④ 精進:修行に励むこと
⑤ 禅定:心を集中して心を安定させること
⑥ 般若:仏陀の教えを学んで真実を正しく知る智慧を得ること
菩薩の修行の途上では、「智慧の完成」には至っていない。この6番目の「般若波羅蜜」は、完全な智慧を目指すための菩薩の修行のこともいいます。

5.『般若心経』

5.1.序文

(玄奘訳)なし
(原典和訳)
このように私は聞いている。あるとき世尊は、大勢の比丘の一団と大勢の菩薩の一団と共に、王舎城の霊鷲山にいらっしゃった。
(チベット経典和訳)
このように、私は聞いた。あるとき世尊(釈尊)は王舎城と霊鷲山で比丘の大聖者や菩薩の大聖者と、一堂に座しておられた。

日本の『般若心経』の「小本」に釈尊は登場しません。観自在菩薩が一方的に話をはじめます。
経典の経題や書き出しで重要なのは、「だれが」、「いつ」、「どこで」、「誰に向かって」、「どのような内容」を説いたかということを示すことだとされています。「小本」の般若心経にはこの部分が欠けています。経典の多くは「如是我聞(私はこのように聞いてきた)」ということを述べることで、お釈迦さまより伝承されてきたという正当性が示されています。しかし般若心経は「仏説」という言葉ではじまります。この仏説というのは「修行を重ねる中で釈尊の教えを体得したという実体験を元に釈尊の教えを記録した」という意味です。
また経題は最初になく、流布本の最後に尾題として「般若心経」とあります。「小本」の『般若心経』を読むだけでは内容を正しく理解することは難しく、『般若心経』はサンスクリットの原典である「大本」を見なければ真の理解が難しいとされています。
「大本」には最初に釈尊が瞑想に入る場面があります。釈尊自身は何も語らず「深遠な悟り」と言われる瞑想に入ります。この瞑想力に感応して、観自在菩薩が修行を完成したというのです。よって、この序文は重要な箇所だということがわかります。しかし、我々が知っている「小本」の『般若心経』にはこの部分がありません。
 チベットでは教えが正当であることを示すために「5つの円満」を経典の最初に示されます。①教えの説かれた時期、②教えを説いた教主、③教えの説かれた場所、④教えを受けた弟子(所化)、⑤教えの内容(法)です。

5.2.世尊の瞑想

(玄奘訳)
 無し
(原典和訳)
そのとき、世尊は深遠なさとりと称する瞑想に入られた。
(チベット経典和訳)
そのとき世尊は、甚深顕現という法門の三昧へ、お入りになったのである。

「深遠な」の「深」はサンスクリット語の「ガンビーラ」であり、深浅の深いではなく、「甚だ深い」「尋常ではんない」という意味です。「空性」のことを意味しています。
チベット訳でも「甚深顕現」という「甚深」は空性のことで、「顕現」は空性を「理解する智慧」のことを言います。
ここで行われる瞑想は、仏教の究極的な真理の「空性」と「空性」を完全に理解する「仏陀の智慧」とが不二である瞑想ということです。
この様子は、チベットでは「仏陀の加持」とされています。「加持」は「祝福、浄化、聖化」の意味ですが、仏陀が説法の場で三昧に入って会座を加持すると、普通では考えられない偉大な力をその場に表すことになるとされています。
 『般若心経』は一方で「瞑想の指南書」とも言えます。「このように観なさい」と指示したものであると言えます。物事をどのように観るのかを伝授し、念誦すべき「真実の言葉」であるマントラを最後に示した経典ということです。決して何かわかったような、わからないような謎解きめいた心を説いた経典ではなく、空性と縁起を説きながらそれらを理解し、その立場で瞑想を行うという視点であると言えます。

5.3.観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄

(玄奘訳)
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
(読下し)
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、五蘊は皆空なりと照見し 一切の苦厄を度せり 
(原典和訳)
高貴なる観自在菩薩が深遠な般若波羅蜜多の修行を実践しているとき、五蘊あり、しかも、それらは自性空であると見極めた。
(チベット経典和訳)
またそのとき、聖観自在菩薩摩訶薩が、(世尊の加持を受けて)甚深なる般若波羅蜜の行をよく観じ、五蘊(として存在しているもの)それらにおいても自性が空であると悟った

(1)観自在菩薩

観自在菩薩と言う名前は、一つの重要な点です。玄奘訳の観自在菩薩は『般若心経』以外ではほとんど見られません。「観ること自在」というのは、ある高みにおける見晴らしの良い眺望に存在することがわかります。サンスクリット語の「アヴァローキテーシュヴァラ」は羅什訳では観世音であり、観音菩薩として信仰されています。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空」ということから、観自在菩薩はお釈迦さまが『般若心経』で説こうとした空性を了解し、覚っていることがわかります。そしてお釈迦さまの弟子として登場していることが序文よりわかります。
 観自在はチベット語ではチェンレーシーといい、深い慈悲の心を持ち、すべての生き物を見つめている菩薩と言われています。

(2)深般若波羅蜜

 「般若波羅蜜」はいくつかの意味が含まれています。
① 果としての般若波羅蜜
 菩薩の修行を成就した結果で得られる完成された智慧であり、仏陀の覚りの境地の事です。
 「道としての般若波羅蜜」によって得られる完全な慧。「一切智智」と同義語
② 心髄の義としての般若波羅蜜
 「果としての般若波羅蜜」によって了解 される対象である究極の真理である空性のことです。
 あらゆる存在(諸法)に実体がないという空性のこと
③ 経論としての般若波羅蜜
『般若経』の経文のことで、「果としての般若波羅蜜」を衆生に示すために説かれた言葉のことです
 「果としての般若波羅蜜」を説いた『般若経』またその論書や注釈書
④ 道としての般若波羅蜜
 「果としての般若波羅蜜」を目指す菩薩の修行のことです。
 「果としての般若波羅蜜」を得るため、菩薩の修行を実践すること
 「般若波羅蜜多」は、「智慧という目標に向かって完成させようとすること」つまり「智慧を完成させること」、そして「智慧」というのはすでに完成されたものであり、「プラジュニャー パーラミッタ(智慧の完成)」は「智慧という完成された状態」のこと、「空性」のこと、「仏典」のことの4つの意味にとらえることできます。
「深般若波羅蜜多」の修行とはどういうことなのでしょうか。上記より2つの意味を考えることができます。1つ目は、修行は「智慧という目標に向かって完成させようとすること」つまり「智慧を完成させること」とおうことです。2つ目は「智慧」というのはすでに完成されたものであり、「プラジュニャー パーラミッタ(智慧の完成)」は「智慧という完成された状態」を意味しており、すでに彼岸に至っている状態を意味しているので、「般若波羅蜜多」の行というのは、般若(智慧)の完成を目指すものではなく、般若そのものに立脚した修行と考えることができます。『般若心経』は観自在菩薩が何をどのように観たのかが大きなテーマとなっています。インド哲学(瞑想実践から生み出された体系)の哲学はサンスクリットでは「ダルシャナ」(観る)といいます。「深般若波羅蜜多」は菩薩の六波羅蜜の6番目の「般若波羅蜜」だけではないことがわかります。

(3)照見五蘊皆空

 「深般若波羅蜜」の瞑想をすることで、最初に五蘊があることを知り、次にその五蘊が空であることを知ったということです。
インド哲学の主流には、自己の究極の本質として永遠不滅の単一のアートマン(我)があると認める有我説がります。また世界の究極の本質として永遠不滅のブラフマン(梵)があると考えられています。お互いに究極の本質なのでアートマンとブラフマンは一緒であり、梵我一如(ウパニシャド)と考えました。このように自己の内面においてその一体性をさとることを解脱と考え、実現させるための理論と実践を追及をインドでは行われてきました。
一方、仏教ではバラモン教の聖典「ヴェーダ」の権威であり、アートマン、ブラフマン対認めない無我説です。自己の本質を見極めようとして無我説に至った経緯があります。更に徹底させたのが「空」の考え方です。般若心経で観自在菩薩が見極めた「空」は、自己の探求から始まり、無我説をめぐって大乗仏教が見出した1つの結論でした。そして「五蘊皆空」ということになりました。

(4)度一切苦厄

この文章は、羅什と玄奘の漢訳にだけにあります。苦は三苦といわれ、この世で苦でないものはないことを言っています。三苦というのは
① 苦の苦:明らかな苦、苦痛。
② 変容の苦:新型のテレビもいつの日か古くなり、新しいテレビが欲しくなる
③  行苦:全ては無常、あらゆるものが移り変わっていく。これを見て感じる苦。
のことです。苦の語源は「ドゥッカ」で意味は「思いのままにならない」ということです。「楽しい」に対する「苦しい」ではありません。この世は無常であるから「全ては思いのままにならない」ということです。
「四苦」は「生・老・病・死」のことであり、すべて思い通りにならないものです。
この四苦」にさらに四苦があります。
① 愛別離苦(あいべつりく):愛するものと別れる苦
② 怨憎会苦(おんぞうかいく):憎むものと会う苦
③ 求不得苦(ぐふとっく):求めて得られない苦
④ 五取蘊苦(ごしゅうんく):人間の存在は本質的に思いのままにならない
 これを四苦八苦といい、一切が皆苦(一切皆苦)ということを表しています。
 「度一切苦厄」は「観自在菩薩は苦厄を度した」ということで「苦から解き放たれた」ということになります。

5.4.舎利子の問い

(玄奘訳)
 なし
(原典和訳)
そこで、シャーリプトラ(舎利子)長老は仏の神通力により、高貴なる観自在菩薩大士に次のように問うた。「もし良家の子が深遠な般若波羅蜜多の修行をしようと望めば、どのように学べばよいであろうか」と。こう尋ねられて、高貴なる観自在菩薩大士はシャーリプトラ長老に次のように答えた。「シャーリプトラよ、もし良家の息子なり娘が深遠な般若波羅蜜多の修行を実践しようと望むならば、次のように見極めるべきである。五蘊あり、しかも、それらは自性空である」と。
(チベット経典和訳)
すると(世尊である)仏の力によって、長老の舎利弗尊者が観自在菩薩へこう尋ねた。善男子、善女子の誰かが、甚深なる般若波羅蜜の行を実践したいと欲するならば、いかにして学ぶべきであるか。そのように問われると、観自在菩薩は、舎利弗尊者にこう答えた。舎利弗よ、甚深なる般若波羅蜜の行を実践したいと欲する善男子善女子は誰でもこのようによく観じるべきである。すなわち五蘊(として存在しているところのもの)それらも自性が空であると、正しく観じるのだ

 この質問を受けて、観自在菩薩が答える内容こそが『般若心経』の核心部分となります。観自在菩薩の答えが「五蘊あり、しかもそれらは自性空である」

(1)蘊

①インドの実在論
 「白い犬が走っている」様子があるとします。インドの実在論の代表的な学派のヴァイシェーシカ学派は、「白い犬が走り回っている」ということに関して正しい判断を構成する諸要素は「白い」という属性(性質)、「犬」という実体、「走り回る」という連動が、認識から独立して実在すると考えます。また「これは犬だ」と判断できる「犬らしさ(犬性)」という普遍と、その普遍や上述の属性や運動を「犬」という実体に結びつける「内属」という関係も外界に実在すると考えます。つまり整合的な認識を構成する諸要素に対応して、何かが必ず外界に実在すると考えます。
 ヴァイシェーシカ学派は、①実体、②属性、③運動、④普遍、⑤特殊、⑥内属の6つのカテゴリーで世界を説明します。①の実体は、地・水・火・風・虚空・時間・空間・我・意の9つです。地水火風は究極的な永遠普遍の原子(極微(ごくみ))として存在します。「犬」などの実体は厳氏が集積した結果として生じた実体であり、認識対象として実在するものの、無常なものとされています。「虚空」は空間に遍満している目に見えない元素で、音声の伝搬する媒体と考えられています。「時間」と「空間」も「白い犬が、今、私の目の前を走り回っている」という正しい判断に時間や空間の表現が登場する以上、それに対応する「時間」や「空間」は実体として存在すると考えられます。「我」は「私」という観念の対象であり、知性・感性・意思・倫理的徳性などが所属する基体です。「意(マナス)」は、思考器官とされますが、原子の大きさで、感覚器官が取得した情報を瞬時に「我(アートマン)」に伝達する実体です。「属性」は、「白い」「円い」なおの形容詞で示されるものの属性です。「内属」は物理的に切り離すことが出来ないものの間に成立し、実体・属性・運動・特殊がその媒体と離れがたく結びついている関係です。「走っている白い犬」を例にすると、犬という言葉で示される媒体に属性や運動が内属しているということです。
 「私は5年前に(A)大けがをしたが、今でも(B)傷跡が痛んで困っている」という場合(A)と(B)の主語は同一の「私」です。5年前も今も同じ私だという思い込みが生じることになります。実際に私たちは文書を書く際に私を不変で同一性(アイデンティティー)のあるものと思っています。ここから私は実在だということになります。動作もその目的も行われる場所も、実在ということになります。

(2)有為法と無為法

 仏教では、あらゆる存在すべてを含めて「一切法」「諸法」という言い方をします。これらを色、受、想、行、識の五つの集まりに分類したものを五蘊と言います。一切法は有為法と無為法に分類される。有為法は、成立・維持・生滅(成・住・滅)の三つの性質(三相)を有する存在で原因と条件(因・縁)に依存して成立します。このように因と縁によって作られたことを「所作性(しょさしょう)」といいます。所作性ならばその存在は「無常」ということになります。有為法であれば、他の有為法にも何らかの効果的作用を与えることがありあます。このような存在を「事物」といいます。つまり有為法と所作性と無常と事物は、同一の存在を別々の側面から見た表現です。仏教論理学では「有為」は「生滅住」の三相として認められるもの、「所作性」は「生じたもの」、「無常」は「刹那」、「事物」は「効果的作用をなし得るもの」ということです
 「無為法」とは、一切法の内で「有為法」に該当しないものです。因縁によって作られたものではないので「非所作性」であり、変化することがないので「常」であり、効果的作用を及ぼすことがないので「非事物」です。無為法は空性や涅槃などになります。私たちが普通に「ものごと」として認識している存在はほぼ有為法になります。

(3)色

 「有為法」は物質的な存在である「色」、精神的な存在である「知」、そのいずれでもない「心不相応行(しんふそうおうぎょう)」に分類されます。「色」は物質的な存在全てのことであり、山・海などの自然や生物、建物などの人工の無生物などすべてが含まれます。「色」四種類の基本的な構成要素、「四大種」によって形作られています。「四大種 」は堅固で固い性質を有する「地大」、湿潤で濡れた性質を有する「水大」、高熱で燃える性質を有する「火大」、軽くて動く性質を有する「風大」です。
 「色」が物質的な領域であり、精神的な領域は「知」といわれます。これは生き物の「心」であり「明らかに知るもの」と定義づけられています。対象を明らかにして、それを把握し理解する働きが心の本質と考えられます。

(4)知

「知」を分類すると「心王(しんのう)」と「心所(しんじょ)」の2つとなります。
 「心王」は生物が有する精神的な分野の中枢です。アビダルマでは善心、不善心、無記心(善でも悪でもない)などに分析しています。世親の『アビダルマ倶舎論』では「心王」を更に十二心に分類しています。
 「心所」は、心王の働きによって派生する精神作用で51に分類されています。感受(受)、識別(想)、意思(思)は「心王」がどのような状態の時にでも生じますが、信心やおもいやりなどは「不善」、貪りや怒りは不善心から生じるとされています。

(4)不相応行
 「心不相応行」は、色と知のいずれにも該当しない有為法です。補特伽羅(ふとがら)とそれ以外(時間など)に分類されます。「補特伽羅」は身体は「色」に心は「知」に属しており、分類すれば仏陀と有情ということになります。有情というのは、心を有する生き物のうちで、仏陀の境地を得ていないものの総称となります。有情の中には阿羅漢、清浄三地の菩薩、六道輪廻の衆生などがすべて含まれています。
有為法を「色」「知」「心不相応行」に分類されたことが前提となります。

(5)五蘊

「色蘊」は有為法を3つに分けた「色」を集めたものになります。
「受蘊」は「知」の「心所」の一つの受を集めたもので、心が苦や楽などを様々に感受、体験する作用の総称。この「受」は対象(境)と知覚機能(根)と心(知)の三者が出会って起こる「触」という「心所」から発生する。「受蘊」には身体的な感受と精神的な感受の二つがある。それぞれに苦・楽・平等(苦でも楽でもない)の三種類があります。
「想蘊」は、「心所」の「想」を集めたもので、心が対象の特徴などを把握して識別する作用の総称です。「想」も「触」から発生するもので、よりどころとなる知覚機能が視覚(眼根)、聴覚(耳根)、嗅覚(鼻根)、味覚(舌根)、触覚(身根)、心(意根)のいずれかとされています。
「行蘊」は、意思作用をはじめ様々な存在を集めたもので、「受」と「想」を除いた「心所」の全てと不相応行の全てが「行蘊」に属すると考えられています。「識蘊」は、知に属する心王を集めたものです。「識」、「心王」、「意」は範囲の広さが一致するとされています。
 以上から有為法の全体、「色」、「知」、「不相応行」の全体、五蘊の全体の三者の範囲が一致する点を確認することが出来ました。その上で一人の人間を五蘊にあてはめて考えてみます。人間であるという私は、「有情」であり、「補特伽羅」であり、「心不相応行」です。よって「行蘊」に属すると考えることができます。しかしこれは形式的な分類です。人格的な存在を分類した時には身体は「色蘊」に属し、精神は「心王」が「識蘊」に、「心所」が「受蘊」「想蘊」「行蘊」に属します。したがって私という人格的な存在の正体を追求すれば、「五蘊の集まりの上に設定されたもの」ということが出来ます。


「五蘊」はサンスクリット語で「スカンダ」で「木の幹」という意味です。「蘊」には「蓄える」、「集まり」という意味があります。人間は「五蘊」の集まりによって構成されていると考えられています。
自分が自分である根拠を説明してください。と言われたとき
色:体があるということ(名前もその1つ)
受:感覚があるということ(痛いなど、他から受ける感覚)
想:観念のように心に浮かべること(受を意識した時に現れる固定的なもの、感情等)
行:意志のような心の作用(想に対しての動き)
識:識別、判断(行の判断)
と説明できます。脳科学では、脳の働きについて
色:私たちの世界の眼に見えるもの全ては「色」がついている。色がついていないものは見えない。
よって、この世の全ての物のこととなります。
受:外部から受ける影響
想:受けたことに関して脳の中で様々な計算(脳が考える)をする。
行:計算されたことが筋肉に伝わり行動をおこす。
識:それらの過程を意識すること。
「五蘊あり」ということから、最初に「自分自身を観察しなさい」と言うメッセージが読み取れます。
これについて、漢訳と原典訳では、この部分に違いがあります。訳者は理解していたのでしょうが、後世では勘違いされる箇所となっています。
(玄奘訳)観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
(読み下し)観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行せし時、五蘊は皆空なりと照見し
(原典和訳)高貴なる観自在菩薩が深遠な般若波羅蜜多の修行をしている時、五蘊あり、しかも、それらは自性空であると見極めた
 玄奘訳では「五蘊は皆空であると見極めた」と受け止められるのに対して原典訳では先に「五蘊があることを認識し、その後にそれらは空であると見極めた」という解釈になっています。
物事には順序があり、説明が省かれると意味が解らなくなります。例えば
「私には髪の毛がある。髪の毛は黒い」といいますが、「私は黒い」では意味不明になります。

(6)自性

 「自性」の一般的な意味は、「物事の本質」ということです。しかし経典の中で説かれている「自性」はその意味に加えて、「他の存在から独立した実体」、あるいは「そのとおりに真実として存在すること」という意味を含んでいます。もしあるものが自性として存在しているのであるならば、そのものは他に依存することなく独立し存在しているということになるので、そのものは恒常不変で絶対的な性質を有しているということになります。これは仏教でいう「無我」というときの「我」と同じ意味になります。「私」とか「自分」という意味でも「我」は使いますが、これを否定することに意味はありません。世間に常識的に承認されていることであり、日常で証明されるからです。しかし、哲学的に意識されようとされまいと、「私」という概念にはしばしば普遍的な実体性が付与されます。「他から独立した実体として、自分が存在している」とか「私という概念のとおりに、真実として自分が成立している」という思いは、日常から「私」や「自分」という言葉を発する時、潜在的にあると思われます。そうであるのならば、その実体性が認められるかどうか徹底的に追求しなくてはならないと仏教では考えます。
「自性」や「我」という用語によって表現される実体性を追求する必要性について、ツォンカパは『菩提道次第略論』観の章で「無明(無知)の対治として真実義(空性)を修習するべきだが、無明を理解しなければ、その対治をどう修習するかも分からない。それゆえ、無明を識別することは、はなはだ重要だ。無明とは明の反対側である。明も何でもよいというのではなく、無我の真実義を知る般若という意味で設定するべきである。反対側とは、般若が単に存在しているとか、あるいはその般若と異なるものというだけでは不十分で、それと矛盾の関係にあるもの(般若と共通部分がないということ)です。これはすなわち、我を増益(虚構)することでり、それも法と補特伽羅(人格)の我を増益する二つだから、法我執と人我執の両者が無明なのである。それによって増益するやり方は、諸法が自体(そのものの実体性)によって、あるいは自相によって、あるいは自性によって成立していると把握することだ」と説いている。「対治」が煩悩などを取り除くのに有効な手段で、空性を了解する般若は、すべての煩悩の「対治」になります。

5.4.1.存在について

(1)世俗と勝義

 存在について2つに分類できる。「世俗」と「勝義」です。「世俗」の次元の存在は、それ自体の存在で成立しているかのように顕現していても、実際には他のものに依存することで初めて成立しています。独立した存在ではないので、存在の確固たる根拠を、それ自身の中に何一つ見出すことはできません。
「世俗」についてチャンドラキルティーは、『浄明句論』の中で「真実義が全く覆われているので世俗である。つまり無明こそ事物の真実義を完全に遮蔽(しゃへい)するゆえ世俗という。あるいは、」と述べています。
「勝義」の意味について、龍樹の『根本中論頌』第18章では、「他より知るにあらず寂静で、諸戯論をもって戯論されず、妄分別なし。それこそ諦の相である」とあります。「分別」とは名称(名)と意味(義)を混同し得るように把握する「執着性(しゅうちゃくじょう)の知」のことです。「執着性の知」とは、心が対象へ向かうとき、名称や概念と混ぜながら努力して強く把握すること。必ずしも煩悩としての執着を指すわけではないです。分別ではない知を「離分別」といいます。瓶の彩色を把握している視覚の識は離分別です。
「勝義」が諦(真実)と言われることについて、『菩提道次第略論』観の章では「勝義諦の諦の相は、欺かないことである。というのも別の在り方として存在しながら、それとは別の現われ方で顕現して世間を欺くことがないからだ」と解説しています。
 「勝義」の次元の存在は、それ自体の力で成立しているように顕現している何かを見出せるならば、それは実際に他のものから全く独立し、堅固な実体として成立しているはずです。「私」がもし実体的な我や自性として本当に存在するならば、それは勝義の次元になります。
「私」がもし実体的な我や自性として本当に存在するならば、それは勝義の次元ということになる。存在にはこの「勝義」と「世俗」の分類があります。認識をする側にも分類があります。「世俗の存在」を対象とする、日常を分析する正しい認識を「言説の量(ごんせつのりょう)」と言います。「言説」は、名称や言葉に依存して相対的に設定された次元の事で、「世俗」と同じ意味になります。
 「勝義の存在」を対象とするのが、究極まで分析する正しい認識です。これを「正理知の量(しょうりちのりょう)」と言います。
 日常生活において正しい認識によって「これがある」と認められれば、世俗として成立していることが一応確認されます。しかし勝義として成立していることを確認するためには、それだけでは不十分であり、本当に独立した実体として成立しているか否かを、様々な角度から徹底的に分析し、何ものにも依存しない確かな存在感を究極まで追求しなくてはなりません。それによって成立していると認められれば、「勝義」という絶対的な次元の存在としての「我」や「自性」ということになります。
 例えば、ここに瓶があるとします。日常生活ではそれをみて「ここに瓶がある」と知ります。この認識は「言説の量」です。これによって「存在する」と認められるのであれば、世俗の次元において瓶の存在は成立することになります。人の視覚(眼識)には、瓶の色彩や形状が顕現しています。
瓶の色彩(顕色)・形状(形色(ぎょうしき))・感触(触(そく))・作用(用(ゆう))・刹那性(無常)などは、基体・時間・本質の面において、成立と存続が一体となっています。このことを「成住同質(じょうじゅうどうしつ)」といいます。瓶を把握する際の眼識などは、「成住同質」の諸要素を一括して対象とし認識しています。この認識方法を「証成趣入(しょうじょうしゅにゅう)」といいます。
 「世俗の次元」も「勝義の次元」も、同じ一つの存在がそこにおいて成立するか否かを吟味し得るという点で、表裏一体のものです。しかし、世俗を対象とする「言説の量」によって、勝義の存在を正しく認識することはできないし、また勝義を対象とする「正理知の量」が、世俗の存在を相手にすることはありません。「世俗」と「勝義」の世界は異次元の世界ということが出来ます。
 「正理知の量」の認識対処についてチャンドラキルティーは『菩薩瑜伽行四百論注』で「我らの洞察(分析)は、自性の追求に専心するもの」と説いています。『菩提道次第広論』では「色などにおける生滅なその自性の有無を追求することである。つまり、色などにおいて、自体をもって成就(成立)している生滅の有無を追求することであるが、その正理によって単なる消滅を追求することではない。それゆえ、その正理を「真実を洞察するもの」という。なぜなら、真実義としての生滅などが成就(成立)するか否かを洞察するものであるゆえに」と解説しています。

(2)有身見

この顕現は、人の心の連なり(心相続)で始まりのない無限の過去(無始)から続いてきた無知(無明)とその潜在力(薫習)に影響され、瓶があたかも自らの力で成立しているかのように見えます。これに騙されて、その人は、瓶の存在を独立した実体であると、自然に認識してしまいます。ツォンカパは『菩提道次第略論』で「虚構された否定すべきものを諦(真実)と把握してしまう仕組みは、その否定すべきものが、本当は」無始以来の分別の力によって設定されたのであるにもかかわらず、そうではなく、自体(そのものの実体性)の面で境(対象)の上に成立していると誤って把握することであり、そのときの執着境(把握された対象)を我や自性というのである。それが属性の基体たる補特伽羅の上に存在しないことを人無我、または眼や耳などの法の上に存在しないことを法無我と中観派の論師たちはおっしゃられている。それゆえ、その自性が補特伽羅や法の上に存在すると誤って把握することこそ人と法の二我執だと、間接的に了解し得る」と説明しています。
 「人我執」と「法我執」という「二我執」は、「補特伽羅」や「法」に実体性を虚構することで、そのような根源的な無知を「無明」といいます。凡夫の衆生は、哲学的な分析をすることなく、二我執に基づいた思考を日常的に展開し、それに裏付けられて、「私(我)」とか「私のももの(我所)」という思いを自然に生じます。私(我)があると思うことを「我見」、わたしのもの(我所)と思うことを「我所見」といいます。「我見」と「我所見」を合わせて「有身見(うしんけん)」といい、衆生が輪廻転生を繰り返す第一の原因を位置付けられています。
 「有身見」は「私」とか「私のもの」という意味だけではなく、それらを「自相」として執着することです。「自相」とは、「自性」に似ていますが、これは「物事それ自身側で成立している固有の性質や作用」という意味です。例えば、熱いとか燃焼するというのは火の自相ということになります。
 凡夫の衆生は、「二我執」にもとづいた思考に慣れ親しんでいるので、あえて意識しなくても対象を自相として把握することをしています。「我見」の所縁は、五蘊それぞれや五蘊の集まりでなく、「私だ」という思いを単に生じる時、その所縁となる「単なる私」である。それを自相として執着することが「我見」です。「我所見」は、自分の眼などを「私のもの」と思い、その「私のもの」に対して自相として執着することです。しかし、「私のもの」と思う「眼」そのものを自相として(私の自相)把握することは、「法我執」であり、「我所見」とはなりません。よって「有身見」にはなりません。自分以外の補特伽羅を自相として把握することは、「人我執」でありますが、「有身見」ではありません。「十二縁起」の「無明」は、衆生が輪廻転生する根本の因であり、その中でも、輪廻転生する実際の因は、その人の「有身見」です。「十二縁起」の「無明」と設定されるのは、倶生(くしょう)の二我執です。「倶生の我執」とは、すべての衆生に生まれつき具わっている実体視の習慣です。これに対して誤った思想哲学の影響で何らかの実体性(常住・単一・自在)を虚構とする場合は、「遍計の我執」と言います。「無明」を断滅する修習は、「倶生の我執」の対治を主とするべきです。それはそれを把握して断滅することが困難だからとされています。
 「有身見」を中心とする無明を基にして、凡夫の衆生は様々な煩悩を生じることになります。チャンドラキルティーの『菩薩瑜伽行四百論注』に「貪りなども、愚痴(愚かさ)によって遍計(へんげ)(虚構)された事物の自性のみに対して、好き、嫌いという性質を増益(付加)して作用するため、愚痴と共に働くことになり、愚痴に依拠することになる。なぜなら、愚痴こそ(諸煩悩の)主なるがゆえに」とあります。「愚痴」は「無明」と同義語になります。『菩提道次第略論』観の章では「愚痴によって諸境を自相成就と把握した時、把握した境が自らの意と適合するものであれば、それを縁じて(認識して)貪りを生じ、もし自らの意と適合しないように見えれば、それに対して瞋(怒り)を生じる。そして。もしその境が意と適合・不適合いずれにも見えない汎庸・中間的な状態に存在するのであれば、それを縁じて他の二者お貪、瞋は生じないけれど、愚痴の同類の後継分が生じる」と解説しています。
 「自相」とは、対象それ自身の側で成立しているとされる固有の性質や作用で、中観派帰謬論証派で、無明によって対象の上に虚構されたもの、つまり自性の一種と位置付けられています。そのような自相が本当は成立していないと了解できれば、対象を好き、嫌いで区別して貪りや怒りを起こすことは、全く無意味になるはずだとしています。『菩薩瑜伽行四百論注』に「煩悩は、虚構された事物の事象のみに対して働く」と説かれています。
 しかし無明にさいなまれた凡夫は、自相が虚構されたものに過ぎないことを知らないか、もし理論的に知っていても直接手に取る如く了解できないので、自分の好きな、あるいは嫌いな性質が本当に対象の側に存在すると思い込んでしまいます。それによって、貪欲や怒りなどの煩悩を起こし、悪業を積み重ね、輪廻世界に縛られて苦海に溺れ続けるとされています。
『菩提道次第略論』では「まず「私である」と思う所縁たる「私」を自相成就だと把握したら、我に対して貪りが生じるそれによって我の楽(幸せ)に対して愛着を生じる。そして、我の楽も、諸々の我所に歓待(依存)せず独立していることはないので、我所を貪愛する。そのことが、我所の過失を覆い、それに功徳(長所)を見るように作用する。それから、諸々の我所を、我の楽の手段として受け止める。そのように生じた煩悩によって業をなし、業によって輪廻に転生を繰り返すのだ」と説明しています。
我に対する貪欲・執着を「自己愛着」といいます。「無明=我執」から「自己愛着」が生じ、「自己愛着」から諸煩悩を生じ、結果で輪廻という苦しみの世界に束縛されることになります。「自己愛着」という自分中心の心の持ち方は、他者の利益に無関心な状態を生み出します。大乗仏教の立場からすれば、「自己愛着」こそが、発菩提心の最大の障害位置付けられています。もし菩提心を起こすことなく、部派仏教の修行を最後まで続けていれば、阿羅漢の境地へ到達します。そのとき、無明は断滅され、我に対する貪欲・執着も断たれ、諸煩悩も完全になくなります。これを「不染汚の自己愛着(煩悩を伴わない自己愛着)」といいます。何らかの縁によって、いつかこの状態を克服した時に阿羅漢は菩提心を発し大乗の道に入ります。
修行者が輪廻するような悪い連鎖を断ち切るためには、最初の原因である無明、特に有身見を根絶しなければなりません。そのためには、「人無我」と「法無我」を了解する般若を獲得する必要があります。そのために最初に仏教の思想哲学をよく学ぶことが、非常に大切になります。そして学んだ内容を徹底的に吟味し、十分納得してから修習するならば、「人無我」、「法無我」に対する理解が次第に深まります
 

5.4.2. 空と無自性

 「正理知の量」によって、勝義の次元で瓶の存在を徹底的に追求していったとき、一体何を見出すことができるでしょうか。その答えこそ『般若心経』の主題である「空」に他なりません。
(1)空
 「空」の一般的な意味は、「~が存在しない」ということです。『般若心経』の「自性が空である」という部分は、チベット語で「ランシンキートンパ」です。ランシンは自性、トンパは空です。キーは、これがついている名詞は、動詞の動作の主ということを示しています。よって「自性が存在しない」ということになります。
 ここでは「五蘊のそれぞれを「正理知の量」によって徹底的に分析したら、自性の存在する余地はどこにもない」というのがここで説かれている意味です。究極の真理である「空」や「空性」は、一切法の無自性と同義語になります。「縁起」とは表裏一体の関係にあります。しかし「五蘊それらも自性が空である」という表現は「五蘊の自性こそが空性である」と解釈する可能性もあります。これは一歩間違えると大変な誤解へ陥る危険性をもっています。「空」や「空性」という名前を冠した実体性を一切法の上に虚構する過失、つまり「空の実体化」へ道を開いてしまいます。その誤解を防ぐために「空空性」ということが説かれています。究極の真理である「空」や「空性」もまた「空」であり、独立した実体としては成立しないということです。『根本中論頌』では「仏陀(勝者)たちは空性を、すべての見を排除することだとおっしゃっている。空性を見る者たち、彼らを教化する方法はないとおっしゃっている」と説いている。これを引用して『菩提道次第広論』では「「空性を見る」というのも「自性が空である」と見ることをいうのではなく、自性が空である空を諦(成就)として把握したこと、あるいは事物として見ることを指しておっしゃっているのだ」と解説しています。『菩提道次第略論』では、この空性を実体化して見るということについて、「治しようのない見解を有するもの」と評しています。空そのものではない他の存在を実体視する見解であれば、空によってそれを是正することも可能であるが、空を実体視する見解を是正するのものは、もはや何も残っていないからということです。このような点を踏まえて、「五蘊の普遍的本質は、空性である。それは例外なくすべての存在において、独立した実体性をひていすることだ。この否定は、空性それ自身にも適応される。したがって、五蘊の普遍的本質は、実体として成立しない」という意味で「五蘊の自性こそが空性である」というのであれば、過失がないとされています。
 このような究極の真理を「法性」、「法界」といい、これと「空性」「無自性」とは、同義です。『中観密意解明』では「自性を否定したというのは、眼などが本質的な在り方である点を否定したということだ。また自性を主張したというのは、その否定したことと、事物の法性たる自性を承認することに、矛盾は少しもない」と説いている。空による自体制の否定が適用されないところに虚構される、独立した実体としての誤った空性を「他空」といいます。
 勝義の次元で瓶の自性を見出そうと追求に追及を重ねたとき、結局どのような形でも何一つ得られません。それゆえ「瓶は無自性である」といえるし「瓶は自性が空である」とも言えます。よく例えられることが飛行機の話です。
 世俗は、喩えていうなら、地上の世界です。地上を歩きながら、建物や山を見ている人の視覚は、「言説の量」です。そして、この上空に厚い雲が低く垂れこめている様子を想像してみましょう。地上の人からは雲の上に何があるのか、窺い知ることが出来ません。一方、勝義の世界は、このとき飛行機に乗り、雲の上を飛んでいるようなものです。飛行機の窓から外を見ている人の視界は、「正理知の量」に喩えられます。このとき雲の上に軟化を見つけることが出来たら、それが勝義の次元における存在です。地上の建物は、どんなに高くても、雲の上からは見えません。つまり世俗として存在していても、勝義としては成立しないということです。これに対して標高の高い山は、頂上が雲の上へ出ているので、飛行機の窓か見ることも可能です。まさにこの山の頂上こそ、勝義の次元で成立している存在の喩えです。
 実際に勝義の次元における「空」は「虚空の如し」と説かれています。
 もともと「正理知の量」は、勝義の次元において何ものかを見つけるためのものです。しかしそれによって実際に見出せるものは「何もないこと」です。瓶の自性を極限の極限まで追求した時、「ああ、本当に何もないのだ」という、この絶対的な無自性の感覚こそ、「空」を理解する上でどうしても欠かせないものです。
 あらゆる存在は肯定的に理解される「証成法(しょうじょうほう)」と否定的に理解される「遮詮法(しゃせんほう)」の二つに分けられます。「証成法」は対象を否定的に分析しなくても理解できる存在の事です。それ自体の概念をつかむのに、否定すべきものの概念を掴む必要がないものです。「遮詮法」は否定対象を分析して初めて理解し得る存在、つまりそれ自体の概念をつかむのに、否定すべきものの概念を把握しなければならないものです。「証成法」は瓶や建物などで、「遮詮法」は「無我」や「空」などです。「空」の場合は、否定的な意味の言葉であるし、実際に遮詮法と位置づけられるが、その究極的な真理という側面に着目し、「法性」や「法界」という表現に言い換えれば、言葉の上で否定的な意味合いはなくなります。しかし、その中身を実際に理解する場合、否定的対象となる自性を分析しなければなりません。究極の真理というものは、以下南る言葉で表現されようとも、否定対象を追求することなくして知り得ないものです。汚染物質を検出する手段がない限り、空気が本当に清浄であることを確認できないことと似ています。
 「遮詮法」は「定立的否定」と「非定立的否定」によるものの二つに分けられます。「定立的否定」というのは、例えば「あの比丘は体が大きいのに、戒律を守って午後は何も食べない」というときに、「午前にたくさん食べているのだろう」という意味も含んでいます。「非定立的否定」は否定対象の存在を単純に否定することです。例えば「比丘は酒を飲まない」というとき、この言葉自体は、何か他の意味を含んではいません。
 「無我」や「空」は、「非定立的否定」による「遮詮法」です。勝義の次元で瓶の自性を追求したら何も得られないというそのことが空であり、瓶の自性の存在を否定すると同時に、何か別の存在(究極の実在などの概念)を勝義として想定しているわけではありません。また「空」そのものの実体化を含意しているわけでもありません。
 もう一つ、自性の否定のされ方の特徴として、基体である瓶と否定対象である自性が、別個のものとして設定され得ないという点です。「瓶に自性がない」という場合、瓶と自性との関係は、「瓶の中に水がない」というようなものではありません。「瓶そのものがいかなる部分も自性として存在することはない」という意味で理解しなければなりません。
 勝義において「証成法」として存在するなら自性であるべきで、自性なら真実(諦)として成立しているべきです。「諦として成立している」という意味は、他に依存せず自らの力でそのとおり成立していることで、これを仏教用語で「諦成就(たいじょうじゅ)」といいます。こうした自性である「諦成就」のものは結局見いだせないので、「無自性」であり、「諦不成就」です。これが絶対的な存在の次元の真理、すなわち「勝義諦」であり、この真理を指して「空性」といいます。空性こそが究極まで分析し尽くす「正理知の量」によって得られる結論なので、あらゆる存在の究極の真理に他なりません。そのような真理の事を、仏教用語で「真如」「真実義」、「法性」、「法界」と言います。すべて同義語で無為法に属します。
 無為法であるので、因や縁によって生じたものでもないし、無常でもない。このような真理は、誰かによって作り出されたものではないし、時とともに変化するものでもありません。「一切法」は本来から「無自性」、すなわち「空」なのです。仏陀が出現しようとしまいと、それを説こうと説くまいと、「一切法」が「空」である点に何の変りもありません。
 龍樹は『空七十論自注』で「勝義とは、縁起する事物一切は、自性が空であるという、そのことに尽きるのだ」と説いています。龍樹の『法界賛』では、「諸法の無自性性を、法界として修習すべし」これついてツォンカパは『菩提道次第略論』で「「この諸法が自性によって成立している」という自性が存在しないそのことが、修習すべき法界であり、それを修習するそのことが、心を修練する最小の方法だと龍樹はおっしゃられている」としています。ツォンカパは諸法の自性が微塵も存在しないという意味での「空性だけが「勝義諦」である点を確認し、さらにそうした「勝義諦」が「正理知の量」によって理解される点を強調して、「空性は知るべきもの(所知)である」という立場を鮮明にしています。これ等の要点をよく理解してこそ、本格的な仏道修行に不可欠な「空性を所縁とする三昧」を正しく実践し得るとされています。

5.4.3. 空性の理解

 「空性」を理解する上で重要な「正理知の量」の「量」とは「正しい認識」という意味です。推論によるものを「比量(ひりょう)」といい、直観によるものを「現量(げんりょう)」といいます。中観帰謬論証派は「量」を「自らの主たる境(対象)に対する間違いのない知」と言っています。「間違いのない」という意味は、心が何らかの対象へ指向(事物がある方向に向く)した時に、その対象の通りのものを、その心によって得られることです。このような認識論は、ディグナーガ(陳那じんな)やダルマキールティ(法称)のなられを汲む仏教論理学派の説を採用するか、中観派帰謬論証派の説を採用するかで、かなり異なったものになります。チベット仏教の学問体系では、認識論の基本として、仏教倫理学派の説を理解したうえで、帰謬論証派独特の見解を学ぶ事となっています。仏教倫理学派の「量」の理解は「新しく間違いない知」ということです。帰謬論証派との違いは、対象を新たに認識する場合しか、量として認めないということです。もう一つは、「主たる境(対象)に対する・・」というような限定的な表現がないことです。仏教倫理学派は「認識が指向する対象」に関して不迷乱であることが、「量」としての条件であり、帰謬論証派では「認識が指向する対象」の主要部分を正しく得られれば、「量」として承認されることになります。
 「現量」とは、五感や心などに頼って、自らの主たる対象を経験の力で間違いなく知ることです。例えば、瓶を眼で見れば、その彩色や形状を「現量」によって知覚できます。これは、「言説の現量」であり、世俗の次元で一応正しい認識と認められます。
 「比量」とは、正しい論拠に基づいて、自らの主たる対象を間違いなく知ることです。例えば、所作性であるという論拠から、音が無常であることは推論できます。これは「言説の比量」であり、世俗の次元で正しいと認められることです。
 世俗で正しいと認められる理由は、これらが指向する対象に関して、誤りがないからです。瓶の彩色や形状、音が無常である点は、正しく認識しているということになります。しかし、このような「言説の量」は究極の意味では間違っているということになります。凡夫の五感に関する「現量」では、必ず迷乱を起こしています。五感では対象が「諦成就」として顕現していますが、実際は、いかなる存在も「諦成就」ではあり得ません。また聖者の修行者の場合でも空性を所縁とする三昧から起きた後の日常の現量であれば、認識の主体と対象が別々のものとして現れる「二顕現」を伴って、世俗の次元の存在を把握することになります。
 聖者は顕現が「諦成就」ではない点を実感として熟知しているので、凡夫のように執着や怒りを起こすことはありません。しかし空性を現量によって了解している状態から離れた「二顕現」である以上、それは迷乱と言わざるをえません。
 「比量」であれば、「分別」を伴っているので「迷乱知」になります。「分別」とは、名称や概念を交えて対象を努力して把握する知です。これを「執着性(しゅうじゃくしょう)」といいます。執着を伴っている以上、実際の対象そのものが完全に正しく顕現することはありません。
 日常生活でも「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、いくら正しい根拠に基づいて推理しても、実物をよく確かめることに及ぶものはありません。
 「分別」について一部の通俗的な仏教では、分別ということを感情的に嫌悪し、「すべての分別を直ちに捨て去れ」といった極端な考え方を持っている宗派もあります。こうした態度は「二諦の設定」、「量と所量の関係」、「修道論」などを全く理解していないことが起因となります。修習に際して分別うぃ全て排除してしまえば、盲信や体験至上主義へ陥るしかないので、その弊害は大きいと言えます。チベット仏教史でいえば、「分別をすべて捨てる」と称して無念無想の禅定に明け暮れる立場は、ごく初期の段階に行われた「サムイェ―の宗論」で完全に否定されています。禅定至上主義を論破したカマラシーラは、『修習次第』中編で、「誰かが般若をもって事物の体性(実体性)を個別観察してから修習するという手段を採用せずに、ただ作意(対象へ注意を向けておくこと)を完全に捨てる点のみを修習する場合、そのような者は、彼の妄分別をいつまでも鎮めないし、無体性(実体性の欠如)を了解することにもならない。なぜなら、般若の顕現がないからだ。このように正しく個別観察することで、真理を如実に知る火を生じたならば、それは擦木を擦って点火した火の如く、分別の木を焼くのである」としています。つまり正しい分別(比量)によって対象を個々に観察・分別してこそ、妄分別を断ち切ることもできるし、無分別智へ至る道も開けます。
 このような様々な種類の認識が、究極の意味では間違っているものばかりだとすれば、本当に正しい認識とは、勝義へ指向する「瑜伽現量」だけしかないとなります。
 「瑜伽現量」とは三昧の中でも所縁(認識対象)を直感的に了解する知です。その中でも聖者が空性を所縁とする三昧を修習しているときに働くものを「勝義へ指向する瑜伽現量」といい、凡夫の心において生じることはあり得ないものです。勝義を所縁とする「瑜伽現量」を得ているなら、空性を直感的に了解しているはずで、仏陀の一切智智は、この聖者の状態にまで完成させたものである。
そのような境地を目指すために、我々は最初に仏教哲学をよく学び、それによって勝義を分析(洞察)する比量を身につけ、空性を推論手kに正しく理解することを当面の目標としなければなりません。
比量こそ法界という未体験の次元へ踏み込むための、必要不可欠な情報収集の手段です。それを欠いたまま、いきなり三昧体験だけを重ねたとしても、本当に追求するべきものが、何かを知らないままなので、空性を直感的に知覚することはできません。
<重要>
 縁起との関係から空性の意味を考察していくことが、最も王道とされる方法です。比量によって空性を論理的に確信することが出来たら、次は実際にそれを体得することを目指し、勝義へ指向する瑜伽現量を身につけるように努力しなくてはなりません。努力とは比量によって得られた正しい理解を基にして、空性を所縁とする修習を繰り返すことです。その際は、空性に心を一転集中する「止(し)」、および空性の意味を観察、分析する「観」の二種類の修習を個別に実践し、次に分かちがたく結びつけようと努力します。「止観不離(しかんふり)」の三昧を重ねる過程で、認識の主体(有境)と対象(境)である心と空性が別々のものとして現れる「二顕現」を次第に断滅し、両者が一体化した時こそ、勝義を対象とする「瑜伽現量」が完成し、空性を直感的に了解できます。
 飛行機で喩えていましたが、いつまでも飛行機に乗っていることはできません。しかし地上に降り立った後も上空の世界を実際に見た経験は消えることがありません。以前とはものの見方が変わるはずです。無限なる虚空の広がりを如実に体験をした時、それまで絶対的な基準として成立しているかに思えていた地上の世界が、実は非常にちっぽけで相対的な存在でしかないことを実感します。
 無限なる虚空の広がりにも比すべき勝義の空性を、直観的に了解した強烈な体験の印象は、三昧から起きた後も消えることがありません。世俗の世界が、二顕現を伴って再び現れても「それらは幻のごときもので、決して諦成就なのではない」という点を単なる論理としてではなく、強い実感をもって了解できます。そのような智慧を「後得智(ごとくち)」といい、それによって了解される世俗における空性は「幻の如き空性」と表現されます。
 聖者の修行者が空性を現量によって体験している時の三昧を「無漏の等引(むろのとういん)」といい、「空性」を直接了解している智慧を「等引智(とういんち)」といいます。「等引智」によって了解される勝義における空性は「虚空の如き空性」と表現されます。
 ツォンカパは『菩提道次第集義』で「等引の虚空の如き空性と後得の幻の如き空。この両者を修習して、方便の般若を結び付け、それによって菩薩行の彼岸へ赴くという、そのような修行者は賞賛すべきだ」と説いている。
聖者の菩薩は、「等引智」と「後得智」の状態を何度も何度も繰り返し、それによって煩悩障と所知障をすべて断滅した暁に、一切智たる仏陀の境地へ到達します。ここに至って初めて「等引智」と「後得智」の区別は解消されます。

「五蘊」は私がわたしである根拠である。しかも「五蘊」そのものは私ではない。
自分を観察していくと自分はいなくなってしまう。→この時点で無我の瞑想は完了
 自己の観察をする瞑想においてここにあると思い込んでいる自分は存在しない、あるのは五蘊のみ

      五蘊(色・受・想・行・識)自体は日常の生活の自己の総体に違いはない
                   ↓しかし
      「五蘊がある」と観察することは、日常生活での思考を超えている。
                   ↓だからといって
         日常生活はどうでもいいというものではない
    子供から大人になる過程で、自己を確立することや自己を形成することはとても重要
なこと

「無我」は日常的な教訓の類のものでは決してない。真に自己を確立した人が、更にその上のレベルにいたって観る事のできる高度な洞察である。
                  ↓
          「般若心経」の観自在菩薩が照見した。
                  ↓
       山頂に立って眼下を眺望するように、観自在菩薩はある高みにおいて洞察を得た。
                  ↓
         自己を観察していく中(瞑想)で「五蘊あり」と見抜いて、無我に至ること
                  ↓
            そして、五蘊もまた空である

      第一段階:自分は存在しない(無我)、存在するのは五蘊だけ
      第二段階:自分が存在しないように、五蘊もまた存在しない。

     「般若心経」は瞑想の指南書
           ↓
      しかし瞑想の指南はただ頭で理解するだけではなく、実践をともなう。
      かといって、指示された通りのものを頭に浮かべるものでもない。
                ↓
      日常的な感覚のままで、思いを巡らすのではなく、日常的な感覚そのものに働きかけて、その次元を超えて意識の地平を高めてしまうこと
                  ↓
     「深般若波羅蜜多」の修行とは般若(智慧)の完成を目指す修行ではなく、般若そのものに立脚した修行のこと
                  ↓
      般若(智慧)が目指す目標である限りは、いつまでも日常的な感覚の域を脱することはできない
                  ↓
      般若は日常的な感覚や知識を超えたもの、自分が般若そのものにならない限り、観ることができない意識の地平がある。この時「観る」ことは「成る」ことに等しくなる。

   (例)富士山
      美しい景色に胸が打たれる → 日常の感覚
      角度が違うといろんな見え方をする。
            ↓
      もっとよく見たいと富士山にちかづく
            ↓
      更にもっと見たくて、富士山に登り始める。
            ↓
      もはや、富士山は見えない。
しかし富士山にいるという実感はある = 山の自然との一体感
            ↓
      更に登ると頂上に至る。
            ↓
      富士山に感動し、もっと見るという目的から出発して、近づき、ついには登り始め、最後に得られたものは、富士山から全てを見渡すということだった。

      富士山の頂上からの展望は現在の自分とは無関係と思いがちだけど、実際は別世界のことではない。私たちが住む世界そのもの。

      同様に私たち自身を見渡し、見通すことのできる至高の観点というものがある。
      それは気高く聳え立つ富士山の頂上からの観点のように、そこに至って「観る」ことのできる観点が、般若に立脚(拠り所)した観点

5.4.4. 空性と縁起

(1)空

 「空」という言葉の意味は、前後の文脈によって微妙に異なってくる。その点を理解しておかなければ大変な誤解へ墜ちる恐れもあります。
 例えば、「瓶は自性が空である」というときの空は、「完全な空」の意味で、「瓶の自性は全くない」ということになります。ここでの要点は「瓶が自性として成立するか否か」とうことです。「単に瓶が存在するか否か」ということではない。「正理知の量」により追求を重ねた結果「瓶が自性として成立することは全くない」という絶対否定の結論が導き出されます。これが勝義における「虚空の如き空性」ということになります。
 次に「瓶は空である」というときの「空」は、「完全な無」としての単純に片付けられない。語義解釈としては「瓶は」のあとに「自性」が省略されていると考えるべきです。「瓶が空である」と表現されている以上、自性という次元だけではなく、単なる瓶の存在がどうであるのかという点も考慮しなくてはなりません。世間の常識から考えても「瓶が全く存在しない」ということは認められません。瓶はあくまで存在しますが、それは決して自性ということではなく、独立した実体性を全く欠如しつつ、他に依存する在り方で成立しています。「自性としての完全な無」を前提にしつつ、単なる存在が依存して成立していることを表現しているのが、世俗における「幻の如き空性」です。
 よく「あらゆるものごとが空だから、それに執着して怒りを起こしたりしてはいけない」などと言いますが、実際にはそう簡単ではない。自分自身の確固たる存在感を放置したままで、自分にとって都合の悪いものだけを「空だから・・・」と思ってみても、煩悩の対治として有効性を期待できません。怒りの対象も、執着の対象も、自分自身も、仏陀も、智慧も、これらすべて空であるという点において平等です。そのように「空」である事物が、世俗の次元では、相互に依存しつつ効果的作用を及ぼし合っている。我々が煩悩を起こしているのは、まさにそうした効果的作用という枠組みにおいてです。例えば、敵が危害を及ぼすことに対して、怒りを生じます。いくら「敵はには実体性がない、空だ」と頭で理解しても、効果的作用を及ぼしあう因果関係の中で、現実に怒りの発生を抑えることは難しいです。
 理論的に分析するならば、我々が怒りや執着を向けている本当の対象は、相手やその効果的作用上に付加された実体性(自性)です。そのような自性は、「勝義」のみならず世俗の次元でも、全く存在しないものです。つまり、相手や効果的作用には、それ自身の側で成立している固有の性質(自性)がなく、そのような自相がないのであれば、良かったり執着するべき要素はどこにも見出せません。しかし、現実に煩悩が発生している局面で、世俗有である効果的作用と、世俗無である自性・自相を区別するのは、容易なことではありません。煩悩の発生を完全に抑え込むには、この両者の区別を心底から実感する必要があります。その為には日常の効果的作用をはるかに上回るような、空性の強烈な直接体験を得なければなりません。等引の三昧の中であらゆる存在の自性、自相を徹底的に追求した時に「ああ、何もない」と虚空の如き無限の広がりを体験出来たら、その強烈な印象は三昧から起きた後も生き続け、日常の効果的作用を凌駕する力を発揮するはずです。そして「敵も自分も、すべての幻の如きものである」と心底から実感し、怒りなどの煩悩を起こすことはなくなります。今、我々が、空性を「現量」によって認識できなくても、比量によって理解した空性を所縁として修習を重ねるとき、こうした強烈な空の印象を疑似体験すべく反復して努力するのであれば、不完全ながらも煩悩を少しずつ弱めていくことは可能だとされています。
 この「他に依存して成立する」とういう在り方こそが、仏教哲学でいう「縁起」にほかなりません。「一切法」が自性として存在するか追求すれば、「虚空の如き空性」にいきあたり、「一切法」が単に存在することを吟味すれば、すべて縁起という在り方で成立している点を見出せます。

(2)縁起

縁起には三層の意味があります。一般的な第一層の意味は「因と縁に依存して成立すること」です。第二層は「部分に依存して成立すること」です。三層は「分別による名称の付与に依存して仮に設定(仮説)されたものとして成立すること」です。第三層は中観帰謬論証派の見解だけにしか見出せません。
 第一層の縁起は、「有為法」のみに適用されます。「有為法」は「所作性」かつ事物である一方、「無為法」は「非所作性」かつ非事物だからです。第二層、第三層の縁起は「有為法」と「無為法」の両方に適用されます。よって「一切法」と「空性」と「縁起」は、すべての範囲が一致します。「一切法」の在り方の一側面が「空性」の自性としての存在が否定される側面、もう一つの側面が「縁起」の単なる存在が認められる側面です。したがって両者は完全に表裏一体のものです。
 「縁起」について理解を深めるためには「相互縁起」という考え方を知る必要があります。「相互縁起」とは、双方向的な依存関係の事です。「他に依存して成立する」ということが縁起の意味なので、「AがBに依存して成立している」と仮定すると、「AがBに依存して成立している」ことはもちろん、中観思想では「BがAに依存して成立する」ことも認められます。
 三層の縁起の内、第一層の意味は、Aは結果、Bは原因です。このとき結果は原因に依存して成立するのは当然ですが、原因も結果に依存して成立していると考えます。Bはもともと原因という実体性をもって成立しているわけではないからです。Bが原因として認められるのは、Aという結果を生じたからです。そうした意味で原因は結果に依存して成立すると考えます。子供が生まれたからこそおやになるのと一緒です。
 第二層の意味は、Aは全体、Bは部分です。全体は部分に依存して成立しています。もし部分がなければ、全体は存在し得ないからです。また部分も全体に依存して成立しています。もし全体がなければ部分として作用しないからです。部品があるから車は組み立てられ、車があるから部品が機能します。
 第三層の意味は、最も深い意味になります。Aは認識対象、Bは名称の付与です。このケースでは、逆にBがAni依存していることを考えるとわかりやすいです。認識対象が存在するから、それに対して名称が付与されます。これまでの依存関係は双方向です。つまり認識対象は、名称の付与に依存して成立しているということになります。これは、Aという認識対象を「正理知の量」によって徹底的に分析した時、Aとして成立している要素はどこを探しても見出せません。よってAという認識対象が成立しているのは、認識している側が名称の付与を行うということによっているということであり、名称の付与に依存しているという以外、何も根拠がないということになります。しかし、Aは名称の付与に依存して仮に設定されていますが、そのようなものとして存在していることは間違いないので、これを「全くない」とか「心の反映に過ぎない」などということはできません。Aという認識対象を成立させる本質的なものは、A自身の側に少しも見出せません。だからといって、認識する心、名称を付与する分別の側に存在するわけでもありません。Aを認識する心は、Aや知覚機能や前刹那の心に依存して初めて成立するからです。
 このような重曹的な相互縁起の連鎖の中で、他に依存しつつ単に存在している何ものかを、人々が「Aである」と認識しているということです。このような世間一般の共通認識を「世間極成」といいます。Aである認識対象を成立させる本質的なものは、どこを探しても見出せず、相互縁起の複雑な組み合わせから生じる「世間極成」という相対的な基準だけが根拠として設定されているということになります。
 空性と縁起の関係を理解するためには、空によって否定すべきものを適正に設定することが重要になります。シャーンティーディーヴァは『入菩薩行論』第九章で、「分別した事物に触れることなく、その非存在を把握し得ず」と説き、ツォンカパは『中観密意解明』第六章で「分別した事物、すなわち所遮(否定すべきこの)の総体がよく心に現れなければ、その所遮が存在しないことをよく把握できないとシャーンティーディーヴァはおっしゃられている。それゆえ存在しないものたる諦成就、および、何が空であるのかというところの所遮の相が、心の境として如実に現れなければ、諦無(真実として存在しないこと)と空の体(空ということの本質)をよく判断し得ない」と解説している。つまり瓶で例えるならば、瓶のどのような在り方が否定の対象となり、どのような在り方がそれに該当しないのかという点を、明確に認識しておかなければなりません。
 否定すべき範囲が狭いというのは、例えば、説一切有部は、五蘊の集まりの上に設定され補特伽羅の実体性(外道が説く真我(アートマン)など)を否定しても、五蘊のそれぞれをはじめとする諸法の本体が三世に実在すると主張しています。唯識派は、諸法が外境として成立することを否定しても、認識主体である心(特に阿頼耶識)の実体性を否定しきれていません。
 唯識派が心(特に阿頼耶識)の実体性を否定しきれていない点を指摘する中観帰謬論証派は『入中論自注』第六章で、「外道らが自在天などを衆生の創造者と主張するように、阿頼耶識を主張する者たちも、識は縁じられる事物すべての所依(拠り所)そのものなので、一切の種子であると主張している。「自在天は常で、阿頼耶識は無常だ」という、この点が外道と唯識派の相違である」と説いている。また『中観密意解明』は「心と別の境である外側のものを否定して、心だけは自性によって成立することを否定しないという唯識を世尊がお説きになったのは、一切は空だと説かれたことに対して愚者が恐れるのを除くためであるが、了義の真実ではない」と解説しています。
これらの思想哲学によって後天的に虚構された実体性(アートマン、阿頼耶識など)をすべて否定しても、無始以来の習慣となっている先天的な諦執(たいしゅう(倶生の諦執))が残っています。
 「諦執」とは、認識対象が「諦成就」だと誤認することです。「空」によって否定すべきものは、他から独立した実体性であり、諸法が諦として成立することであり、諸法が自相によって成立することです。否定するべきものの範囲が狭すぎると、諸法に何らかの実体性が認められ、諦として成立する何ものかが残ります。そうなれば「常辺(じょうへん)」という極端論に陥り、輪廻への執着を完全に断ち切れず、解脱が不可能になります。
 「常返」へ陥ることなく、否定すべき実体性を悉く排除した時、諸法はどのような在り方で成立すると認められるのでしょうか。中観帰謬論証派は、「分別による名称の付与に依存して、仮に設定(仮説)されたものとして単に存在する」とし、『中観密意解明』では「勝義においては単なる名称すらもなく、言説(世俗)においては名称の言説の力によって単に設定されたという以外のものは一つもないと龍樹がおっしゃられているように、名称において単に仮説されたものとして存在するのである。そうした事柄をよく知れば、一切法は他に依存して設定すべきこと、依存して仮設され、依存して生じたという、まさにその点から、自体によって成立していることは何もないし、もし、何らかの法があると設定するにしてもそれは、仮設されたものを追求せずに設定したという点などを、よく知ることができるだろう」と説いています。諸法のこのような在り方こそ、三層の縁起の最も深い意味に他なりません。
 次に、否定する範囲が広すぎる場合は、否定すべきものを適正に排除した時に、承認される諸法の在り方を考察しましたが、それすら排除するならば、否定する範囲が広すぎることになります。つまり、名称の付与に依存して仮設されたものすら、その存在を全く否定してしまうということです。このような極端論を「断辺」といいます。「断辺」は、縁起の虚無的な方向での全面否定です。それにより、世俗において因果関係が成立することも否定され、善悪の区別も否定され、三宝の存在すらも否定されます。結果、三悪趣へ陥る因を作ることになります。これは「常辺」より悪い見解と位置付けられています。正しい判断力を具えていない者が、空性の思想を中途半端に聞きかじったりすると、断辺の虚無論へ陥る危険性が高いです。それゆえに、「未熟者へ空性を説く」ということは、菩薩戒の根本罪の一つに数えられています。空性に関する話をするときは、相手が少なくとも断辺の虚無論へ陥らないように、十分配慮する必要があります。
 「一切法は空である」というときの「空」の意味を、世俗においても絶対的な無と捉え、「何も全く存在しないこと」と解釈するのは、「断辺」に陥った理解になります。
 「常」と「断」の「二返」から離れ、空によって否定すべきものの範囲を適正に設定できれば、空性と縁起の関係も正しく理解をすることができます。
 関連性を修習してみます。
 「一切法」は縁起として存在しています。そのような「一切法」は「空」です。このとき「空である」という意味は、諦として、自相として成立しないということです。もし、諦として、自相として成立するものがあるとすれば、それは「空」とは言えません。そのようなものは縁起としてではなく、独立した実体として存在するはずです。しかし、そのようなものは何一つ存在しません。空によって否定すべきものは、諦として、自相として成立するところの、独立した実体性です。「一切法」において、そのような実体性が全面的に否定されるゆえに、「一切法」は「空」です。しかし、その「空」であることによって、一切法が縁起として存在することは、微塵たりとも否定できません。それゆえに、一切法は縁起として存在します。ツォンカパの『菩提道次第広論』観の章では、聖教を引用して「智慧者らよ、自性が空という空性の意味は、縁起の意味である。しかし、効用が空(効用的作用がない)という非存在の意味ではない」と強調しています。

(3)勝義諦と世俗諦

 「勝義諦」は中観帰謬論証派では「勝義を洞察(分析)する「正理知の量」によってそれが得られ、かつその量がその境に対して「正理知の量」となっていることは、それ自身が勝義諦であることの定義だ」としています。また「世俗諦の定義は、虚偽なる所知の欺く義を量る「言説の量」によって得られるもので、かつその量がそれに対して言説の洞察をなしていること」としています。簡単に言えば「世俗諦」の意味は「言説の量によって得られるもの」、「勝義諦」の意味は「「正理知の量」によって得られるもの」です。四諦との関係性は、苦諦・集諦・道諦は世俗諦であり有為法、滅諦は勝義諦であり無為法となります。
 この二諦を了解する順序はどのように設定できるのでしょうか。
 究極的に真理と認められるのは、「勝義諦」のみです。修行者である以上勝義諦を了解することを目指さなければなりません。凡夫の修行者は、「空性」を「現量」で認識できないので、いきなり「勝義諦」を了解することは不可能です。初めは言説による推論的分析に依存し、それを正理の比量として用いながら、「勝義諦」へアプローチをしていく必要があります。この言説による推論的分析こそ「世俗諦」にほかなりません。「勝義諦」を了解するための拠り所として、世俗諦の意義を設定することができます。『根本中論頌』第二十四章には「言説に依処せずして、勝義は示し得ない」と説いています。『入中論頌』第六章では、「言説の諦は方便となるもので、勝義の諦は方便より生じたもの。その両者の区別を知らぬ者は、邪な妄分別によって悪童へ赴く」と説いています。
「勝義諦」すなわち「空性」を体得するには、まず言葉によって概念的に理解するしかない。我々はこのことを肝に銘じておく必要がある。具体的には、最初に教えをよく聴聞し、次にその論拠を徹底的に考察し、それらを通じて概念的に確立された「空性理解」をもとに、「止」と「観」の修習を重ねることが肝要です。
もし、「勝義諦は言説を超越した次元なので、概念的に理解しようとしても無駄だ」などと誤解し、聞・思・修の過程を軽んじてひたすら禅定そ重ねたとしても、有暇具足の貴重な人生を無駄にするばかりで、一向に「空性」を体得することはできません。
このように「二諦」へのアプローチは、「世俗諦をもとにして、勝義諦を了解する」という順序が設定されます。一方で、「世俗諦」の真の在り方を知るためには、「勝義諦」を理解していなければならないということも事実です。よって「二諦」を完全に了解するという意味では「勝義諦が先で、世俗諦が後」という順序が設定されます。
 「二諦」の関係を正しく知るならば、仏教の思想哲学を言葉によって概念的に学ぶ事の重要性と限界も明らかになり、修行者として学問と実践を結び付ける正しい姿勢が確立される。
 大乗仏教の修行の枠組みを「基・道・果」という面から整理してみます。
基盤として、「世俗諦」と「勝義諦」の二つの次元が存在しています。次に「二諦」に基づく道として、方便と般若という二つの面の修行を実践します。この二面は、福徳と智慧の二資量を積み重ね集めることです。この二資量の集積を円満した結果として、色身と法身という仏陀の二身が得られます。龍樹の『六十頌如理論』にも「この善によりあらゆる生で、福徳と智の資量を積集し、福徳と智より生じたところの、妙なる二身を得られるよう」という廻向文が説かれています。
 このように「基・道・果」には「世俗諦・方便・色身」と「勝義諦・般若・法身」という二組があります。「世俗諦・方便・色身」の関係では、世俗の次元で因果関係が成立することを心底から納得し、それによって世俗の「ある限り」に対する確信を得ることが大切です。「勝義諦・般若・法身」の関係では、「一切法」に「自性」が微塵もないことを心底から納得し、それによって勝義の「あるがまま」に対する確信を得ることが重要です。
 色身と法身を得るには方便と般若の修行が必須であり、その前提として「世俗諦」と「勝義諦」の正しい理解が欠かせません。

(4)空性と縁起まとめ

 「空」と「自性」と「無我」は同じ意味です。「空」による否定対象としての「自性」と「我」は同義です。その意味は、自分自身をはじめあらゆる存在において虚構された実体性に他ならないということです。「無我」とは、そうした実体的な「我」を否定することです。「五蘊」の集まりの上に設定された「補特伽羅」に実体性を認めないことを「人無我」と言います。「五蘊」のそれぞれにをはじめとする「一切法」に実体性を認めないことを「法無我」といいます。『般若心経』の五蘊として存在しているところのものそれらも「自性」が「空」であるという経文は、直接的には「無我」を説くものです。しかし「補特伽羅」が「五蘊」の集まりの上に設定される以上、間接的には「人無我」も説いていると考えるべきです。「人無我」をわかりやすく説明するために伝統的に「縄と蛇の喩え」が用いられます。暗がりで地面に縄が落ちている時、斑の模様や渦の巻き方が蛇と似ているため、勘違いをして恐怖心を生じることがあるかもしれません。暗がりで勘違いして「蛇だ」と思ったことは、分別による仮の姿だったということになります。「五蘊」にいぞんして「これが私だ」という思いの生じることも、この喩えと同様です。時間的前後の流れにも、同一時点における五蘊の集まりにも、その各部分にも、私の実例として設定し得る要素は何一つありません。しかし、私と五蘊の間には全体と部分の関係が成立するから、私を五蘊と全く別の実体として設定することもできません。結果「私というものは分別よって、五蘊に依存しつつ、設定されただけに過ぎない」と知ることが出来ます。「私は独立した実体として成立していない」という結論になります。これを仏教哲学では「人無我」といいます。
 仏教での考え方は、日常生活では、他から独立した実体としての我の存在を哲学的な視点で確信することはないかもしれません。しかし、潜在的には「実体的な我がある」という思い込みが常に心を支配しています。その思い込みを前提として、自分自身と自分の者に対する執着(我執と我所執)を生じ、貪りや怒りなど様々な煩悩を起こします。
 他から独立した実体としての我はどのように否定されるのでしょうか。
 例えば、私の個人的な敵とみなされる人を想定してみます。彼には、彼を私の敵タラ占めているところの、普遍的な本質があるのでしょうか。もしそのような本質があるとすれば、彼は私と知り合う前から敵として存在し、今後も永遠にそうあり続けなければなりません。しかし、実際には様々な私の側か彼の側か、または別の要素なのかもしれない因や縁によって、次第に関係が悪化したというのが本当ではないでしょうか。そうすれば、彼の敵としての性質は、決して普遍的なものではないし、因と縁に依存している以上、他から独立した実体ではありません。そして、将来、敵対関係を招いた因が除かれたり、時間の経過によって敵意が薄れたり、お互いに反省して相手を思いやる心の余裕が生じたりすれば、現在の関係が違った関係になるのかもしれません。
 これについて、別の側面から分析してみます。
 私の敵である彼は、彼を構成している諸部分に分けることが出来ます。私に敵対恋を実行する「色」、私を不快に感じる「受」、嫌いな私を識別する「想」、私に敵対しようと意図する「行」、私を敵として認識する「識」、という五蘊です。この「五蘊」も微細な部分に分けることが出来ます。もし彼が敵の集団ということになれば、彼はその部分になります。一般的に全体は部分の上に設定されているので、部分意依存して成立していえます。逆に部分は全体を構成することにより部分であるので、全体に依存しているとも言えます。このような部分と全体の相互依存関係が、微細な次元から粗大な次元まで重層的に重なり合っている構造の中で、我々はある次元のある存在に着目をし、そこに独立した実体性を虚構します。
 また、別の側面から分析してみます。
 「私の敵である彼」という存在が成立しているのは、私の心がそのような名札を貼ったことに依存しています。事実、彼が敵であるということは万人共通認識ではないはずです。彼自身がいかなる状態で存在しようとも、彼の側で私を敵視していることが明らかであっても私の心がそうした名札を貼らない限り、彼は私の敵とはなり得ません。「名札を貼る」とは心が対象などを付与する認識プロセスの事です。我々の心は味方や敵といった善悪の価値を伴う場合だけでなく、いかなる存在を対象にするにせよ、名札を貼る過程を経ずに認識を成り立たせることができません。対象は様々な存在として認識されるけれども、それは対象自体の力でそのように成立しているわけではありません。分別による名称の付与を通じて仮に設定されたものなのです。このことを「仮説」といいます。
「私の敵である彼」の存在を三つの面から検討してものは、三層の縁起に相当します。
 ここでは例として「私の敵の彼」としたが、単に「彼」という存在について追究しても同様になります。
 彼の存在そのものが無我と言っても、それは「彼が全く存在しない」という意味ではありません。「無我」を全くの「無」と誤解して虚無論に陥り「彼も、私も、行為も全く存在しない。それゆえ、善悪の区別も、因果関係も全く存在しない」という断辺の邪見が生じたら、仏教から完全に逸脱したことになります。
 実体としては成立していないとはいえ、彼は存在し、その敵対行為の効果的な作用は私に及んでいます。もし「かれが及ぼす危害は無自性だから全く存在しない」というなら、忍辱の修行は必要なくなります。また「彼も、他の誰も、無我だから一切存在しない」となると、他者に対する利他や慈悲の行も必要なくなります。現実の世界と全く合わないし、これは釈尊の教えとも完全意矛盾します。
 事物が実体として成立するという極端論と全く存在しないとい極端論を退けた上で、、事物はどのような形で存在するのかと言えば、自分や他者などの人格的存在、及びそれらを構成する五蘊のそれぞれは、あらゆる実体性が排除された状態で、他に依存する在り方として「単に」存在するのだ。このような人格的存在を「単なる私」と表現します。この「単なる私」が善悪の行為の実行者であり、その潜在余力の担い手、六道輪廻を転生する主体とし恵設定されます。
 

5.4.5.修行者の理解

事物の存在を哲学的に正しく理解できれば、それに沿った形で修行者として実践的にどう行動すればよいだろうか。
 貪りや怒りなどの煩悩が本当に指向している対象は、単に存在する事物ではなく、その上に付加された実体性です。単に存在する事物にはそれ自体の側で成立してる固有の性質(自相)がないので、そのような者に対して貪りや怒りが生じている時は、自分自身で意識せずともその事物の上に自相という実体性を付加し、その実体性に対して貪りや怒りを向けているのです。単位存在する事物は、世俗という相対的なじげんで成立しているが、付加された実体性は、世俗の次元でも存在しないです。凡夫は、単に存在する事物の上に自性や自相などの実体性を増益し、それらを区別せず一体として把握した状態で、貪りや怒りなどの煩悩を起こしています。しあkし、その煩悩が本当に指向している対象は、増益された実体性の部分なので、言説有であるところの単に存在する事物と、言説としても成立しない実体性とを区別することは、非常に重要なポイントになります。あるものが存在する事物として、世俗という相対的な次元で成立していることを確認するためには、①そのものが世間の常識によって認められ(世間極成)、②言説の量によって得られ、③正理知の量によって否定されないという三つの条件を満たす必要があります。このとき増益さrた自性などは、正理知の量によって否定されるので、世俗の次元での成立も認められないです。しかし単に存在する事物は、正理知の量によって量られません。よって、否定されることも無いので、世俗の次元での成立を認められます。
 単に存在する事物には、効果的作用がありますが、それには適切に対照すべきです。その効果的作用は、事物自体の側で成立している固有の性質ではないので、貪りや怒りの対象とはなりえません。極端な対応にならないように中道の実践が求められます。
その中で、菩薩としての大慈悲や利他行を実践すること、及び空性に対する理解を深めることという、この両方のバランスよく修行し、心を無限に向上していかなくてはなりません。
 我々は「高い境地の菩薩たちのようにとてもできない」と悲観する必要など全くないです。現在の自分のレベルに合った修行を、方便と般若(利他行の実践と空性の理解)の両面で地道に積み重ね、心を少しづつ高めていくことが肝要です。
 チベットではアティーシャ以来の伝統で「ロジョン(修心)」という秘訣が説かれています。その中には自身の身体・財産・功徳を他者に与え、他者の苦しみを引き受けることを観想する「トンレン」という修行があります。

5.5.舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是

(玄奘訳)

(読み下し)
舎利子よ。色は空に異ならず。空は色に異ならず。色すなわちこれ空、空すなわちこれ色なり。受想行識も、またまたかくのごとし。
(原典和訳)
シャーリプトラよ、ここにおいて、色は空性であり、空性は色である。色とは別に空性はなく、空性とは別に色はない。色なるものこそが空性であり、空性なるものこそが色である。受・想・行・識についてもまったく同様である。
(チベット和訳)
色は空である。そのような色の空性は、それそのものが色である。色より別の空性ではない。色の空性より別の色でもない。

ここからいよいよ舎利子に伝授が始まります。

(1)舎利子

玄奘訳『般若心経』では本段を含め、観自在菩薩は3回「舎利子よ」と呼びかけています。
漢訳では三回目の呼びかけを省いています。これより伝授の内容は3段に別れていることがわかります。

(2)色即是空 甚深四句の法門

 「五蘊としているもの、それらも自性空である」というのは総論だとすれば、色蘊の「色は空である。空性は色である。色より別の空性ではない。空性より別の色でもない」と説いています。これを「甚深四句の法門」と言います。
 「色は空である(色即是空)」という経文は「自性」という言葉が抜けています。「色は自性が空である」と言い換えた方がわかりやすくなります。
この段では「五蘊皆空」と同じことを色・受・想・行・識についても同じように観察せよと言っています。「色即是空」に重点を置き、色々な教訓を展開しているものもありますが、本段の主眼は「五蘊皆空」について、色・受・想・行・識の五蘊一つ一つについて観察しなさいということです。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」は五蘊の代表として出ていると言うこと。
漢訳と原典訳をみると、二段と三段になっている。
 理由1)インドでは古くから重要なことは三度繰り返し述べる習慣がある。 
理由2)律蔵大品という初期の仏典には釈尊が法を説く場合は「私は三度この義を説く」という表現がでてくる。
 インド人ではない玄奘はただ単に二度で十分と感じただけ。

(3)空即是色

 「空性は色である(空即是色)」の空性とは色の空性のことです。色蘊という世俗の次元の物質的依存について、それが勝義の次元でどう成立するのかを追求した時、虚空の如く何一つ得られない。それが「色の空性」です。この色の空性そのものが、世俗の次元では、色の幻のように存在しています。
 色は自性がないゆえに、勝義の次元では虚空の如き空性として認識されるしかないけど、そうでありながら世俗の次元で色として顕現し、色であると認識されます。この「空性は色である」という経文の全体は、世俗諦を示す言葉と解釈できます。
 「色は空である 空性は色である」ということを、凡夫の修行者は、哲学的に学んで推論手金理解します。聖者の菩薩は、「等引智」で「色は空である」と直感し、「後得智」で「空性は色である」と認識します。仏陀は、「色は空である。空性は色である」といつでも完璧に見通しています。舎利子の質問に答える観自在菩薩は、釈迦の加持を受けているので、仏陀と同じ立場を共有しています。

(4)色不異空 空不異色

 「色より別の空性ではない。空性より別の色でもない」は色とは別のものとして、色の空性があるわけではないし、また色の空性とは、別のものとして色の存在が成立しているわけではありません。色には自性がないという、そのこととは別に色の空性があるのでああれば、それは諦成就の空性になります。また色の空性とは別に色があるのであれば、それも諦成就の色となってしまいます。よって色や空性が諦として成立するこを否定することがこの経文の意図です。
 勝義、世俗の二諦は、本質として同一の存在を別々の側面から見たものに過ぎないということです。このことを「同体異面」といいます。「空」が「勝義諦」で「色」が「世俗諦」ということです
これは「水月の比喩」と呼ばれるもので喩えられます。
水面に月の像が映っている様子を思い浮かべて下さい。月の像は色を、月は色の自性を喩えていると考えます。
① 水面に月が現れても、そこに月そのものがあるわけではありません
② 月そのものがあるわけでなくても、月の像が現れている状態は消えません
③ 月の像が現れることと、月そのものがあるわけでないことという、この両者は別個のものではありません
④ 月そのものの在り方を知れば、月の像を月だと思うことは自然になくなります。
このように考えると、①色そのものとして存在するとき、もともと色の自性は空です。これが、「色は空である」という意味です。②本当の在り方は空性であっても、言説として色の顕現は消えることはなく、心に現れます。これが「空性は色である」という意味です。③色として顕現しているところに色の自性はないといいます。そのことから離れて色の空性は求められません。これが「色より別の空性ではない」の意味です。また色の自性がないところに色として顕現しているという、そのことから離れて色は求められません。これが「空性より別の色でもない」の意味です。④「五十由旬の大きさで、光を放ち、闇夜を照らす働きがある」という月の在り方を知れば、水面の月の像はそのような条件がそろっていないということで、月そのものではないということが明らかです。色として顕現しても色の自性は成立しないということになります。

(5)縁起

 この甚深四句の法門に対する理解をするには、「縁起」という視点が必要です。「縁起」そのものによって空性を了解するという、これこそが仏教哲学の中でも最も絶妙な部分です。それゆえに「縁起」は「正理の王道」と呼ばれます。
 色など世俗のあらゆる顕現は「縁起」として成立しています。この点を本当に理解できれば、因果は決して欺かないということに確信を得て、自費や菩提心などの方便の道に精進できます。色などの空性を本当に確信すれば、あらゆる実体からの束縛から解放され、無明などの煩悩を断滅し尽くす般若の道に入ることができます。
 ツォンカパの『道の三要訣』には、「案であれ、輪廻と涅槃の諸法一切の、因果はいつも欺かないと見ながら、縁ジル依処であるすべてを滅している、それこそ仏陀のお喜びになる道へ入ったのだ」という偈があります「縁じる依処であるもの」とは、心が対象を諦成就として把握するとき、その迷乱を起こしている心が特に集中して指向する部分、つまり物事の上に虚構された実体性のことです。
 「縁起」とは他に依存して成立することです。あらゆる事物は、原因(因)と条件(縁)に依存して成立しているので、縁起として成立しています。この意味を深く考えれば,因と縁によって果が生じるという因果関係の確実性を検証することが出来ます。
 すべての事物が因と縁に依存していることを前提としたとき、例えば何らかの果が存在するならば、それを生じるのに相応しい因が必ず存在したはずです。逆に因が存在しなければ果も生じません。必要な因と縁がすべて揃ったら、いつか必ず相応し果が生じます。事物は因果関係によって成立するので、もし我々が善い行為をしたとき、何らかの望ましい果を生じることになります。その望ましい果を、我々がただちに享受できるとは限りませんが、複雑な因果関係の連鎖を経て、いずれ自分自身のもとに戻ってくると考えられます。
 「複雑な因果関係の連鎖」は、一方通行的なものではありません。因によって果が生じることは理解できます。しかしその因は本来的に因として自性を持っている存在ではありません。芽を出すことによって種と認められるようになり、果が成立し因として認められます。つまり、因も果に依存して成立すると考えられます。「相互縁起」は一切の事物が他との関連において、因であると同時に果として成立することを言います。私たちも相互縁起の世界で他との双方向的な因果関係の上に自らの存在を成立させています。よって我々の行為は何であれ、他への働きかけとして位置づけられます。他に対する直接的な働きかけはもちろん、自分だけで完結すると思われる行為であっても、それは同様です。いかなる行為も、他から影響を受けずに成立することは考えられないからです。自分以外は他です。しかし他は無数に存在し、自と他の相互間では、複雑な因果関係になります。1対1で他に影響を与えると自にすぐに戻ってきますが、複雑な因果関係では単純に自分のもとに戻ってくるとは限らない状況になります。しかし、「いつ、どのような形で」という点は予測不可能であっても「やがて、必ず、自分のもとへ戻って来る」ということは推論可能なので、それを修習することで「因果は欺くことはない」という確信が得られます。
 「決して欺くことのない因果関係」の中で、諸事物が縁起として成立している時、そのような事物の在り方さして「間違いのない縁起」といいます「縁起」という言葉によって事物が他に依存してのみ成立している点を強調し、事物の上に独立した実体性を虚構とする「常辺」を排除しています。また「間違いのない」という言葉によって、事物が因や縁や果として確かに作用する点を強調し、事物の効果的作用を否定する「断辺」も排除している。この「常辺」と「断辺」を排除することにより、①因果関係を絶対不変のものと誤解する運命論と②空によって世俗の因果関係も否定されると誤解する虚無論という両極端へ陥る危険性を摘み取ることができます。
 世俗の次元では、因果関係の効果的作用は確かにあります。しかしそれは、新たな因や縁に依存しつつ、刻々と変化していくものです。ゆえに過去にどんな悪行を積んだ者でも、それを懴悔し、三宝に帰依し、正しい就業に精進するならば、必ずその成果を得ることが出来ます。業の因果関係について運命論と虚無論の両極端を完全に排除することは仏道修行の実践面で極めて重要な意味を持ちます。
 「縁起」は「空性」として「空性」は「縁起」として現れるので、この両者は完全に表裏一体のものです。『道の三要訣』では「顕現は間違いのない縁起であることと、空を認めるという、これら二つの離れた理解が個別に現れている間は、いまだ仏陀の密意(真意)を了解していない。いつか交互にではなく同時に、間違いのない縁起を見るだけで、信念をもって境の執し方(諦執)をすべて滅するなら、そのとき見解の分析は究竟する」と説いています。また「顕現をもって有の辺(常返)を排し、空をもって無の辺(断辺)を排し、そして空性が因や果として現れる道理を知るならば、返執見に捉われなくなるだろう」と説いています。「色の顕現」であれば、凡夫は諦成就だと思い込みますが、その真実の在り方は決して諦成就ではなく、必ず空です。それが「顕現をもって有の辺を排し」という意味で、『般若心経』の「色が空である」と同じです。色の空性であれば、決して全く無ではなく、必ず縁起によって世俗の次元で色として顕現します。これが「空をもって無の辺を排し」という意味で、「空性は色である」と同じです。「空性が因や果として現れる」という意味は、空性によって縁起が理解され、縁起によって空性が理解されるということで、空性と縁起が表裏一体の関係にある点を示しています。『般若心経』の「色は空である」という経文は、「空性」が「果」として現れる面を表現し、「空性は色である」という経文は、「空性」が「因」として現れる面を表現しています。

(6)受想行識 亦復如是

 「同様に受想行識も空である」とありますが、本来は「受想行識の空性は受想行識である。受想行識より別の空性ではない。受想行識の空性より別の受想行識でもない」という言葉が省略されています。『般若心経』の玄奘訳では、「受不異空 空不異受 受即是空 空即是受、想不異空 空不異想 想即是空 空即是想、行不異空 空不異行 行即是空 空即是行、識不異空 空不異識 識即是空 空即是識」ということになります。
 「色」は物質的な存在であるのに対して、「受想行識」は精神的な存在になります。物質面と同じことが心の精神面でも成り立つということです。心は空であり、縁起としては存在し、勝義、世俗の二諦における存在感の設定は物質と平等ということです。
 これらの空性を正しく知ることは、仏教の哲学や修道論を学ぶにあたって、きわめて重要です。

5.6. 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 (甚深八句の法門)

(玄奘訳)
(読み下し)
舎利子よ、この諸法は空相なり。不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不滅なり。
(原典和訳)
シャーリプトラよ。ここにおいて、存在するものはすべて空性を特徴としていて、
生じたものでなく、滅したというものでなく、汚れたものでなく、汚れを離れた
ものでもなく、足りなくなることもなく、満たされることもない。
(チベット和訳)
 舎利子よ、そのように一切は空性である。すなわち、それ自体の側で成立している相というものがなく、自性として生じたり滅したりすることもなく、本来から汚れているということもなく、したがって汚れから離れているということもなく、勝義として減るとか満ちるということもないのである

(1)「そのように一切法は空性である」は「五蘊」が「空」であるのと同様、一切法も自性が空であることを説いています。「五蘊」は「有為法」であり、これに「無為法」を加えれば「一切法」になります。この経文の意味は、空性の適用される範囲を、「有為法」から「一切法」へ拡大した点にあります。
(2)「相というものがなく」は、「一切法」が「空」であるゆえに、本来から実体として成立している固有の在り方や性質がないことを説くものです。
(3)「生じたりすることもなく」という経文は、「一切法」が実体として成立しないゆえに、本来から実体性をもって生じないことを説くものです。もちろん「一切法」は存在するし、「有為法」は因や縁によって生じます。しかしそれらが実体として存在したりするわけではありません。これが「不生」という意味です。これについて「四辺の生の否定」というものがあります。これは法無我を了解するための推論の一つです。『根本中論頌』では、「自より生起するのではなく、他よりでもない。両者よりでなく、無因でもない。あらゆる事物はどこでも、生起はいつもあり得ない」と説いています。何らかのもの、及びそれとは異なる他のものがそれぞれ自性として成立しているという仮定のもとで、そのものがどのように生じるかを考察していきます。『菩提道次第広論』や『中観密意解明』で詳しく解説されています。
 何らかのものが自性として生起すると仮定します。その場合、「因に依存せず生起する」か(「無因の生起」)、あるいは「因に依存して生起する」かの一方であるはずです。「因に依存して生起する」場合、生起した何ものかの果の自性と因の自性とが、同一か別異かのどちらかです。「因に依存せず生起する」ものは「自分からの生起」となります。「因に依存して生起する」ものは「他者からの生起」となります。因が複数の場合は、そのうちの一つの自性が果の自性と同一である場合も想定されます。これが「自他両者からの生起」です。よって「無因」、「自分から」、「他者から」、「両者から」の4つの場合の生起を否定することが出来れば、「いかなるものも生起しない」という結論が導き出されます。しかしこの結論は世間の常識と相反します。その矛盾を解消し、世俗の次元の事物の生起を説明するには、最初の仮定の「自性としての生起」が誤っていることを認める以外にありません。このように4つの場合に分けそれらが否定されていきます。龍樹も『六十頌如理論』で「依って生じたものは不生である」と説き、チャンドラキルティーの『六十頌如理論注』では「縁起を見れば、諸事物を自性として縁じ(認識し)なくなる。なぜなら、依って生じたところのものは、映像の如く、自性によって生じていないゆえに」と解説しています。因や縁によって単に生じることと、実体性をもって生じることと、この両者の区別をよく認識しておかなくてはなりません。『般若心経』の経文は、実体としての生起を否定し、常辺を排除する立場から書かれた物です。もし、因や縁による生起まで否定したら、有為法は全く生じないことになり、断辺に陥ってしまいます。

(4)「滅したりすることもなく(不滅)」という経文も同様で、一切法は、実体性を以て生じないのだから、実体性をもって滅することもない。有為法は因や縁によって滅するが、実体としての「滅」ではありません。もし実体としての滅があるのであれば、有為法が滅した後に、何も存在しないことになります。中観帰謬論証派では有為法の滅は、因や縁によってもたらされ、効果的作用を有するということです。例えば、ある行為がなされ、因や縁によって終了した時、その状態を「行為の滅」といいます。この「行為の滅」そのものが事物として存在し、因や縁となって効果的作用を及ぼし、未来に何らかの結果を生じることになります。このように「業」の因果応報を説明することにより、帰謬論証派は、阿頼耶識などの設定をする必要がないと主張しています。唯識では「行為の滅」を所作性や事物として認めていません。これについてツォンカパは『中観密意解明』で「事物が自性によって成立していると認める一辺の側(唯識派など)においては、滅したものを事物となしえない。しかし自性によって成立していないと認める中観派側においては、滅したものは事物として成立する」と説いています。つまり何らかの存在が因や縁によって生じ、また因や縁によって滅したとしても、それが空であり無自性であることは変わりません。その生と滅はともに、自性として成立しないけれど、言説として所作性、事物と認められます。これは極めて難解な部分です。
 以上の(3)と(4)から「何らかのものが不生、不滅である」ということと「そのmのが縁起として存在している」ということが、全く同じ意味である点が理解できます。「無為法」は常であり、非所作性である。よって実体としての生も滅もないし、因や縁による生も滅もありません。そのような意味で、無為法もまた不生、不滅です。しかし、そのような「無為法」は縁起として存在します。これと「有為法」の考察を合わせれば、「一切法」はことごとく、不生、不滅であり、えんぎとして存在するということになります。
(5)「汚れているということもなく(不垢)」という経文は、「一切法」は自性が空なので、勝義の次元でも汚れたものとして成立し得ないことを説くものです。輪廻世界に属する存在であっても、勝義の次元においては、汚れているということはありません。しかし世俗の次元において輪廻は業や煩悩で汚れた世界に他なりません。輪廻世界に属する諸存在は実体として顕現し、凡夫はそれらを実体として把握しています。実体性の成立をそのまま許しておいて、業や煩悩など悪い要素ばかりを「空だから存在しない」と否定することは、この経文の意図からは全くずれています。
 例えば、今、私という補特伽羅は、世俗の次元において、業や煩悩にまみれた輪廻の衆生として存在しています。しかし、勝義の次元においては、私自身も、私の悪業や煩悩は成立しません。ただそれらの空性が認められるだけです。だからといって「世俗の次元において、業や煩悩のない清浄な私が、すでに成立している」などと言えるのでしょうか。この点をよく考えれば、業や煩悩を断滅するための修行が世俗の次元で必要なことが理解できます。もし、「一切法」が「空」ではなく、勝義の次元で「業や煩悩にまみれた私」が成立すれば、修行も全く無意味になります。「一切法」は修行を不要とする理由にはならないけれど、修行の有効性を保証する確かな根拠となります。
(6)「汚れから離れることもなく(不浄)」という経文は、一切法が勝義の次元で清浄なものとして成立し得ないことを説くものです。輪廻が汚れた世界として成立しない以上、汚れから離れるということも成り立たないからです。「涅槃」という境地は、輪廻から解脱した状態と位置づけられています。「涅槃」は、「空性」を完全に体得し、それと一体化した境地であり、「勝義諦」として認められます。しかし、「空性」にしても「涅槃」にしても、「勝義諦」だという理由は、それらが勝義の次元で諦として成立しているからではなく、勝義の次元における真実の在り方と別な形で顕現して世間を欺かないので、勝義諦といいます。(*これは難解)我々が修行を通じて得るべき涅槃という境地は、「私自身が存在する」というような世間の言説のレベルで、確かに勝義諦として存在します。しかし「正理知の量」によって分析した時、勝義の次元において諦として成立すると認められるわけではありません。「空性」や「涅槃」が勝義の次元で成立しないという意味は、それらもまた空だということにほかなりません。「空」ではない「空性」や「涅槃」が存在するならば、それは「諦成就」となる。『般若心経』はそのような「諦成就」の「涅槃」を否定し、「一切法」が「空」であることを確認しています。
(5)、(6)の「汚れているということもなく、汚れから離れるということもなく」の二句は、生死輪廻と涅槃寂静の平等無差別を説くもので、「生死即涅槃」と同じ意味になります。「輪廻」と「涅槃が」平等というのは、あくまで勝義の次元において、いずれも空性という形でしか認められません。世俗の次元で両者の区別がないと誤解したら、修行も不要という立場になってしまいます。同様に、勝義の次元においては善と悪の区別も存在しません。しかし世俗のレベルで善と悪の区別をしなければ、三悪趣に落ちることになります。「生死即涅槃」や「煩悩即菩提」という言葉を用いる時、弊害が大きくなります。
(7)「減るということもない(不滅)」は、勝義の次元では輪廻と涅槃の区別が存在しないことを踏まえてこの経文になっています。
(8)「満ということもない(不増)」とあるます。功徳が増減することも「勝義」としては成立しません。しかし、世俗の次元においては、煩悩を抑制・断滅することと、功徳を集積・円満することは
重要です。修行によって高い境地へと至るということも、勝義として追求すれば、得られないので、世俗の次元で把握するべきです。
以上、「甚深八句の法門」は五道と十地の枠組みで捉えるならば、「大乗の見道において、三解脱門へ入る在り方を説いた教戒」と位置付けられています。

5.7. 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界

    無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽 無苦集滅道 無智 亦無得

(読み下し)
この故に空の中には色はなく、受想行識なく、眼耳鼻舌身意なく、色声香味触法なく眼界なく、ないし意識界なく、無明なく、また無明の尽くることなく、ないし老死なく、また老死尽くることなく、苦集滅道なく、智なく、また得もなし

(原典和訳)この故に、シャーリプトラよ、空性においては、色なく、受なく、想なく、行なく、
識もない。眼耳鼻舌身意もない。色声香味触法もない。眼界から意識界に至まで
悉くない。明知なく、無明なく、明知の滅なく、無明の滅もない。老死なく、老
死の滅もない。苦・集・滅・道もない。知ることもなく、得ることもない。

(チベット和訳)
舎利子よ、それゆえ空性には、色がなく、受がなく、想がなく、諸行もなく、識もない。それと同様に空性には、眼、耳、鼻、舌、身、意という六内処もなければ、色、声、香、味、触、法という六外処もない。眼界から意界、さらに意識界へ至るまで十八界もことごとくない。無明もなく、したがって無明の尽きることもない。十二縁起はすべてこれと同じで、老死もなく、老死の尽きることもない。同様に、苦、集、滅、道の四諦もない。道の主体たる智もなく、道の果を得るということもなく得ないということもないのである。

最初の「空性には・・」という言葉から、これからの議論が勝義の次元におけるものであることを明確に規定しています。「勝義」の次元として五蘊が五蘊として成立しないということです。勝義の次元ではただ五蘊の空性があるのみで、物質や心が成立することはありません。もちろん、世俗の次元では五蘊が存在します。この「空性には・・・」は世俗の話ではなく、観自在菩薩が等引の状態に入った時に、こうした状態が実際に生じることになります。この「五蘊がない」という高い境地の三昧における観じ方である「勝義」と「世俗」を混同してしまえば、非常に危険な虚無論に陥ってしまいます。この部分は『般若心経』では注意しなくてはなりません。

(1)十二処

 「十二処」は「補特伽羅」の知覚・認識機能の「六内処(六根)」と認識対象を分類した「六外処(六境)」のことです。
① 六根
物質的存在を知覚する機能は、「眼根(視覚)」・「耳根(聴覚)」・「鼻根(嗅覚)」・「舌根(味覚)」・「身根(触覚)」という五感(五根)です。「根」は感受する作用・能力・機能と言う意味の「インドリア」の訳です。現代語に訳すなら「根」=「センサー」です。センサーは感知するだけで判断はしません。「五根」は感覚器官に頼って生じる機能ですが、感覚器官そのものではありません。眼球や網膜など感覚器官そのものは「扶塵根(ぶじんこん)」といい、チベット語では「知覚機能が依存する器官」と呼ばれます。知覚機能は身体的、物理的働きとされ、五蘊という枠組みでは「色蘊」に分類されます。「五根」を「有色根(うしきこん)」といいます。「意根」は脳によって生じますが、脳そのものではありません。「有色根」が物質的な領域とされるのに対して、「意根」は完全に精神的な領域と位置づけられ、「五蘊」の枠組みでは「識蘊」に分類されます。合わせて六根(六内処)であり、認識対象を把握しています。
② 六境
「六境(六外処)」の「境」とは領域・対象範囲という意味の「ヴィシャヤ」の訳です。眼根によって知覚されるのは、姿形のある可視物で「色境」といいます。この「色」は「五蘊」の「色」よりも範囲が狭い意味で、物質的な存在全てではなく、可視対象となる部分だけをさします。この狭い意味の「色境」は色彩(顕色(けんじき))と形状(形色(ぎょうしき))に分類されます。「顕色」には根本として青、黄、白、赤の四要素があり、更に細かく分けて支分として明、暗、雲、煙、塵、影、霧、日光の八要素があります。「形色」は、長、短、高、低、角、円、美、醜の八要素です。これらはチベット仏教僧院教育で最初に学ぶものです。これと同様に「耳根(聴覚)」を通じて知覚されるのが「声境」、「鼻根(嗅覚)」によって知覚されるのが「香境」、「舌根(味覚)」によって知覚されるのが「味境」、「身根(触覚)」によって知覚されるのが「触境」です。「触境」には「大種触」と「大種所造触」になります。「大種触」は地、水、火、風の四大種で、物質の基本的な構成要素ですが、それ自身は「触境」の中に分類されます。「大種所造触」は、滑、粗、重、軽、冷、肌、渇の七要素です。
「六根」と「六境」の中で「法境」は「有色根」を通じて知覚されることがなく、「意根」のみに把握されます。「六境」の「法境」は単なる心の働きが向かうところということになります。
 身体と言葉によってなされる諸行為(身業と口業)は、いずれも「色蘊」の範疇に属します。この「色蘊」は実際の行為の「表業」、潜在余力の「無表業」に分けられます。「身表業」は色境の形色に属します。「口表業」は「声境」に属します。「身無表業」と「口無表業」は「法境」に属します。「無表業」は因果応報をもたらす力のことです。「色蘊」に属するにもかかわらず、「有色根」を通じて知覚されません。一方、心の中で生じる意思(意業)は、心所の思に該当するので、「行蘊」と「法境」に属します。
 このように詳細に分析される十二処も勝義の在り方では空性という在り方でしか見出せません。『般若心経』では、「六内処もなければ、六外処もない」と説いています。しかし、世俗の次元では「十二処が存在ない」とか「十二処を分析するのは無意味だ」と考えると経文の意図から逸脱することになります

(2)十八界

 「十二処」の枠組みをもとに、心の分析をさらに深めたものが十八界です。「界」はダーツで原義的には、「成分、要素」を意味しています。仏教では金属を生じさせる鉱脈と比して理解されることが多いです。言語学では同氏の形が派生する元になる語根を「界」といいます。物事の生じるもとになるもの、根拠、根源となります。生命体のもとになっているということで身体を「界」ということもありますし、舎利を「界」ということもあります。漢訳では「因」や「性」を「界」ということがあります。原因であり、根源であり、本質であるということです。
「十二処」全体と「十八界」全体と「一切法」は同じ広さです。「一切法」が空であるので、十八界も十八界として成立しません。これを「眼界から意界、さらに意識界に至るまで十八界もことごとくない」と説いています。
十八界の「眼界」、「耳界」、「鼻界」、「舌界」、「身界」、「意界」は眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根と同義です。
「色界」、「声界」、「香界」、「味界」、「触界」、「法界」は色境、声境、香境、味境、触境、法境と同義です。
「眼識界」、「耳識界」、「鼻識界」、「舌識界」、「身識界」、「意識界」で、これは意界を細分した「六識」です。この「六識」と「意根」、「識蘊」、「心王」は領域が一致し、精神的な領域である知の中枢部分として位置付けられています。
「眼識」が成立するためには、対象である「色境」(所縁縁)、知覚機能である「眼根」(増上縁)、前刹那の「識」(等無間縁)という三要素が出会う必要があります。例えば「瓶が見えた」と感じる「眼識」の「所縁縁」は瓶、「増上縁」は「視覚機能」、「等無間縁」は「眼識」が生じる前の瞬間の心です。「眼識」は「知」に属するものであるので、それを生じる直接的な因は「知」に属するものでなくてはなりません。物質の生じる主な原因は物質に求めなければならないのと同様、心の生じる主な原因は、心に求めなければなりません。「色境」や「眼根」は物質的な領域に属するので、心の生じる主な原因にはなりません。
 「明らかに知る」という心の在り方を実際に生じさせるのは、「所縁縁」や「増上縁」ではなう「等無間縁」になります。しかし、視覚という性質を付与するのは「増上縁」で、何が見えるかという内容を規定するのは「所縁縁」です。「耳識」から「意識」までも同じことが言えます。
5つの「有色根」を「増上縁」として生じる五感の識を「前五識」といいます。「増上」は「力が加わり、働きが助長進展されて、強大であること」で他のものの働きを増勝する縁を「増上縁」といいます。
 最後の「意識」を「第六識」といいます。「意根」を「増上縁」としています。例えば抽象的な概念につい思考を巡らすことは、意識の働きです。そのような概念は「法境」に属し、それを把握し得るのは意根しかありません。「十八界」で「眼識」から「意識」までの「六識」と同義の「意界」が重複して説かれている理由は、「六識」が「次刹那の意識」を生じる「増上縁」となる側面を示すためだとされています。
 「十八界」を分析することで、様々な心の発生する仕組みが明らかになりますが、それらもすべて勝義の次元で空性という在り方でしか見出せません。そのことを『般若心経』では、「十八界も悉くない」と説いています。しかし世俗の次元恵は「十八界がない」とか「十八界を分析するのは無意味だ」と考えてしまえば、経文の意図から全く逸脱します。

(3)十二縁起

 観自在菩薩はさらに修行の過程で感じるべき内容すら勝義無であることをあきらかにしていきます。「無明もなく、したがって無明が尽きることもない。十二縁起はすべてこれと同じで、
老死もなく、老死の尽きることもない(無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽)」と説き、流転(有漏(うろ))と幻滅(無漏)の十二縁起が勝義の次元で成立しないことを示しています。衆生が前世・現世・未来と生まれ変わっていく過程の因果関係として捉えると、比較的容易に理解できます。これを「三世両重の因果」といいます。
ツォンカパの『菩提道次第広論』によれば、「無明」・「行」・「因位」の識を「能引(のういん)」、「果位の識」・「名色」・「六処」・「触」・「受」を「所引」、「愛」・「取」・「有」を「能生(のうしょう)」、「生」・「老死」を「所生(しょしょう)」と位置づけています。1つの十二縁起の中で、「能引」と「所引」、及び「能生」と「所生」という二組の因果関係を設定します。
 「能引」の「行」によって「業」を生じ、因位の識に蓄積されたその潜在余力は、死の直前に能生を経験することで十分に熟す。実際に果として来世がもたらされるためには、能引と能生の両方がそろわなければならない。「能引」の直接の果は未来にどのような生をうけるかということ、つまり「所引」です。「能生」の直接の果は、すぐ次の来世をもたらすということ、つまり「所生」です。「能引」の果として「所引」がもたらされるのは、必ずしも「能引」のすぐ次の来世とは限りません。実際の十二縁起の順序は、まず能引があり(いつの生になるのかはわからない)それを熟す「能生」があり、そのすぐ次の来世に果位の識と生が同時に成立し、続いて名色、六処、触、受、老死を順次経験します。現実には一生の間に無数の「業」を作っているので、十二縁起のサイクルも無数に成立し、それらが複雑に絡み合いながら重層的に連鎖していくと考えられています。
 『倶舎論』では、「三世両重因果」は、「無明」「行」が「前際(前世)」、「識」「名色」「六処」「触」「受」「愛」「取」「有」が「中際(現世)」、「生」「老死」が「後際(来世)」と区分しています。
前世の煩悩が「無明」、前世の「業」が「行」であり、それにより現世の胎内に結生するときの「五蘊」が「識」、胎内で「六根」を具備するまでが「名色」、「根」が備わって出生するまでが「六処」、出生して「根」「境」「識」の三つが和合し、外界と接触しながら「苦」「楽」「不苦不楽」の因をそれぞれ分別しない間である生まれてから2~3歳までが「触」、性欲をおこさない14~15歳ころまでを「受」、性欲や物欲をおこす15~16歳以降を「愛」、物欲の為に馳せまわる20歳以降が「取」、来世の「果」を引く「業」を造るのが「有」、来世に結生するのが「生」、来世の「受」に至るまでが「老死」とされています。「愛」と「取」は前世の「無明」、「有」は「行」、「生」は現世の「識」にあたり、「老死」は「名色」「六処」「触」「受」にあたります。
「無明」「愛」「取」は惑わすものとして「煩悩」とし、「行」「有」は「業」、残りの七つは「事」とし煩悩の拠り所としての「身相続」、あるいは「果」としての「苦」と考えます。
 
① 無明
「明(智慧)」の否定ですが、単位に「明」でないもの、「明」の欠如ということではなく、「明」
の逆の愚かさを意味します。『倶舎論』では「明」を「結・縛・随眠」と呼んでいます。「悪しき慧」ではありません。「悪慧」は「見」なので、「無明」は「慧」とは別の「心所」です。「無明」は「見」と相応するものであり、『倶舎論』の経文には「無明は慧を汚染する」と説かれているので、「悪慧」ではありません。
衆生が輪廻転生を繰り返す原因を追究すれば、「補特伽羅」と「一切法」に対する「諦執」、すなわち「人我執」です。中観帰謬論証派では無明に「法我執」も含めています。中でも、自分自身、及び自分のものを「自相成就」だと誤認して執着する「有身見」こそ、自分が来世に輪廻世界へ生まれる実際の根本原因とされています。これを「無明」といいます。
② 行
衆生は無明に起因して様々な意思を生じ、身体や言葉によって行為を重ねます。「身口意」の「業」が絶えず作られていくことを「行」と言います。
③ 識
「行」によって作られた無数の「業」は、滅した後も「潜在余力」を残し、未来に何らかの「果」を生じることになります。その「潜在余力」が衆生の「識」に蓄積される段階を「因位(いんい)の識」といいます。その衆生が死を迎え、「業」の「潜在余力」を保持した「識」は来世に「生」を得ます。この段階を「果位(かい)の識」といいます。十二縁起では「因位の識」と「果位の識」をまとめて「識」といいます
④ 名色
来世の生は父親の精子・母親の卵子・前世からの識の三者が出会うことによって成立します。受精卵が主な因となり、胎児の身体を生じます。また前世からの「識」が主な因となり、胎児の心を生じます。このようにして「果位の識」の著kぅ後に「五蘊」の集まった状態が成立する段階を「名色」といいます。「名色」の「名」は「受想行識」の「四蘊」のことです。
⑤ 六処
胎児の成長と共に、知覚や認識の機能が生じてきます。「六内処」が成立して実際に作用するまでの段階を「六処」と言います。
⑥ 触
知覚対象(境)、知覚機能(根)・心(識)の三者が出会います。「所縁縁」「増上縁」「等無間縁」が揃うことにより、実際に認識が成立します。このとき知覚機能(根)に何らかの変化をもたらす働きが「触」であり、「心所」の一つに数えられています。最初に「触」が生じるのは胎児の段階ですが、母体から出てから本格的に作用することになります。
⑦ 受
「触」によって知覚機能に変化をもたらされた結果、次の瞬間に対象を「苦・楽・平等」と感受する心の作用が発生します。これが「受」です。「心所」の一つに数えられています。最初に「受」が生じるのは胎児の段階ですが、母体を出てから本格的に働き、衆生の様々な欲求を引き起こします。
⑧ 愛
「受」が「因」となって、楽を求め苦を避けようとする欲求が生じます。この欲求が「愛」です
⑨ 取
「愛」が生じると強烈な執着になります。この段階を「取」といいます。「愛」と「取」は人生の様々な局面で発生しますが、死の直前で現れるものは特別な意味を持ちます。「愛」と「取」は「識」に蓄積された「業」の潜在余力を増大させるので、死の直前だと来世に大きな影響を及ぼすからです。
⑩ 有
死の直前の「愛」と「取」の作用により、「識」に蓄積された「業」の潜在余力が図大師、来世の在り方を規定し得るまでに熟します。こうした状態から、実際に「死」を迎え、さらに「中有」を終えるまでの段階を「有」と言います。「中有」とは、死から来世までの「補特伽羅」の存在で最長49日とされます。死の瞬間を「死有」、生の瞬間である「果位の識」を「生有」、生から死までを「本有」と言います。「有」は来世の存在を指す言葉ですが、「そのような結果をもたらすもの」という意味で、「引業」が熟しきった段階に対して名づけられています。
⑪ 生
「有」の果として、来世に生を得る瞬間が「生」です
⑫ 老死
生の次の瞬間から、死へ向けた老化が始まっています。壮年期以降の衰えだけではなく、幼年期から青年期までの成長も、死へ刻々と近づいていく過程です。この時期も広義の老化と位置づけられています。老化の過程では、生・老・病・死の「四苦」、怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五取蘊苦(「五蘊」から生じる普遍的な苦)を加えた「八苦」を体験しなくてはなりません。それらをすべて含めて「老死」といいます。
 以上のように「十二縁起」は、前の段階が「因」となり、後の段階を生じる時間的な因果関係として解釈できます。修行として四種類の方法があります。

ⅰ.流転の循環
 「無明」から「老死」と観じる方法です。「無明」という「煩悩」から「老死」という「苦」がもたらされる過程であり、「有漏法」の生起する因から観察していく修行で、「四諦」の「集諦」と関連付けられます。

ⅱ.流転の逆観
 「有漏法」として生じた果から観察していく修行で、「苦諦」と関連付けられます

ⅲ.還滅の循環
 「無明」の滅によって「行」の滅があり、「行」の滅によって「識」の滅がある・・・と観事る方法です。「無漏法」得る因から観察していく修行で、「道諦」と関連付けられます。

ⅳ.還滅の逆観
 「無漏法」として得た果から観察していく修行で、「滅諦」と関連付けられます。

 『般若心経』の「無明もなく」というのは勝義の次元では「無明」という煩悩が成立しないということで、それゆえ「無明」を出発とする「流転の循環」も成立しないことを意味しています。同様に「無明の尽きることもない」というのは、無明が成立しなければ無明が滅することも成立しないとおいうことで、「還滅の循環」も勝義の次元では成立しないことを述べています。「老死もなく」も同様で、「老死」という「苦」が成立しないので「還滅の循環」も成立せず、「老死の尽きることもない」は「老死」の「滅」を出発にする「還滅の逆観」も成立しないことを意味しています。
 「十二縁起」は「勝義の次元」では「空性」という在り方でしか見出せません。しかし、「世俗の次元」では「十二縁起が成立しない」とか、「流転と還滅の十二縁起を観じるのは無意味だ」と考えてしまえば、経文の意図から逸脱し、邪見に陥ります。

(4)四諦
「同様に苦集滅道もない(無苦集滅道)」と「四諦」が勝義の次元で成立しないことを示しています。「四諦」は「初転法輪」で釈尊が説かれた根本教理です。
① 苦諦
「生・老・病・死」の四苦、嫌いな物事に遭遇する「怨憎会苦」、好きな物事と離れなければならない「愛別離苦」、欲するものごとを得られない苦しみ「求不得苦(ぐふとっく)」などがあります。五蘊の集まりの衆生が輪廻転生するかぎりいかなる状況も本質的に苦しみ以外のなにものでもないという「五取蘊苦(ごしゅうんく)」がある。
② 集諦
苦の生じる原因を突き詰めれば無明に行き当たります。輪廻という苦しみの世界に束縛される因や縁は、無明に起因する様々な業や煩悩に他なりません。これを「集諦」といいます
③ 滅諦
 苦の滅が見道や修道で部分的に実現し、無学道で完全なものになるというsのような真理を「滅諦」といいます
④ 道諦
 苦の滅を達成する具体的な方法は、「八正道」です。①正見(正しい見解)、②正思(正しい思惟)、③正語(正しい言葉)、④正業(正しい行い)、⑤正命(正しい生活)、⑥正精進(正しい努力)、⑦正念(正しい心の持ち方)、⑧正定(正しい精神統一)です。「八正道」の「見道」と修行の実践内容が、苦の滅へ至る道として位置付けられています。これを「道諦」といいます。「資量道」や「加行道」の実践内容は、「道諦」に含まれませんが、必要不可欠な要素です。

 釈尊が「四諦」を説かれた際の具体的な表現として「三転十二行相」があります。これは「示転(じてん)」、「勧転(かんてん)」、「証転(しょうてん)」という3つの方法です。「示転」は「これは苦である。これは集である。これは滅である。これは道である」と「四諦」を見ます。「勧転」では「苦を完全に知るべきだ。集を完全に断つべきだ。滅を完全に現証するべきだ。道を完全に修習するべきだ」と「四諦」を修します。「証転」は「苦として知るべきものがない。集として断つべきものがない。滅として現証すべきものがない。道として修習すべきものがない」と「四諦」の「勝義無」を体得することです。
 勝義の次元で、知るべき苦、断つべき集、現証すべき滅、修習すべき道のいずれも、成立することがありません、それらの空性が見出せるのみです。これが『般若心経』の「苦集滅道もない」と説かれている意味です。世俗の次元で「四諦が存在しない」「四諦を感じるのは無意味」と館g萎えれば、意図から逸脱します。
 「四諦」や「十二縁起」は仏教で共通する基本的な教理です。世俗の次元でそれらが存在することだけを認識している段階の修行者は、建物の一階にいるようなものです。これに対して『般若心経』が説く菩薩の立場は、同じ建物の二階にいるようなものです。一階からは近くの景色しか見えないけれど、二階からは遠くの景色が見えます。同様に『般若心経』が説く菩薩の立場からは、「四諦」や「十二縁起」が勝義の次元で成立しないことが見渡せます。しかし、世俗の次元で「四諦」や「十二縁起」の存在を否定するならば、二階の住人が建物の一階を壊すようなことです。一階を壊すと二階という自分の居場所も失うことになります。『般若心経』の「四諦」や「十二縁起」を否定することはそのようなことです。これについてチャンドラキルティーは『浄明句論』で「五蘊と十二処と四諦と十二縁起などを示すことは勝義ではない別のことを示している。これによって何を目指すのか。真実義でないものは完全に断つべきであり、完全に断つべきである事柄を示すということによっていったい何をなすのか」と述べています。これについて中観派は「世俗を認めなければ、勝義を示すことが出来ない。示さなければ、了解することもできないし、勝義を了解せずに涅槃の城市へ赴くことはできない」これを説示するために『根本中論頌』では「言説に依処せずして、勝義は示し得ない。勝義を了解せずして、涅槃を得ることはない」と説かれています。

 「十二縁起」や「四諦」の「勝義無」は、修行の道において観じるべき所縁も、勝義の次元では成立しないということです。よって聖者が等引の三昧に入ったとき、これらはことごとく空性という在り方でしか見出せません。この点を確認した上で『般若心経』の経文では「智もなく(無智)」と説いています。この場合の「智」は、「道諦」の主体と位置づけられています。
修道の段階にある菩薩の心は、「等引智」と「後得智」です。菩薩は「等引智」で「所縁」の「空性」を「現量」に感じ、「後得智」で「所縁」の世俗の在り方を幻の如く観じ、その過程で煩悩などを順次断滅していきます。しかし所縁を感じる主体である「等引智」や「後得智」も勝義の次元では成立せず、空性として見いだせます。「煩悩障」と「所知障」を完全に断滅し終えた段階の智である「一切智智」も、勝義の次元では成立しません。これが「智もなく」という意味になります。
 「得るということもなく(無得)、得ないということもないのである」と説いています。「得る」のは「如来十力」や「如来四無畏」などの仏陀の徳性を菩薩行の果として獲得することと解釈できます。
「如来四無畏」とは、仏陀の心にだけ具わっている4つの揺るぎない完全な確信のことです。あらゆる物事を完全に了解しているという確信「正等覚無畏」、「煩悩障」や「所知障」を完全に断滅しているという確信「漏永尽無畏」、「煩悩障」や「所知障」について説くという確信「説障法無畏」、「煩悩障」などを断滅する道を説くという確信「説出離道無畏」の4つです。
勝義の次元においては、これらの仏徳をえることも、そのような形で成立しないということです。

5.8. 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 

遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃

(読み下し)
得る所なきをもっての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多によるが故に、心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなし。一切の顚倒夢想を遠離して涅槃を究竟せり。

(原典和訳)
この故に、ここにはいかなるものもないから、菩薩は般若波羅蜜多を拠り所として、心の妨げなく安住している。心の妨げがないので、恐れがなく、ないものをあると考えるような見方を超越していて、まったく開放された境地でいる。

(チベット和訳)
舎利子よ、それゆえ菩薩たちは、勝義として仏果を得るということがないので、般若波羅蜜を拠りどころとして住するのだ。そのとき、心には煩悩と所知の二障がなくなり、恐れもなくなり、そして顚倒から完全に離れ、ついには無住処涅槃の境地に達成するのだ。

(1)以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
 世俗の次元で考えるならば、菩薩行とは、仏陀の境地という結果を得るために、努力して実践すべきものである。しかし勝義の次元で吟味すれば、菩薩も、仏果も得るということも何一つ成立しません。仏陀の境地の目前にまで到達し、今生で仏果を得られる「最後有の菩薩」となり「金剛喩定(こんごうゆじょう)」という等引の三昧に入り、その中で仏陀の覚りを実現します。その時の心は完全に勝義の次元を対象とし、「仏陀の境地を得る」という認識は働いていないはずです。「勝義として仏果を得るということがない」ということだと考えられます。
 「最後有の菩薩」から仏陀の境地に移行するために「般若波羅蜜を拠り所として住する」とあります。簡潔ですが難しい内容です。『八千誦頌般若』第二章に須菩提尊者(しゅぼだいそんじゃ)は帝釈天のというに答える形で般若波羅蜜の業を実践する菩薩の心構えを説いています「菩薩摩訶薩は、空性に住することによって、般若波羅蜜に住すべきだ」と説いています。一切法の空性を説明し、道の果として想定され鵜実体視を戒め、仏陀の無住処涅槃にから「如来応供正等覚者は、どこに住するわけでもないし、別の場所に住さないわけでもない。その如くに我も住すべしと思い(中略)まさに如来の住の如くに住せば、住さないという相によって住しているのであり、この意識を般若波羅蜜へ直面させて留めることと離れていないのだ」と説いています。仏陀の無住処涅槃という在り方を見習い菩薩も同じ状態を実現するように修行する姿勢が求められています。そのことを「般若波羅蜜を拠り所として住する」の意味となります。
 このような修行を積み重ね、「五道」と「十地」を体験し最後有の菩薩となった時、限りなく仏陀に近い状態が達成されるはずです。菩薩が「金剛喩定」に入った後、その在り方は完全なものになります。

(2)心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃
 最後有の菩薩は等引と後得の区別をもたらす最も微細な煩悩の薫習、最後まで残っていた所知障を断滅します。これを「心には二障がなくなり」と説いています。心の障礙が無くなったので、いかなる恐れも存在する余地がありません。輪廻の苦に対する恐れが生じないのは当然として、解脱してもなお自利利他の両面で不十分だという恐れさえも無くなり、すべての面で完璧な確信が得られます。これを「恐れもなく」と説いています。大乗の修行者は、輪廻の苦に対する恐れ、解脱しても自利利他の両面で不十分なことに対する恐れを原動力とし、三宝に帰依します第一の恐れは清浄三地の菩薩になった段階で克服され、第二の恐れは、仏陀の境地に至ってはじめて解消されます。よっていかなる恐れも存在しない補特伽羅は、仏陀だけということになります。
 この時、あらゆる錯誤や迷乱は完全に死滅し、いかなる時も杖に現量で空性を了解している境地が達成され、その状態から離れて認識対象の顕現を生じることはなくなります。これが「顚倒から完全に離れ」という意味です。「顚倒」とは「浄・楽・常・我」の「四顚倒」のことです。これは最も荒い次元の誤解ですが、これから微細な所知障に至るまで、すべての要素が完全に滅されたとき、仏陀の境地が達成されます。
その結果、いかに高位の菩薩といえども不可能だった勝義と世俗を同時に直感的に了解することが、この瞬間に実現します。これが「無上正等覚」という最高の覚りで、一切智たる仏陀の境地、大乗の無学道に他なりません。この仏陀という完成された補特伽羅の在り方が、凛念いも解脱にも留まらない無住処涅槃です。それゆえに「涅槃の境地を達成する」と説いています。

5.9.三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提


(読み下し)
三世の諸仏は般若波羅蜜多によるが故に阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

(原典和訳)
過去・現在・未来の三世に出現するすべての仏は般若波羅蜜多を拠り所として無
上の完全なさとりを成就している。
(チベット和訳)
三世に普く存世なさっている一切の仏陀も、般若波羅蜜を拠り所として、無上正等覚を現証したのである

 現在過去未来の三世、そして十方の世界に無数の仏陀が出現し
それぞれ巧みな方便を巡らしてさまざまな教えを説いても、了解するべき究極の真理、勝義諦としての空性には何の変化もありません。

ここまでが観自在菩薩による答えの第一の部分で普通の所化に対して、空性と縁起を分析して解説し、隠れた義として五道を順に説いた内容です。


5.10.故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚故 説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 娑婆賀 般若心経


(読み下し)
故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり、これ大明咒なり、これ無上咒、これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実なり、虚しからざる故に。般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰 掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 娑婆賀 般若心経

(原典和訳)
それ故に知るべきである。般若波羅蜜多の大いなるマントラ、大いなる明
知のマントラ、この上ないマントラ、比類なきマントラは、すべての苦を
鎮めるものであり、偽りがないから、真実である。般若波羅蜜多の修行で
誦えるマントラは、次の通りである。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
         以上で般若波羅蜜多のマントラ、掲示し終わる。

(チベット和訳)
 (利根の所化は、これまで説いてきた資糧道から無学道までの修行の過程を、これから明かす密咒によって証得すべきだ)それゆえに、般若波羅蜜の密咒(真言)は、大いなる明智の密咒であり、無上の密咒であり、無比の密咒であり、一切の苦をよく鎮める密咒である。それは虚妄でないので、これぞ真理と知るべきだ。そのような般若波羅蜜の密咒を説き明かすならば、ダッドヤター ガテー ガテー パーラガテー パーラサムガテー ボーディスヴァーハー

漢訳文では「よく一切の苦を除き、真実なり、虚しからざる故に。般若波羅蜜多の咒を説く」       と「真実」は「不虚」となっています。原典では「偽りがないから真実である」となっています。
サンスクリットで「真実」は「サトヤ」(確実な・信頼の置ける・効き目のあるもの)です。サンスクリットで「不虚」=「アミティヤー」(矛盾していない・嘘偽りの無い)です。よって「般若波羅蜜多のマントラは、すべての苦を鎮めるものであり、偽りがないから、真実である。なぜなら矛盾無く、虚偽りのないものだから」ということになります。
般若波羅蜜多の修行において誦えるべき、かくも素晴らしいマントラはどのようなものか。
最後にそれを伝授しようとなり、「掲諦」のマントラが示されています。


 すぐれた利根の所化に対し、般若波羅蜜の真言だけで空性と縁起の心髄を伝え、隠れた義としては五道を一気に説こうとします。真言はサンスクリットのまま訳さず読誦する習慣になっていますが、注釈書などでは浅略と深秘の解釈をする場合が多いです。
 「タッドヤター」は「すなわち」、「ガテー」は「行け」という意味です。最初の「ガテー」は「資糧道」を行くこと、次の「ガテー」は「加行道」を行くこと、「パーラガテー」は「最勝(なる道)を行け」という意味で、聖者の「境界」である「見道」を行くことです。「パーラサムガテー」は「最勝(なる道)を正しく行け」という意味で、「無上正等覚」へ至るまで修道を行くことを意味しています。「ボーディスヴァーハー」は「(大)菩提よ、吉祥あれ」という意味で、無学道へ到達して留まることを意味しています。
 これらの真言は、優れた利根の所化を想定し、これまでの経文で説明してきた内容すべてを彼らが理解できると密意して説かれたものです。

大神咒はサンスクリット語で「マハー・マントラ」(偉大なる真言)です。大咒にすると「大きな咒」と勘違いされる可能性があるので「神」を入れているそうです。「神」は神様ではなく「きわめてすぐれた」という意味で使用されています。
大明咒は「マハー・ヴィディヤー・マントラ」(偉大なる明知のマントラ)です。無上咒は「アヌッタラ・マントラ」(この上ない真言)です。無等等咒は「アサマサマ・マントラ」(比類なき真言)になります。羅什訳の『大品般若経』にも「大神咒」にあたるものはありません。
空海は『般若心経秘鍵』で「大神咒」は聞いただけの事を理解する者(声聞)の真言、「大明咒」は縁起を知って独力でさとる者(縁覚)の真言、「無上咒」は智慧と慈悲を実践する者(大乗)の真言、「無等等咒」はすべての成仏を説く最奥義(秘蔵)の真言と解釈しています。

5.11. 釈尊による承認と会座の所化による歓喜と受持

(チベット和訳)
舎利弗よ、菩薩摩訶薩は、そのように甚深なる般若波羅蜜を学ぶべきである。(観自在菩薩が以上のように答えると)そのとき世尊が三昧から立って、観自在菩薩を大いに称えた。「善いかな、善いかな。善男子よ、かくの如くなり。かくの如くにして、汝が説いたように甚深なる般若波羅蜜を行ずるべきであり、(その功徳には)諸々の如来も随喜するであろう」
世尊がそうおときになったので、長老舎利弗尊者と観自在菩薩摩訶薩と、囲饒している一切の会衆、さらに天、人、阿修羅、乾闥婆など世間の衆生が随喜して、世尊のお言葉を大いに称賛したのである。

 法の円満の第三である釈尊によって承認がされます。「善いかな」以下は『般若心経』で釈尊自身の言葉が説かれている部分です。
 最後に『般若心経』全体の締めくくりとして法円の円満の第四である会座の所化による歓喜と受持が説かれています。


6.瞑想

 『般若心経』が瞑想の為の指南書的な役割をしていることがわかりました。瞑想を進めるために、何が必要なのかを知らなくてはなりません。仏教の修行はお釈迦さまの追体験であるとご案内いたしました。もう一度、お釈迦さまが何をおっしゃられたのかを確認します。

6.1.転法輪

お釈迦さまが初めて修行者に仏の教えを説いたことを「初転法輪」といいます。「初転法輪」は「苦」とはどのようなものかを追求することで、「四諦(四聖諦)」と「縁起」、「苦」の止滅の仕方の「八正道」が語られていました。「第二転法輪」の核心として『般若経』が扱われています。第二転法輪」では、「空」について語られています。「第三転法輪」は『般若経典』の解釈に関するもの、仏性の理論に関するものが語られています。「第三転法輪」は大乗の道に傾倒していますが、あらゆる存在が本来「空」であるというお釈迦さんの教えをうまく実践に取り込めない人たちにとっては有効とされています。実践を始めたばかりの人がお釈迦さんの真意を理解せず、内容を字面だけ受け取ると極端な虚無論に陥ることになります。お釈迦さんが説いた「空」の教えは虚無論ではなく、事物固有の存在性が空であることを述べたものであり、単なる事物の不在を意味するものではありません。
 在家の人々に説法をするときは、「布施・持戒・生天」をいう。「布施をして戒を守れば、来世は天に生まれ変わりますよ」という「次第説法」をする。最初から四諦八正や十二支縁起の話はしない。[佐々木:85]
 アショーカ王の碑文には、「現世において安楽ならしめ、また来世において天に到達せしめるため」とあり、アショーカ王が望んだのは生死輪廻からの解脱ではなく、あくまで来世で天界に往生するという「生天」だった[宮崎:85]
 アショーカ王が解脱とか悟りを一切語らないところに仏教の在家の関係が如実に表れているとされています。在家信者の基本的なスタンスは、仏教サンガをサポートすることで、その果報として現世的な幸せを求めたと考えられます。もともとインドには「福田思想」があり、良い人に布施をすれば、悪い人に布施をするよりもよいリターンがあると考えられていた。布施すれば来世ではあなたも僧侶になって悟れますよ、という方がきれいだけど、きれいごとだけではすまなくて、仏教はいろんな人の欲望を引き受ける存在でもあった。[佐々木:85]
 在家や異教徒には、仏教を受け入れやすくするために最初は生天などを説く。相手の反応や理解度合いを確かめながら、徐々に仏教独自の高度な教義に進んでいく。これが次第説法。「施論・戒論・生天論」はパッケージで伝授された。生天思想は、極楽往生と比類されるが、浄土教では、現世往生なのか、死後のプロセスの先にある往生なのか、往生即成仏なのかがある。[宮崎:86-87]
 極楽に往生するという概念は、生天思想から出たものであることは間違いない[佐々木:87]

6.2.四諦(四聖諦)

 チベットではお釈迦さまの教えを通して「智慧」を学ぶための順序が最初に師から示されます。
お釈迦さまの教えを知ることから始まります。目的があり、その方法として写経や瞑想があります。最初にお釈迦さまが初めて人々に教えを説いたお話は何かといえば、「苦」についてでした。
お説きになられた苦の内容を「四聖諦」と言います。「諦」は真理の事です。
 私たちは誰しも幸福を望みます。苦しみから逃れたいと思います。仏教では「苦」は原因と連鎖の結果生じると考えており、その原因と連鎖を断ち切るための教えが「四聖諦」ということになります。
 最初に、苦の真理を知り(苦諦)、ついで苦の根源である真理を知り(集諦)、苦を滅する可能性についての真理を知り(滅諦)、苦を滅する道についての真理(道諦)を知ります。


菩提樹の下で悟りを開いたことは、印象的である。風通しの良い丘の、生い茂った菩提樹の木陰というのは、太陽の照射が厳しいインドでは、快適で安楽な場所。苦行とは正反対の場所、肉体的な負荷を少なくして、ひたすらに精神集中して自分の心に向き合うのが仏教なんだということ。
 瞑想のレベルには8つ、もしくは9つの段階がある。[佐々木:69]
 アーラーラ・カーラーマ師で到達した「無所有処」は無色界の上から2番目の定、ウッダカ・ラーマプッタ師で到達した「悲想非悲想処」が無色界で最も高い段階の定。「ニダーナカター」にはないが、「滅尽定」は「滅受想定」なアドとも呼ばれ、物質も精神もなく、色界も無色界もない。太陽も月も存在せず、この世もあの世もない。これこそ額の終止だと者かは断じている。しかし、多くの伝承が、釈迦が悟りを開いたのは、最も超越的な境地と思われる「滅尽定」ではなく、色界最高位の第4禅定とされている。入滅に際して、釈迦は初禅に入定し、滅尽定に達し、また初禅に向かい、最後は四禅に至って入滅する。アーナンダは、滅尽定で入滅したと誤認する。アヌルッダが滅受想定に入ったと言い、初禅、四禅となる。
<無色界>
⑧悲想非悲想処 滅受想定
⑦無所有処
⑥識無辺処
⑤空無辺処
<色界>
④第四禅
③第三禅
②第二禅
①初禅
<欲界>
散心(さんしん):私たちの普通の心

最初に悟ったのは「十二支縁起」と言われている。悟りとは何かを考えれば、縁起の体得が重要である[佐々木:74]
十二支縁起の原型として「スッタニパータ」第四章の争闘篇(862‐877偈)は気になる。しかし、「縁起」がテーラワーダ仏教(上座説部仏教)において定式的に説かれたり、仏教の入門書で略説されたりしている「十二支縁起」とは断じ難い[宮崎:74]
 十二支縁起は釈迦の後の時代にできた縁起説の完成体。原初的な縁起説もいくつもある。最終的に十二支縁起にまとめられ、アビダルマという精緻な哲学体系に引き継がれた。
 釈迦が菩提樹の下で悟ったというエピソードが作り話でと仮定すると、釈迦の悟りの内容がはっきりしていないことの説明も理解できる。つまり、釈迦はある時ある場所でハッと何かを悟ったのではなく、自分の考えを対処療法的に話しているうちに、徐々に仏教世界を作り上げていったというかのうせいだってある。成道の話だけ真実だとは確信する根拠はない。[佐々木:76]
 前田恵学は、悟りには展開があったとして、菩提樹の下の「最初の現等覚」とウルヴェーラーでの初の雨安居(うあんご)の時に得た「無上の解脱」の二度の悟りについてのべているが、佐々木は多段階的に展開し、釈迦の中で徐々に体系化されたと考えているのですね。その痕跡こそ「スッタニパータ」第四章「アッタカヴァッガ」にある争闘篇ではないかと推しています。[宮崎:77-78]


<十二支縁起>
① 無明:二元の根本煩悩。生存本能。無知
② 行:生活行為。意志作用。業が生み出される
③ 識:認識作用
④ 名色:精神的な存在と物質的な存在。認識の対象となるもの
⑤ 六処:眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官
⑥ 触:六つの感覚器官が感受対象に触れること
⑦ 受:感受作用
⑧ 愛:渇愛。本能的な欲望
⑨ 取:執着
⑩ 有:生存
⑪ 生:誕生
⑫ 老死:老いて死ぬという耐え難い苦悩

<四諦八正道>
① 苦諦:この世は一切が苦であるという心理
② 集諦:苦の原因は煩悩であるという心理
③ 滅諦:煩悩を消滅させれば苦が消えるという心理
④ 道諦:煩悩を消滅させるための八つの道
八正道 ① 正見:正しいものの味方
② 正思惟:正しい考えを持つ
③ 正語:正しい言葉を語る
④ 正業:正しい行いをする
⑤ 正命:正しい生活をおくる
⑥ 正精進:正しい努力をする
⑦ 正念:正しい自覚を持つ
⑦ 正定:正しい瞑想をす

6.3.悟りの階梯

・第1階梯 預流(よる)
 聖者の流れ(見道位)に入ったもののことで、今生の終わった後に、欲界と天の間を最大7回まで生まれ変わり、涅槃に入るとされる。須陀洹(しゅだおん)とも呼ばれる
 預流果:三界の煩悩を断じ終えて、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちなくなった位
 預流向:四諦を観察し、欲界、色界、無色界の三界の煩悩を断じつつある間
・第2階梯 一来(いちらい)
 四諦を観察することを繰り返していく段階で、今生が終わった後、欲界の人と天の間を1回だけ往来して涅槃に入るとされる。斯陀含(しだごん)ともいわれる
 一来果:欲界の6種の煩悩を断じ終わった位
 一来向:欲界の煩悩を9種に分類したうち6種の煩悩を断じつつある間。
・第3階梯 不還(ふげん)
 今生が終わった後、欲界には還らず、色界へと登り、色界の生を終わると同時に、そこから涅槃に入るとされている。阿那含(あなごん)とも呼ばれる
 不還果:欲界の残り3種の煩悩を断じ終わった位
 不還向:一来果で断じきれなかった欲界の3種の煩悩を断じつつある間
・第4階梯 阿羅漢
 今生の終わりと同時に涅槃に入り、再び生まれ変わることはないとされる。応供(供養を受けるにふさわしい者)とも呼ばれる。
阿羅漢果:すべての煩悩を断じ終わって涅槃に入った位
阿羅漢向:不還果を得た聖者がすべての煩悩を断じつつある間

 三友健容氏は「阿羅漢果は、本来、長遠なものではなく、死体を体得したものにとっては、すぐ得られるものであったが、日常行動を通じて、四諦の理解のみでは決して欠点なき人格円満者とはなり得ないし、社会の非難を避けることはできない。そこで釈迦も阿羅漢果の記別を与えなくなった。ところが、それで阿羅漢果というゴールポストが次第に遠くなり、修行の途中でなくなる弟子が出てきた。その結果、まず不還果が説かれ、次いで一来果が説かれるようになったのである。一来・不還は本来命終者のための記別で、それが次第に修行段階を意味するようになった」という。さらに「一来果が成立したときには、極遅の鈍根者として極七返有 が説かれ、これがのちに預流果に併設されたと考えられる」としている。
 部派仏教や大乗仏教において悟りは、最初期の仏教よりもずっと遠く、それこそ無限遠に近い彼方に追いやられ、やがて悟りや成仏、涅槃や解脱以外の目標が設定されるに至った[宮崎:109-114]
 どこかに悟りを判定する客観的基準というものは存在しない。それが仏教の朗らかさの一面[佐々木:114]


6.4.三十七道

チベット仏教ではこの作業が解脱を得るための道と考え、三十七道の階梯が説かれました。
 三十七道は「四聖諦」をいかに毎日の精神生活の中に適用すればいいのか、またどのように考えればいいのかということが説かれています。
 この三十七道は2つの要素に分かれています。
心を一点に集中する能力を養うシャマタ(止)の瞑想と対象に対する鋭い洞察力を養うヴィパシュヤナ―(観)の瞑想です。
Ⅰ.心を一点に集中する能力を養うシャマタ(止)の瞑想
(1) 心に念じるべき4つの基本(四念住)
以下を実践し深まると次第に善行をしたいと情熱が高まり、次の段階に進むことになります。
①  身体について念じるという基本
②  感覚について念じるという基本
③  心について念じるという基本
④  現象について念じるという基本

(2)四つの正しい努力(四正断)
 精神的な求道者は、何が道義に適った行いなのか、何を心に念じるべきなのかということに関して、確固たる土台を築くことができれば心を一点に集中させる能力を高めることができます。これにより並大抵の集中力では保てない、心的能力を手に入れることになります。是には十分な修練と並外れた集中力を必要とします。
⑤  今、現に起こっている悪を取り除こうと勤めること(断断)
⑥  将来、悪が生じないように勤めること(修断)
⑦  すでに生じている善を増やし、過去の善行を増大させること(随護断)
⑧  将来の善や善行のために、それを得るための基礎を固めること(律儀断)

(3)四つの超自然的な妙技(四神足)
⑨  超自然的な願望の妙技(欲神足)
⑩  超自然的な精神の妙技(勤神足)
⑪  超自然的な集中の妙技(心神足)
⑫  超自然的な探求の妙技(観神足)

以上の①~⑫は瞑想中に対象に集中させる能力を高めることになる。次に心の善い性質を増大させる修行の段階に進みます。

Ⅱ.対象に対する鋭い洞察力を養うヴィパシュヤナ―(観)の瞑想

(4)五つの能力(五根)
⑬  信仰の能力(信根)
⑭  精進の能力(精進根)
⑮  憶念の能力(念根)
⑯  禅定の能力(定根)
⑰  智慧ないし洞察力の能力(慧根)

以上が習熟し高いレベルに達すると次の五力となる

(5)五つの力(五力)
これらの力を高めると、お釈迦さまの道の核心である「八つの聖なる道」へと自然に進むことになる
⑱  信仰の力(信力)
⑲  精進の力(精進力)
⑳  憶念の力(念力)
㉑  禅定の力(定力)
㉒ 智慧ないし洞察力の力(慧力)

(6)八つの聖なる道(八正道)
㉓ 正しい見解(正見)
㉔ 正しい思考(正思惟)
㉕ 正しい言葉(正語)
㉖ 正しい行為(正業)
㉗ 正しい生活(正命)
㉘ 正しい努力(正精進)
㉙ 正しい憶念(正念)
㉚ 正しい禅定(正定)

(7)悟りを得るために役立つ七つの部門(七覚支しちかくし)
㉛ 正しい憶念を持つという悟りの要因(念覚支)
㉜ 正しい教えを望むという悟りの要因(択法覚支)
㉝ 正しい精進を行うという悟りの要因(精進覚支)
㉞ 正しい法を喜ぶという悟りの要因(善覚支)
㉟ 正しい心身の安穏を保つという悟りの要因(軽安覚支)
㊱ 正しい禅定を行うという悟りの要因(定覚支)
㊲ 正しい心の平等性を保つという悟りの要因(捨覚支)

これらの三十七の道は、四聖諦の実践的側面であり、パーリー仏教の実践論の核心だとダライ・ラマ法王は述べられています。これが仏教の基礎となります。


6.3.伝統的な瞑想

インドの伝統的な瞑想にシャマタ(止)とヴィパシュヤナー(観)があります。シャマタ・ヴィパシュヤナー(止観)はオーソドックスな瞑想法であり、タイやミャンマーでは重視されています。
シャマタ(止)は「心を静める」瞑想で、背筋を伸ばして、肩の力を抜き、深い呼吸をします。これ以外特別なことはしません。ヴィパシュヤナー(観)は「観察」の瞑想で、心を使い真の姿を見ることを目的としています。仏陀の示した法、仏法を観察することを「観法」と言います。


6.3.深遠な般若波羅蜜多の修行とは
 『般若心経』の本文の最後に「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経」とあります。ここまでが観自在菩薩の台詞となります。
羅什訳では「摩訶般若波羅蜜多大明咒経」、玄奘訳では「般若波羅蜜多心経」となっています。「フリダヤ」を「心」と訳し、この「心」についての解釈は現在までも様々に現れます。
その一つが



一階の幼児レベルのフロアは自己が確立されていないフロアです。二階の世間レベルのフロアで自己が形成されます。一方それは自己への執着であり、そこからあらゆる苦しみが生まれる
三階の舎利子レベルのフロアは世間レベルを超えたフロア。苦しむ自己から開放されるには、自己そのものが無いというごく単純な、しかし深遠な事実を知ればよい。自己は五蘊というダルマが仮に集まったものに過ぎないと観察し、世間のレベルを超え
て無我の境地に達する。
 
   本来は智慧第一と称えられた舎利子の三階のフロアは釈尊が開示した仏教のフロア。
  いつしか、諸法をどう分析し、どう分類するかのみに専念しはじめ、アビダルマの棲家と
  なってしまった。
            ↓
分析・分類自体は意義深いものですが、問題はダルマを実在視してしまったこと
               ↓
釈尊の教えから遠ざかったアビダルマ論師たちの見解を粉砕するためにより上位の設定が
必要となりました。

   しかしこれは、釈尊の教えに屋上屋を重ねると言うものではなく、釈尊の真意を追求し
必然的に見出したもの

  般若心経ではアビダルマ論師役を演じるのは舎利子となり、大乗レベルの観自在菩薩が階下
の小乗レベルのフロアの舎利子に伝授する。= 般若心経の中心場面
     


   *『五蘊皆空』の更なる理解へ
    五蘊皆空 → 五蘊を否定することに重点があるように感じる。
      ↓
    しかし 原典では「五蘊あり、しかもそれは自性空である」
                 ↓
           空観の洞察に先立って、五蘊の観察が必要不可欠
                        ↓
                      無我説そのもの = 高度な瞑想の結果
                        ↓
    無我説とは「自己は存在する」という日常生活の見方を否定しているものなのか?
    しかし、私たちは「自己は存在しない」という前提では日常生活は営めない。                
                   ↓
          では、無我説は何を求めているのだろうか?
                 ↓
般若心経の最後には答えがでる。
 
 ・般若心経は観自在菩薩が舎利子に伝授をする構成 → 観自在菩薩と舎利子は対等ではない
 ・「五蘊」について考え始めるのは自己形成のできた成人のレベル
・「五蘊あり」という洞察は舎利子のレベル
 ・「全ては空」という洞察は観自在菩薩のレベル
 ・観自在菩薩と舎利子の対話である般若心経は釈尊の瞑想によるので、観自在菩薩より高いレベルの話
                    ↓
     『般若心経』の構成
 1階:幼児レベルのフロア 出発点
              

  2階:世間レベルのフロア 世間における自己形成
   

  3階:舎利子レベルのフロア 無我を知る。小乗レベル
           

 4階:観自在菩薩レベルのフロア 「空」を観る。大乗レベル
          
    屋上:仏陀のいるところ 人知を超えたレベル
        

     舎利子は釈尊十大弟子の筆頭の出家者 → 世間を放れる
                ↓
       舎利子のレベルの下は世間レベル(大人) → 自己形成されている
                ↓
       ここにいたるまでの過程として幼児レベルの世界がある

     般若心経を様々な観点から解釈し、処世の教訓を引き出すことはできないことではありません。多くの般若心経の解説書にはそうした傾向が多く見られますが、それはどれも結局、世間レベルの話です。




     <空と無の違い>
      インド仏教徒は自己を観察する瞑想の極みにおいて「空」を発見した。

       空(シューニャ):意味は「からっぽ」
       類似の言葉に「無」がある。
               ↓
           厳密には違う。

      水の入っていない容器がある。 = 容器は空(から)
                     ≠ 容器は無(む)

      無いのは水であり、容器は空である。

      無の存在場所が空 ← 無は空という容器で無であることが存在する。

      シューニャター = 空なること
      シューニャ   = 空なるもの

      空は無の場所
         ↓
       シャボン玉のよう
            ↓
         サンスクリットの名詞は動詞から派生する。
               ↓
           シューニャ(空なるもの)は「膨らむ」という動詞から派生した
           「膨らんだ状態」が原義

      「五蘊あり、しかもそれらが自性空」
                    ↓
                   スヴァバーヴァ = それ自体(物それ自体の本性)

      サンスクリットでは「○○シューニャ(空)」 → 「○○を欠いている」
                     ↓
             自性空 = それ自体を欠いている
                   ↓
               五蘊自体が無い、色・受・想・行・識
                   ↓
               しかし単に無いのではない
              「五蘊あり」 = 五蘊だけはある。自己は存在しない
                                  ↓
                                  無我
                       ↓
          このレベルを超えた所に「それらは自性空である」といえるところが有る
        世間を超えたレベルで自己を観察し、まず「色がある」と見極めた上で更にその
上のレベルで観察し「その色は無い」と見極める

                    ↓
        これは、ただ単に存在するのかどうか問うてそんなものは存在しないというも
のではない。

         (1)五蘊あり(色・受・想・行・識)
                 ↓
         (2)五蘊だけが存在する
                 ↓
         (3)自己は存在しない
                 ↓
         (4)無我である
                 ↓
         (5)それらは自性空である


    <レベルの差>
     般若心経の内容は観自在菩薩が階下の舎利子に向かって語っているもの
               ↓       ↓
    空性が観察される四階のフロア    五蘊が観察され、無我を知る三階のフロア
                   ↓
     いずれも世間レベルではない場所 = 世間レベルの教訓の話ではない


1階:幼児レベルのフロア
   2階:世間レベルのフロア
   3階:舎利子レベルのフロア
   4階:観自在菩薩レベルのフロア
   屋上:仏陀のいるところ

           ↓
       幼児から自己を形成し「自己とは何か」という問いに始まり、自己を知る修行のプロセスを仮に四層の建物に喩えたもの
                 ↓
               私たち自身

       般若波羅蜜多の修行とは般若(智慧)の完成を目指すものではなく
        般若そのものに立脚した修行
             ↓
       よって、自分自身を離れてどこかに般若(智慧)があるというわけではない。
「般若に立脚する」とは自分自身の内なる般若に目覚めよということ

          自己は仮に五蘊に和合したものにすぎない
                 ↓
           自分なるものはどこにもない = 無我

       二階の世間レベルの「自己形成」や「自己の確立」は大事な徳目
                  ↓
        しかし、三階のレベルから見れば自己の執着に他ならない
                  ↓
        「自己の確立」などはあらゆる苦悩の原因になっている
         これは三階のレベルに行き始めてわかること
                  ↓
         三階から見て二階を否定することではなく単に卒業したということ
         階上は階下なくして存在しないどの階にもそれぞれ意義がある

     <空観>
      世間レベルを超えた観点とはどのようなものか
                  ↓
      世間レベルの自分を否定するものではなく、世間レベルにおける自分を冷静に観察
できるようになること
                  ↓
      様々な枠付けを自分でしていて実に窮屈なものと感じるが、それがなければ自分は
存在しないことがわかる
                  ↓
                無我の了解
                  ↓
             ここではまだ枠付けがある。
                  ↓
     膨らんだシャボン玉がはじけて消えてしまうようにあらゆる枠付けが消えてしまい
開放された広がりが出現する。
                  ↓
           空の本質的な意味「開放された広がり」
                  ↓
      こうした「空」を「観る」ことは、観る対象と観る自分とがもはや別ではなく、自
分自身が空に「成る」ことを意味する。
                   ↓
             完全に開放された境地に至る

      この後、般若心経本文は第二、第三の伝授にはいる。
      第三の伝授として、空の中には何も無いとして列挙している。
                  ↓
     無いと列挙されたものは四階の観自在菩薩のフロアにおいてのことなので、階下には
存在するものを全て列挙している

      階下なくして階上は無いから、階上にあって階下を否定することなどできない。
     『人は無我の境地に至っても、その人の「我」が消失したわけではなく、依然として
日常生活を営み続ける』

      四層の建物というのは人間の精神の向上の過程、修行のプロセスを喩えたもの
                   ↓
             自己の本質を見極める高次の観点を得る
                   ↓
   観自在菩薩は「自己を自在に観る」最高の観点に至った。=階下を否定したものではない

      <自己の正体を見極めて無我へ>
      五蘊
        『色』:ルーパ:姿形があるもの → 自分の体
                 ↓
            般若心経=自己を問う瞑想
                    ↓
                 自己を構成する主要素(蘊)の1つとして観察される


      『受』:ヴェーダナー:ある種の刺激を感覚として「知らしめる作用」 → 感覚
      『想』:サンジュニャー:ジュニャー(知る)にサン(集合)がつき、全体的に
知るという意味。
      『識』:ヴィジュニャーナ:ジュニャー(知る)にヴィ(分けて知る)がつき、
分別して知る。
      『行』:原意は何らかのものをまとめて作り出すこと。色々なイメージを統合して
集めて意識を生み出す作用。
         
         色・受・想・行・識はどれ1つを欠いても自分は自分でなくなってしまう。

         「知を主体とした形成作用」=色・受・想・行・識
                      ↓
                自己の正体 = まさに形成するものされるもの
                      ↓
          自己はどのように形成されているのか、どのように形成されてきたのかと、自己自身を観察し、自己は仮に「五蘊」が和合したものに過ぎないと突き止め、「五蘊あり」と見極める
                     ↓
                   無我を了解
                    ↓
          「自己形成」というプロセスが先行し、無我はそのプロセスに基づいた上位のレベルの境地
                     ↓
          プロセスは幼児レベル(何の汚れもない純粋なレベル)に戻ることでも、自己形成を否定することでもない。

          
<2>『舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減』

(読み下し)舎利子よ、この諸法は空相なり。不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不滅なり。

(原典和訳)シャーリプトラよ。ここにおいて、存在するものはすべて空性を特徴としていて、
生じたものでなく、滅したというものでなく、汚れたものでなく、汚れを離れた
ものでもなく、足りなくなることもなく、満たされることもない。

     ~第二の伝授~

   
(2)是諸法
        漢訳の般若心経では 是諸法 = 五蘊
        原典では「存在するもの全て」 → 必ずしも五蘊だけではない。
                   ↓
          第三伝授において無いと列挙されている全ての項目
                   ↓
               色・受・想・行・識
               眼・耳・鼻・舌・身・意
               色・声・香・味・触・法
               眼界 ~ 意識界
               無明 ~ 老死
               無明の尽 ~ 老死の尽
               苦・集・滅・道・智・得
                    ↓
                これら全てがダルマ
                では、保持者は?
                   ↓
               体は自分の所有物、体は自分のダルマ
               五蘊というダルマの保持者は自己自身
 五蘊とは自己という経験主体を構成する主な五つの要素
                ↓
              五蘊は苦の原因ではなく、苦そのものと言われている。

      <自己を観察する瞑想のプロセス>
             五蘊を別にして自分はどこにも無い
                   ↓
        しかし自分は五蘊ではない、また五蘊は自分ではない
                   ↓
自分はいったいどこにあるのか
  ↓
           探求していくと自分はいなくなってしまった
    ↓
自分自身の存在を否定して日常生活を営むことはできない。
世間レベルでは自分はまぎれもなく存在する

体は自分のダルマである = 体というダルマは自分という場所にあってこそのダルマ
                    ↓
        いかなる場所を想定せず、ダルマだけがあるということは考えられない

     しかし、般若心経では観自在菩薩がまず「五蘊あり」と見極めた。=五蘊というダルマのみある。自分という場所はない

  自分は無いという無我説は、単に自分はあるかないかを問うて、
思弁的に無いといえるというものではない
       ↓
      実践に対して理論的ということ
        
      つまり、無我説は
      世間のレベルを踏まえた上で、それを超えた観点に導こうとする瞑想の指南

      <南伝大蔵経>
       ダルマに関する根本的記述
       仏典を総称して大蔵経という
       蔵 = 仏典を集成したもの 1)経蔵(経典類)
2)律蔵(戒律類) ⇒ 三蔵
3)論蔵(論書類)    ↓
                           中国では仏典の翻訳に従事する僧
            ↓
   インドでは様々な部派が三蔵を有していた
  + 4)雑蔵咒蔵  ⇒ 四蔵
  + 5)菩薩蔵   ⇒ 五蔵
      サンスクリットで現存しているのはわずか、漢訳・チベット訳がある。
     現在スリランカ・タイ・ミャンマーなどの東南アジアで、大乗仏教成立以前に編纂さ
れたものをほぼ完全な形で残している。
                 ↓
      サンスクリットに似たパーリ語で伝えられているので、パーリ聖典とよばれる
  ↓
         パーリ聖典の律蔵は
1) 僧尼の日常生活における禁戒を定めた「経分別」
2) 教団の運営方法や行事をまとめた  「犍度部」
3) 後世付加された    「付随」
      
     律蔵大品の最初の大犍度に釈尊の成道に始まり初転法輪から舎利子の入門に至る
までの出来事が収められている。
        ↓
後世の仏典に影響 ⇒ 般若心経を知る上でも必要

       釈尊の成道を伝える冒頭の「成道篇」には
       『時に世尊はこの意味を知り、次のような感興の詩を唱えた。
          熱心に瞑想に励む修行者にまさに諸法が顕現するとき、彼の一切の疑惑は消滅する。原因ある諸法を知るがゆえに(中略)
時に世尊はこの意味を知り、次のような感興の詩を唱えた。
          熱心に瞑想に励む修行者にまさに諸法が顕現するとき、彼の一切の疑惑は消滅する。諸縁の滅尽を知るがゆえに(中略)
時に世尊はこの意味を知り、次のような感興の詩を唱えた。
          熱心に瞑想に励む修行者にまさに諸法が顕現するとき、彼は魔軍を破って屹立する。日輪が虚空を照らすように』

釈尊の成道において、熱心に瞑想しに励む修行者たる釈尊の中に顕現したもの
                       ↓
                       諸法

       律蔵大品では 成道 = 十二縁起 として示されている
              初転法輪= 五蘊  として示されている
                  ↓
  重複を避けるため

  十二縁起 = 無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・愁・悲・苦・憂・悩

      五蘊とは自己という経験主体を構成する五つの要素のこと
     十二縁起とは様々な構成要素がどのような順序で、またどのような仕組みで老死など
の苦をもたらすかということを系列化したもの。

        律蔵大品の公式見解は諸法が顕現するという一点にある。
     
それを成道の場面では十二縁起として示し、初転法輪では五蘊(並びに四諦八正道)
としてしめしている

   釈尊の瞑想において顕現した諸法は、瞑想の中で滅尽されるべきものであったということ
    般若心経の中でも「五蘊は皆空」とその存在が否定されている。
諸法は瞑想の中において初めて顕現するもので、最終的には否定されなければならない


   (3)空相
       空相 = 空という特徴 
空(くう)の相(すがた)と訳すのは誤り
               ↓
            「外に現れた形によって知られる内面の姿」(辞書)
      原語の「ラクシャナ」は「AをA以外から区別するための目」 = 特徴 となる

          「空を特徴としている諸法は・・・」と訳すのが正解  空 = 諸法
          「諸法の空想は・・・」と訳すのは間違い       空 ≠ 諸法

                   ↓
          「五蘊は皆空である」、「色は空である」と同様のことをここでは諸法についても言っている。

          諸法は空である。諸法は空を特徴としている。

『あなたが考えているダルマは釈尊の真意からは遠ざかってしまっている。ダルマの特徴と
は何か教えてあげよう。それは「空」なのだ』
ということを観自在菩薩が舎利子に伝授する経典
                   ↓
       『般若心経』
      
「空を特徴としている諸法」は言葉を換えると
      「観自在菩薩のいる四階のフロアで観察した諸法」

   (4)不生不滅 不垢不浄 不増不減
     三階レベルの諸法は「空を特徴としているのではない」=「不生にして不滅、不垢に
して不浄、不増にして不
滅。」ではない。
      
三階レベルでは「生」「滅」「垢」「浄」「増」「減」と観察される
四階レベルでは「不生」「不滅」「不垢」「不浄」「不増」「不減」と観察される。

                  ↓
       「不生不滅」 = 「生じもせず滅しもせず常住であること」

仏教用語辞典ではこのように使われる
しかし般若心経ではこのようには使わない。

「初めも終わりもないということで、永久とか永遠をさしている」
松原泰道著「般若心経入門」

アビダルマ論師の見解とまったく同様。でたらめな訳

   観自在菩薩の観点は
「永遠なものは無い、そもそもいかなるものもないので、生ずるとか滅するということもない」
     ということ

   世間レベルの観点は
   私たちの体(色蘊)は不生でもなく不滅でもなく、この世に生まれて、やがて生滅します。
   私たちの体は汚れますし、洗えば清らかになります。体重は増えますし、減ります。
   私たちの感覚(受蘊)も、私たちが抱くイメージ(想蘊)も、私たちが持っている潜在意識
(行蘊)も私たちが下す様々な判断(識蘊)も同じで、生じ、滅し、増え、減ります
日常レベルにおいてはごく当然のこと
                ↓
世間のレベルにおいてこれらは否定することはできない

   舎利子レベルの観点は
   アビダルマ論師たちはダルマを永遠不滅の実在と考えたので、諸法が様々に変化するのは「ダルマの組み合わせにすぎない」と考える。

                   ↓
これらのあらゆる枠付けが消滅して、開放的な広がりが得られる境地がある

   (5)省略された「ここ」
    般若心経の前の段と本段の原典では、舎利子に語りかける際に
       「ここにおいてシャーリープトラよ」とある
          ↓
         「イハ」    岩波文庫本では「この世においては」と訳している。
ではあの世は?ということになる。
                ↓
          単純に「ここ」=観自在菩薩のいる四階のフロア

      一度目の呼びかけの段(前の段)で「色即是空」が舎利子に伝授された
      二度目の呼びかけの段(本段)で「諸法空相」が舎利子に伝授された

   「ここ」は、般若心経が解き明かす高次の「観点」そのものを示す重要な言葉だったといえる。


<3> 『是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界
    無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽 無苦集滅道 無智 亦無得』

(読み下し)この故に空の中には色はなく、受想行識なく、眼耳鼻舌身意なく、色声香味触法なく眼界なく、ないし意識界なく、無明なく、また無明の尽くることなく、ないし老死なく、また老死尽くることなく、苦集滅道なく、智なく、また得もなし

(原典和訳)この故に、シャーリプトラよ、空性においては、色なく、受なく、想なく、行なく、
識もない。眼耳鼻舌身意もない。色声香味触法もない。眼界から意識界に至まで
悉くない。明知なく、無明なく、明知の滅なく、無明の滅もない。老死なく、老
死の滅もない。苦・集・滅・道もない。知ることもなく、得ることもない。


   舎利子への第三の伝授

(1) 是故空中 無色無受想行識
    この段の趣旨は「空の中には何もない」ということ
              ↓では何がないのか
          ないものが列挙されている。

  「自己という経験主体を構成する要素として、瞑想の中に顕現すし存在するもの」と
しての諸法のダルマ 
                  ↓
四階の大乗レベルのフロアにおいて観るならいかなるダルマもない

二階の世間レベルを超えて三階レベルのフロアにおいてはダルマは観察される
                  ↓
         アビダルマ論師たちが徹底的に分類したもの
                  ↓
         もとを正せば、釈尊の成道において顕現した諸法
                   ↓
   四階のフロアの観自在菩薩は階下否定しているのではなく、一つ一つ卒業して四階
に至った。階下なくして階上はない

       この上位のフロアにおいて、いかなるダルマもない。そしてどのようなダルマが
ないかということを示そうとしている。

    ○ダルマの分類法
    アビダルマ、説一切有部のダルマの分類法は「五位七十五法」の体系にまとめられる
                        ↓
   「自分とは何か」という問いに始まる瞑想のプロセスの中で観察されたものであり、自
己は様々なダルマが仮に和合したものにすぎず、自己なるものはどこにもないと見極め
るレベルに達して可能なことである。そのダルマを分析して数え上げれば五つの大
きな部門に分けられ、項目は全部で七十五種に及ぶと言うもの
     
○般若心経のダルマ分類法
     五蘊・十二処・十八界
         ↓
        三科
       五蘊:自分という経験主体を構成する基幹的な要素
        ↓
       般若心経では「色・受・想・行・識」はないと五蘊を否定している。
 

  (2) 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法

       五蘊を細分化したものが十二処・十八界なので、蘊=処=界 と考えてもよい
        物を五分類する時は蘊、十二分類するときは処、十八に分類するときは界
        とするのは古来の慣例

       十二処の分類は五蘊の「受(感覚・感受作用)」が基本
       感覚(六根)で感知(六境)して認識(六識)する
「受」がまず六つに分類される
(1) 視覚
(2) 聴覚
(3) 嗅覚
(4) 味覚
(5) 触覚
(6) 心作用

        この六つは
眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と呼ばれる。
「根」は感受する作用・能力・機能と言う意味の「インドリア」の訳
       現代語に訳すなら「根」=「センサー」(センサーは感知するだけで判断しない)

        これらの六つの感覚装置がとらえる対象は
        かたち・音・におい・味・感触あるもの・心的対象 に相当し
        以下の 
色・声・香・味・触・法の六境と呼ばれる
         「境」とは領域・対象範囲という意味の「ヴィシャヤ」の訳
         六境の「法」は単なる心の働きが向かうところということ

         六根 + 六境 = 十二処
      十二処
(1)眼処 (2)耳処 (3)鼻処 (4)舌処 (5)身処 (6)意処
(7)色処 (8)声処 (9)香処 (10)味処 (11)触処 (12)法処


 (3) 無眼界乃至無意識界
        十八界 = 十二処 + 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識
        六根(感覚装置)が働き六境(感覚対象)を感知、六識(認識)がある

        十八界
       (1)眼界(2)耳界(3)鼻界(4)舌界(5)身界(6)意界(7)色界
(8)声界(9)香界(10)味界(11)触界(12)法界(13)眼識界
(14)耳識界(15)鼻識界(16)舌識界(17)身識界(18)意識界

         「乃至」=中間の項目を省略するということ

      以上より
       五蘊・十二処・十八界と総合的に分類された全てのダルマがない と伝授された。

      (4)無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽
       ○十二縁起のダルマ
        十二縁起 = 釈尊の成道において初めて顕現し、順逆に観察された「諸法」そのものにほかならないもの

        これも「乃至」とありわかりにくいですが
       「無明に始まって老死に至る十二の因果の系列」と「無明の滅尽に始まった老死
の滅尽に至る十二の因果系列」に関して各項目のダルマが生じることも滅する
こともないと言っている。
          ↓
これは釈尊の成道、十二縁起を否定しているように思われる 
       ↓
殆どの解説書は
「これは小乗の教えだから『般若心経』は大乗の立場でこれを否定している」、
「空の立場では何もないということだから、たとえ仏教の基本教理と言えども
 どんなものにもこだわってはいけない」という事と書かれている
           ↓
          どんな立場であろうと開祖の教えを否定し、開祖の教えにこだわってはい
けないなどという宗教がどこにあるだろうか

         十二縁起
         (1)無明(2)行(3)識(4)名色(5)六処(6)触(7)受
(8)愛(9)取(10)有(11)生(12)老死

最初の無明を縁起として、行・識・・・・と生じてゆき、最後に老死が生じる
                     ↓
               この観察が縁起の順観
          無明の滅尽を縁として、行の滅尽・識の滅尽・・・と次々と滅してゆき、最後に老死が滅する
                     ↓
 この観察が縁起の逆観
問題は十二縁起という教理ではなく、瞑想のプロセスとして順序づけられた
各項目のダルマをどうみるか?
                     ↓
十二縁起を否定しているのではなく十二縁起の順観・逆観において観察されるダルマの実在性を否定している。
これはダルマがないことを見極める観点において伝授されているものである。
釈尊の成道を否定しているものではない。


無明が原因となり最終的に老死が生じる。無明の滅尽が原因となり、最終的に老死の滅尽がある。

    常識的に考えて当たり前のことではない。

無明は二階以下のレベル 
1、何をさして無明か?
2、無明は何を原因として生じ、滅するのか。

無明(アヴィディヤー) = 無知 ← 何をさしているのか?
       ↓
日常生活の「知」ではなく、三階の舎利子レベルの知
     無明とは 
「三階レベルの知の欠如」 = 一階レベル、二階レベルのあり方そのものが無明
                        ↓
        この見解なら、無明の本質をあれこれと模索する哲学的論議などは全て無用となる

       自分という存在をダルマの名のもとに分析・分類すること並びにダルマの因果関
係を観察することは三階の舎利子レベルのなせるわざ
                       ↓
  無明の中にあっては無明を自覚することはできない

       二階のフロア(無明のフロア)の出来事の観察は、高次の観点(三階以上)に至れば、無明を原因として老死に至る因果関係が厳然とあるということを「知る」

「熱心に瞑想に励む修行者に まさに諸法が顕現するとき 彼の一切の疑惑は消滅
する 原因ある法を知るがゆえに」
                          『律蔵大品 成道編』

   『十二縁起という瞑想のプロセス』
<第一番目> 無明(アヴィドゥーヤ)
一階、二階のレベル

<第二番目> 行(サンスカーラ) → 原意は「作り出す」
幼児から世間レベルに行く過程で重要かつ必要なこと =自己形成=行
五蘊の中の行と同様、自我の芽生え
<第三番目> 識(ヴィジュニャーナ)
自己を形成するという事は、自己と他者の区別をわきまえ、言葉を用いて様々な判断を下すことができるようになること

識 = 五蘊の中の識と同様

<第四番目> 名色(ナーマ・ルーパ)
五蘊そのものとほぼ同じ意味

<第五番目> 六処(シャド・アーヤタナ)
十二処の前半の眼耳鼻舌身意(感覚能力装置)

<第六番目> 触(スパルシャ)
対象を感知する前に対象と接触がある

<第七番目> 受(ヴェーダナー)
接触により様々な感覚・感情が生まれる = 五蘊の中の受蘊同様

<第八番目> 愛(トゥリシュナー)→原意は「渇き」⇒喉が渇いて水を飲まずにいられない
欲望が生まれ、我が物にしたいという欲望が起きる

<第九番目> 取(ウパーダーナ)
欲望の次にくるのが執着。これのみが正しいとか、我が物を離すまいとする

<第十番目> 有(バーヴァ)
存在すること、起きること

よい意味でも悪い意味でも個人的自我について確立すること

<第十一番目> 生(ジャーティ)
誕生うまれること。

<第十二番目> 老死(ジャラー・マラナ)
老いること死ぬこと

大切なのは十二縁起をどう解釈し、検証するかではなく、わが身のこととして観察できるかということ

 その観点に至るプロセスの瞑想をひたすら実践すること

これらのことが知識としての理解だけなら依然として二階のフロアのレベル

十二の縁起の瞑想において重要なのは生起の過程より生起の過程に基づく滅尽の過程
この順逆の過程を観察する瞑想は、無明の滅尽を因とし最終的に老死の滅尽を目指すもの。
平河彰博士曰く
「無明は見出されることによって消滅する。無明が滅すれば、それを縁として成り立つ行も滅する。行が滅すればそれを縁として成り立っている識も滅する。(中略)全ての苦の生存が滅する」

では、無明が消失したものに本当に老死がなくなるのか?

釈尊が「無明」を見出した

老い、クシナガラの地で入滅 = 身をもって示す

老死の滅尽は不老不死を目指すものではない。

問題は「無明」の滅尽を見極める観点 ⇔ 対極は「明」

瞑想のプロセスを経て「これが無明である」と見極めた時が二階のフロアを
卒業するとき

「無明は見出すことにより消滅する」ならば三階に行けば二階は消滅するのか

二階があってこその三階
  ↓
明のフロア = 無明の何たるかを知ることができるフロア

何がどのように展開するかを如実に観察できるフロア

老死も超克されている

では、「老死」の何が問題か? = 「老死」は「苦」であるということ

老死にいたる因果系列の全てのダルマが苦である。
思いのままにならない = 不如意

律蔵大品では十二縁起の項目全てが「苦蘊」とされている。

    つまり、真の問題は「苦」の滅。

アビダルマ論士のようにダルマを実在視してしまう限り真の問題は解決しない

「そのようないかなるダルマもない。」「さらなる高次のレベルがある。」と見極め、その観点でダルマの存在を否定することは、釈尊の成道、教理をひていしたということではなく、真意を明らかにしようとしたことなのです。


    (4)無苦集滅道
      苦諦・集諦・滅諦・道諦 = 四諦 
      諦(サトヤ) = 真理
      四諦 = 四聖諦 :釈尊が鹿野苑で初転法輪において説いたとされる。
          ↓
苦諦:思い通りにならない=苦 という真理
集諦:苦をもたらす原因は欲望を引き起こす煩悩であるという真理
滅諦:欲望の無くなった状態が苦滅の理想の境地(涅槃)であるという真理
道諦:理想の境地にいたる八つの修行方法(八正道)によらなければならな
いという真理            

集諦が原因で苦諦がおこる
道諦が原因で滅諦になる

律蔵大品『五比丘編』によると
五人の比丘に「中道」を説く
        ↓
愛欲にふけることと苦行で身をさいなむことの両極端を離れて中道を実践しなさいと説く
     ↓
    八正道(1)正見:正しい見解
   (2)正思:正しい思惟
       (3)正語:正しい言葉
       (4)正業:正しい行い
       (5)正命:正しい生活
       (6)正精進:正しい努力
       (7)正念:正しい心の持ち方
       (8)正定:正しい精神統一

四諦の道諦 = 八正道の実践
諦=あきらめると読みますが、その意味は違います。

それでは、無苦集滅道は「真理は無い」と言っているのか?

この段で問題にしているのは、諸種のダルマであり、いかなる「真理」ではない

    真理はないという経典はありえない

苦諦は苦聖諦の略
聖諦:パーリー語では「アリヤ・サッチャ」

現代の学者は「聖なる真理」と訳す
宮坂宥洪「確実なもの」と訳す

苦聖諦=「苦であるという真理」などではなく「苦というダルマ」のこと
般若心経で「苦」は具体的には十二縁起の各項目をさす。

苦諦:思い通りにならない。苦として確実なもの
集諦:苦の原因として確実なもの ⇒十二縁起の順観をさしている
滅諦:苦の滅尽として確実なもの ⇒十二縁起の逆観をさしている
道諦:苦の滅尽として確実なもの 

四諦説=真理とか聖なる真理とは無関係



・般若心経本段では「五蘊・十二処・十八界」がとりあげられ、ダルマの総括的な
分類がなされた。
・次に「十二縁起」がとりあげられ、無明を根本原因とするダルマの因果系列が示
された。
・この段でとりあげられたのが、苦の滅に至る道です。=ダルマが滅す過程を踏ま
えて具体的な実践方法を説いたもの

般若心経は
四諦八正道を否定しているのではない。 ⇒ 否定=釈尊の初転法輪の否定
十二縁起を否定しているのではない ⇒ 否定=釈尊の成道の否定

どこに釈尊の初転法輪と成道を否定する経典があるのでしょうか?

般若心経はそれらを小乗の教えだからと見下し、「『空』の立場から何事にもこだわってはいけない」と説く教典と解説するのは憂うべきこと。

 般若心経が否定しているのは、あくまでもダルマの実在性、それだけ

観自在菩薩の観点を無視して世間レベルで般若心経を解釈すると釈尊の教え
を否定してしまう。

    (5)無智 亦無得
       大概の解説書は「智も無く得も無く」と智と得を一対に考えている。

サンスクリットの写本や漢訳では
「智も無く 得もなく非得もなく」とある。
「得」は「非得」と一対なのです

「智(ジュニャーナ)」 ≠ 般若の智慧(プラジュニャー)
言語のサンスクリットでは違いますし、般若の智慧を説いている教典でそれを否定していたら、それは支離滅裂。

「智も無く」は「苦・集・滅・道なく」に続くので、八正道の成果としての
智慧と解するべき。
舎利子レベルの知全般に言及して、観自在菩薩が知も無くと言っている。
瞑想のプロセスということを念頭に置けば、全然あいまいなところはない。


ダルマの結合=得
ダルマの分離=非得

ダルマ=自己形成のプロセスにおいて経験内容を構成する総体の要素を分
析し分類したもの

自己をダルマに解体することにより、自己という自明な存在は単に「形成されたもの」であり固定的な自我と言うものはどこにもない = 無我

アビダルマ論師の意見

逆から観ると
 無我がどうして自己という存在があるように見えるか?

どこかにダルマを結合させたり、分離させたりする働きがある。←アビダルマ論師

ダルマの獲得作用 = 「得」(プラープティ)
ダルマの分離作用 = 「非得」(アプラープティ)


   三階において観察されるダルマが悉く様々な角度から言及されたことになる

   四階の観自在菩薩によって「ない」と伝授される

     ダルマによる瞑想の指南は終了

しかし、観自在菩薩が舎利子に
「このような瞑想をしてどうなるのか?」
「どのように実践するべきか?」
ということの伝授がこれ以降に残っている。


<4> 『以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
     遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃』

(読み下し)得る所なきをもっての故に、菩提薩埵は般若波羅蜜多によるが故に、心に罣礙なし。
      罣礙なきが故に、恐怖あることなし。一切の顚倒夢想を遠離して涅槃を究竟せり。

(原典和訳)この故に、ここにはいかなるものもないから、菩薩は般若波羅蜜多を拠り所と
して、心の妨げなく安住している。心の妨げがないので、恐れがなく、ないも
のをあると考えるような見方を超越していて、まったく開放された境地でいる。

この段はサンスクリットと一致しないと考えられている。
     (1)以無所得故
この段は日本では前段に組み込まれることが多い
「智もなく、得もなし、得る所なきをもっての故に」と言う風に。

原典では「得もなし」のあとに「これゆえに」とあるので、やはり前段にくっつけるのはおかしい。

無所得 = 「損得の打算を超えた心境」 ではなく
無所得 = 「得」に対する「非得」=ダルマを分離させる働きの
こと

サンスクリットではこの文章が省略されているものもあるし、「得も非得も
なく」という写本もある。

「なぜならいかなるダルマもないのだから」という前段の趣旨を本段は受け
たものだから、「ここにはいかなるものもない」
*無所得 = 無非得 では?

    (2)菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
漢文では
「菩提薩埵は般若波羅蜜多によるが故に」 → 菩提薩埵は主語
 としか読めない

原典では
「菩提薩埵の般若波羅蜜多」 → 菩提薩埵は所有格
        としか読めない
       しかも、菩提薩埵は複数形で、述語は単数形なので、菩提薩埵は主語ではないと
がわかる。(サンスクリット学者)

        玄奘三蔵をはじめ他の漢訳者もためらいなく主語は菩提薩埵としている。

つまり、本段の主語は明示されていない。
更に菩提薩埵は複数形、語尾の「安住している」という「ヴィハラティ」は三人称単数形。

このような場合、主語は「彼は」という形になる。
しかし「彼は」の「彼」は誰か?
岩波文庫本はこの「彼」を「人」と訳している → 明らかな誤訳

本段の語り手は観自在菩薩。
「心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなし。一切の顚倒夢想を遠離して涅
槃を究竟せり。」
それに対して、この主語が「人」であるはずがない。

可能性があるのは、釈尊か大乗仏教の担い手である菩薩のどちらかとなる。
観自在菩薩は語り手なのでありえない。
釈尊 → 釈尊をここで称えるのは唐突すぎる。
菩薩 → 一向に不思議ではない。

つまり、玄奘訳の菩薩が主語で間違いはない。

       ○般若波羅蜜多
 舎利子への三つの伝授は観自在菩薩の修行の成果
                              
            Q修行の成果はどのようにして得られたか?
   A深遠な般若波羅蜜多の修行により

本段の「菩提薩埵は般若波羅蜜多によるが故に」は冒頭の「深般若波羅蜜多を行ぜし時」を受けている

「菩提薩埵は般若波羅蜜多によるが故に」
         ↓
この重要なことが今、まさに舎利子に伝えられたのです。
この「よるが故に」にあたる部分漢訳では「依」はサンスクリットでは「アーシュリトャ」です。

「アーシュリトャ」:「~を拠り所として」、「~に立脚して」、「~を基盤として」

般若波羅蜜多は修行の到達点、同時に修行のプロセスでもある。

般若=智慧(プラジュニャー)、波羅蜜多=完成(パーラミター)
般若波羅蜜多 ≠ 智慧を完成させること
                 = 智慧という完成
      ↓
                  四階の智慧 
  ↓
「般若波羅蜜多による」 = 「四階の智慧に立脚する」ことに他ならない

四階のフロアは到達点ですが、完了ということではない。
このフロアで瞑想のプロセスを実践することが「般若波羅蜜多の修行」

この修行で見極めたことを舎利子に伝授した。

四階のフロアにいくまでにはだれであれ、「一階の幼児レベル」→「二階の世間レベル」→「三階の舎利子レベル」→「四階の大乗レベル」と階段を登るプロセスが必要。この階段・通路も般若波羅蜜多。
 ↓
階下にあっては階上を知ることはできない。また階上を知らないので階上へ行く階段・通路があることすら知る由もない。

それぞれのフロアを越えていく上昇の原動力の知はフロア内の知ではありえない。なんらかの特別な高度な知である。

プラジュニャー = プラ(前に)+ジュニャー(知る)
ということで
プラジュニャー=知識以前の知、つまり「無分別知」とされています。

しかし、プラ=前に(進む)という意味でなければ、各階層の考え方で行くと、幼児レベルの一階に戻ることになる。

真実は、プラジュニャー = ジュニャー(知)を一歩前に進めた高度な知

宗教的実践の「超越」は文字通りある種の高み超越すること。決して通常の意識以前である、動物的・幼児的な分別の無い状態に戻ることではない。
「無我」は「自我」を超えたところに存在する。
同時に自我形成以前の無自覚に当てはまるかもしれない。

この二つの混同は仏教史の中で誤解を招いてきた。

般若の智慧は階下に戻す知ではなく、また階下を否定する知でもない。
階下を卒業して上の階に導く、そのような知。

    (3)心無罣礙 無罣礙故
       この心の言語は「チッタ」であり経題の「フリダヤ」とは別
     ↓
            人間の内面の心をさす

心に罣礙がない=心に妨げが無い とはどういう意味か?
人の成長とは人の心の成長にほかならない。人が堕落するとは人の心が堕落するということ。

アビダルマ論師は「五位七十五法」にダルマを分類いたしましたが、心については一項目しかない。 = アビダルマ論師は「心は一つ」と考えていた。

心の働きは五十二項目に及ぶ

このような詳細な分析も現代の心理分析学者のように客観的事実を積み上げるためではなく、心の成長のプロセスの中で自身のあるべき姿を問うことであった。

          罣:引っ掛けるもの
礙:妨げるもの

サンスクリットの「アーヴァラナ」の翻訳の為に漢訳者が作った術語
アーヴァラナ:「妨げとなるもの」「閉ざすもの」「覆うもの」「取り囲むもの」
「心に罣礙なし」=「心に何の妨げも無い」ということ
                         ↓
                    ダルマのことに他ならない。
                         ↓
                四階のフロアはいかなるダルマもないので、ダルマが妨げと
なることはない
                  ↓
他の解説書のように「心にこだわりがない」と解釈しても間違いではない
しかし、「だからこだわりを捨てて生きよ」という教訓を引き出すなら、それは世間レベルの二階のフロアに戻ってしまうことになる。

    心そのものも一つのダルマに他ならない
心を妨げるものもなければ、妨げられるもの(心)もない ↓
釈尊の真意を追究した菩薩たちはそのレベルのフロアに到達し、アビダルマ論士が絶対視し、実在視したダルマから開放される境地を見出した。

     (4)無有恐怖
心で、閉ざされて逃げ場がないという感覚から恐怖が生まれる。
もし閉ざすものがなければ、恐怖は生まれようがない。
       ↓
 最も頑丈な檻は自分自身、自己を構成するダルマ

「では、自己を捨てて脱出できる場所がどこかにあり、その檻が幻影にも等しく、自分で作り出したものであると言うことを見破ることができたなら、逃げ場を探す愚かさをさとるでしょう。」
          ↓
などという事は簡単ですが、実際は
「苦界を生き抜き、苦界を糧として、それを土台として、次なる階段へ一歩
を踏み出すことができる」 = 日常の私たちが自分自身に振り回されて
いるとしたら、心こそ張本人。

「般若心経」は「心の大切さ」を説く経典ではなく、その反対に「心
というものは無いのだ、無いという事が観察できるレベルのフロアが
あるのだ」ということを説いている恐るべき経典

      (5)遠離一切顚倒夢想
遠離:サンスクリットで「アティクラーンタ」、原意は「超越する」
直訳すれば「階段を登りきっている」

一切:羅什訳にはあるが、玄奘訳にはない。

顚倒:サンスクリットで「ヴィパルヤーサ」、「逆さま」と言う意味
夢想:「夢のようにありえない」こと。漢訳で補われたもの。サンス
クリットにはない。
             顚倒を強調する語

ないものをあると考えること = 顚倒夢想
「ない」と観察されるダルマを「ある」と錯誤しているレベルのフロ
アに対してきっぱりと「ない」と言っている。
    (6)究竟涅槃
究竟:真理の究極、極めて優れている、極めて都合のいいこと
サンスクリットの「ニシュタ・ニルヴァーナ」は「涅槃に安住して
いる」、「涅槃を達成している」

○涅槃
本段の涅槃は釈尊の入滅を意味するものではない。
辞書(仏教大辞典)には
「燃え盛る煩悩の火を吹き消して、悟りの智慧を獲得した境地」

 涅槃はサンスクリットの「ニルヴァーナ」、パーリ語の「ニッバーナ」
 語源は「(風などが)吹く」という動詞の「ヴァー」から派生した名詞と考
えられている。
        この動詞に「ニル」をつけると「(風などが)吹いて、なくす」と考えられ
 そこから派生した「ニルヴァーナ」は「吹いて明かりを消す」、「熱さをさま
すこと」となる。
「燃え盛る火」とか「燃え盛る煩悩の非」と言った意味は無い

    煩悩の消滅=涅槃ならば⇒ ダルマ体系五位七十五法の無為法の一つになる
 = 四階のフロアでは無いとされているもの
本段では涅槃は肯定的な意味なのでそうした意味ではない。

    パーリ語研究者は「ニルヴァーナ」の語源は「ヴァー」ではなく「ヴリ」
としている

空海は「般若心経秘鍵」の中で「妨げの無い自由な境地が涅槃に入ることで
ある」(無礙離障は入涅槃の義)と解説
               =
          「燃え盛る煩悩の火」とは無関係

空海の解釈 = 心に罣礙なし
  ↓
「覆いのない、妨げのない状態」が涅槃

般若心経では全てが「空」といっているわけではない。

松本史郎博士は諸文献を詳細に検討した結果、涅槃には「火の消えること」、「消滅」という意味はないとしています。
そして語源は「ニル・ヴリ」で「覆いが取り除かれること」としています。

しかし、これは1200年前に空海がすでに明らかにしたこと。

「いかなる覆いもなく、なんら妨げるものもない、もはやそこには心と
呼ぶものすらない、自在なる「観」のみの、全く開放された境地に菩
薩は安住している」
ということが、ここで観自在菩薩により告げられている。

<5> 『三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提』

(読み下し)三世の諸仏は般若波羅蜜多によるが故に阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

(原典和訳)過去・現在・未来の三世に出現するすべての仏は般若波羅蜜多を拠り所として無
上の完全なさとりを成就している。
   
    (1)三世諸仏
現在・過去・未来に出現する仏陀

釈尊のような仏陀は、釈尊以前の過去の時代にもいたとする伝承もかなり古い時代からある。(『南伝大蔵経』第六巻)

過去七仏が共通して保ったといわれる「七仏通戒偈」(南伝・北伝共通)
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
(諸々の悪をなさず、すべての善を行い、自らの心を浄めよ、
これが諸仏の教えである)

釈尊は新しい宗教の創始者ではなく、古仏の道を歩むことにより普遍的な教えを体得し、それをこの世の人々に説き示した聖者だとかんがえられていました。

このような過去仏の信仰が未来仏信仰を生み出した。

     弥勒菩薩信仰
三世諸仏は現在・過去・未来に仏陀がいたということではなく、仏陀の偏在性を示している。

    (2)依般若波羅蜜多故
この「依」はサンスクリットで「アーシュリトャ」、「~を拠り所として」、「~に立脚して」

    (3)阿耨多羅三藐三菩提
サンスクリット「アヌッタラ・サンミャク・サンボーディ」の音写語で
「この上ない完全なさとり」

この段は全て音写語。こんな訳し方はほかにはない。

初期のいかなる仏典にも般若波羅蜜多に依るとは書いていない
大乗の菩薩たちは従来の伝承を見直し、釈尊の教えの真意は何であったかと追究し、自己自身の内なる探求を通じて、ついにこれにこそ立脚すべきという確かなものとして、般若波羅蜜多に辿り着いたのでした。


<6> 『故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 
真実不虚故 説般若波羅蜜多咒 即説咒曰 
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 娑婆賀 般若心経』

(読み下し)故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり、これ大明咒なり、これ無
上咒、これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実なり、虚しからざる
故に。般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 娑婆賀
般若心経

(原典和訳)それ故に知るべきである。般若波羅蜜多の大いなるマントラ、大いなる明
知のマントラ、この上ないマントラ、比類なきマントラは、すべての苦を
鎮めるものであり、偽りがないから、真実である。般若波羅蜜多の修行で
誦えるマントラは、次の通りである。
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー
         以上で般若波羅蜜多のマントラ、掲示し終わる。

(1)故知 般若波羅蜜多 

この段の冒頭だけが強い口調になっています。
何を「知るべし」といっているのか

漢訳では区切られていますが、「菩提 娑婆賀」までが本段の伝授なのでここまでが「知るべし」の内容

(2)是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 
咒=サンスクリットでは「マントラ」


『般若心経』から「心の修養の仕方」といった安易な処世訓を読み取ろ
うとする風潮は現代だけではなく、空海の時代からあったらしく、空海は断固
そのような姿勢を排し、瞑想の指南書としての『般若心経』が伝えようとして
いる修行の階梯と、それぞれの段階のレベルにおける成果を明らかにしようと
したのです。

階上への通路が、この経典の主題である「般若波羅蜜多」

一階幼児レベルのフロア(出発点)から二階世間レベルのフロア(世間における
自己形成のレベル)へ向かう通路
         =
人はいつかこの通路を通過して大人の社会に仲間入りする。
この通路 =「大神咒『マハー・マントラ』(偉大なる真言)」

二階世間レベルのフロアから三階舎利子(世間を超えた『明知』のフロア)レ
ベルのフロアへ向かう通路

この通路 = 「大明咒『マハー・ヴィディヤー・マントラ』(偉大なる明知の
マントラ)」

三階舎利子レベルのフロアから四階観自在菩薩レベルのフロアへ向かう通路

   この通路 = 「無上咒『アヌッタラ・マントラ』(この上ない真言)」
これ以上、フロアが無いので「無上」

四階観自在菩薩のレベルのフロアから屋上「仏陀の居るところ」への通路
この通路 = 「無等等咒『アサマサマ・マントラ』(比類なき真言)」
       まさしく、この展望と比べるべきものはない世界

般若波羅蜜多は上の階に上る手立て

般若波羅蜜多 = 智慧という完成 = 究極の智慧

私たちの外部にあるものではなく、自身の内面において稼動するもの
この建物 = 私たち自身
私たちは般若波羅蜜多をめざしつつ、どのレベルからでも般若波羅蜜多の修行をすることができる。

(3)能除一切苦 真実不虚故 説般若波羅蜜多咒 即説咒曰  
   (4)掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提 娑婆賀
マントラ = 古来、秘密のもの

では、誰にも教えないのか?→それなら般若心経は誰の目にも触れられ
ていない

マントラの語義
マン(「考える」を意味する)+トラ(「手段」を意味する)
           =
                 マントラ(「思考の道具」=祈りの言葉)

インド仏教は大乗仏教を超えてマントラ乗(真言=密教)に行き着く

当初、般若波羅蜜多は「陀羅尼(ダーラニー)」とか「明咒(ヴィディヤー)
と呼ばれる。
                   ↓
仏教のマントラなのだと宣言した最初の経典が『般若心経』

『ヴェーダ』とは違い、仏教のマントラは神々を動かして日常の願望を達成するための、そんな従来の単なる呪文ではありませんでした。自己を探求する高度な修行体系の中で活用され、智慧と慈悲を実践する菩薩の拠り所として尊重され、広く普及していきました。
いかなる儀礼においても修行にしても、周到な準備をしたうえで始められる特定の極めて緊張した場面で、誦えられる聖なる音がマントラです。

マントラの本領はマントラが用いられる場面においてのみ発揮される。
奥義に到達した最高度の資格を有する人物(般若心経では観自在菩薩)がいて、まだ確たる地歩を固め得ていない人々(般若心経では舎利子)がいる。その人々の上に覆いかぶさる諸々の制約を解き放つ時、マントラを誦える人の魂が揺さぶられるような体験の中でのみマントラは意義を持つ。

マントラの字句の意味を理解したとしても、それだけではマントラを会得した事にはならず、当然、いくらその字句を公開してもマントラの秘密性または神秘性を損なうことにはならないのです。

よって、マントラは伝達の言葉ではなく、マントラを誦える修行者の体験にのみ深く関わるものなので、いかなるマントラも、語句そのものは他愛も無く、時として拍子抜けするほどいたって単純。

「掲諦」には三種類の訳し方がある
① 往けるときに、往けるときに、彼岸に往けるときに、彼岸に完全に往けるときに
さとりあり、スヴァーハー
② 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ
幸あれ
     ③ 到れり、到れり、彼岸に到れり、彼岸に到着せり、悟りに。めでたし

これらは「ガテー」の文法をどうとるかにより判断されたもの。
般若心経の本文中に一度も「彼岸」という事は出てこない。
      空海は「菩提 娑婆賀」を究極的なさとりに入ると解釈している。

掲諦  波羅掲諦  波羅僧掲諦  菩提
=    =     =    =
般若波羅蜜多 般若波羅蜜多 般若波羅蜜多 般若波羅蜜多

どこかに往くとか往かないとかではない。
般若波羅蜜多を言い換えた言葉

娑婆賀:「成就あれ」

     諸仏が悟りを得るのは般若の力によるのであるということから、大乗仏教徒は波羅
蜜多を諸仏を生む母、仏母として尊び崇めたのです。

   「母よ 母よ 般若波羅蜜多なる母よ どうかさとりをもたらしたまえ」

小本『般若心経』はここで終わりです。
3.結びの文
   観自在菩薩が舎利子に「このように学ぶとよい」と告げ、一切の伝授を終了します。
   釈尊は瞑想より起きて「善いかな、善いかな、その通りだ」と観自在菩薩を賞賛いたし
ます。
 それを聞いて会衆が喜び、終了いたします。

『般若心経』は釈尊の瞑想が織りなす壮大な話です。
5.釈尊と空海
 
 空海の『般若心経秘鍵』の上表文(後書き)に
  「自分は、かつて霊鷲山の釈尊の説法の場所にいた。まのあたりに、この深遠な教えを聞き
その深い意味を知り得た。だから、この『秘鍵』を書くことができた」

   鎌倉時代の祖師はこれは大妄語とした。
   たしかに空海がかつてインドの霊鷲山の釈尊の説法の場所にいたなどという事はあり
えた話ではない。論証するまでも無いことです。

しかし、経典を理解するということはそういうことではないだろうか

    伝承されてきた教えの真意を理解するということは、内省のプロセスにおいて、釈尊
の言葉を直接聞いたという確信と感激のような「神秘的」な実体験がどこか伴うべきも
のではないでしょうか。
これを妄語と謗る者は、自らの修行体験の中で、釈尊の教えに耳を傾けようともしな
かった人だとしか言いようがないです。

玄奘三蔵が観自在菩薩から『般若心経』を親授されたという逸話も、現代人の観点から
実際にありえないということは簡単です。この尊い経の原典を入手しえたのも、決して
たやすく人から人へと渡されたようなものではなく、そこには人知を超えた大きな力の
存在を思わざるを得ない。そのような敬虔な気持ちが根底にあって、この信念を後世に
伝えようとした決意の表明のように感じられます。
経典を真摯にうけとめ、その教えを実践するものにとって、釈尊は決して過去の人では
なく、現前の人です。そうした宗教的時間を生きるものにとって、「仏説」は疑いよう
もない真実の言葉です。

空海もまたその言葉を聞いた人だった、ということに何の疑いをはさむ余地はない。
 この空海の上表文が自作であれ、たとえ偽作であれ、空海の内面の真実を伝えている
と思う。
 



「フリダヤ」が「マントラ(真言)」とはサンスクリットの辞書にはありません。しかし、インドの文献では「フリダヤマントラ」という言い方は珍しくありません。密教の漢訳文献の「心咒」は「フリダヤマントラ」とあり、「フリダヤ」は「マントラ」の別称とも考えられます。ここから『般若心経』は「智慧の完成のマントラ(真言)」であり、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経」は「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶という智慧の完成のマントラを誦える修行」という考え方があります。マントラ(真言)を誦える修行を念誦法(ジャパ)といい、この修行の結果、「五蘊皆空」などを観自在菩薩が見極めたという話になります。『般若心経』に、「故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪(故に知るべし 智慧の完成 これこそ大神咒 これこそ大明咒 これこそ無上咒 これこそ無等等咒)」とあります。咒はマントラ(真言)を意味しています。
般若心経の最後に『故に知るべし、これこそ大神咒、これこそ大明咒、これこそ無上咒、これこそ無等等咒』とありますが、咒(マントラ)の偉大さが書かれています。
マントラの念誦・マントラを念じて誦する
                 ↓
     念ずる内容を観想しながらマントラを繰り返し誦する = 行深般若波羅蜜多
   
つまり
深遠な般若波羅蜜多の修行 = 「掲諦掲諦・・・」のマントラを誦えること
   
  マントラを静かに繰り返し誦える修行 = 念誦法 → サンスクリットの「ジャパ」
              ↓結果
  「五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度せり」
         ↓なぜこのようにすばらしい成果が得られるのか
    般若波羅蜜多と称するマントラを念誦する修行をしたため
            ↓
  「深般若波羅蜜多の修行」 = マントラを誦えること
  
念ずる内容を観想しながらマントラを繰り返し誦する 
                 ↑
           好きなように、勝手にしてもだめ
    インドでは必ず師から伝授を受けてしかるべき場所でしかるべき手順を踏んで行なう。
     (インドでは仏教以外の事柄でも師からの伝授を重んじてきた)

     般若心経の中で観自在菩薩は舎利子に深般若波羅蜜多の念誦法を伝授した。
    よって


(表)深般若波羅蜜多           巻一

(裏)帰依仏陀 帰依仏法 帰依僧伽 
帰命頂礼観自在菩薩